February 13, 2018

東京大空襲の落語、柳家さん八師匠

先日、落語と映像で学ぶ「東京大空襲」と云うイベントが、九段の「昭和館」であった。

東京大空襲の時、地獄絵の中、逃げまどい母親の背中で死んだようにしていた赤ちゃんの話、その赤ちゃんが、73年後、東京大空襲を伝える落語をやっていた。

東京大空襲でさえも、悲惨さを伝えながら、落語で伝えられることが、すごいなぁと想った。

たった73年前のこと。

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November 27, 2017

戦場体験者との茶話会、浅草公会堂、

昨日は、浅草公会堂で開催の「戦場体験者と出会える茶話会」に出席した。

これが語らずに死ねるかと云う戦場体験者の方々約30名が、24日~26日、それぞれの体験を茶話会形式で聴く会。私は、満州引き揚げ体験の方々のテーブルに座り、2人の方の体験を聴いた。

私の母が赤ちゃん連れでいた日本の収容所と云うものの様子を初めて知った。

満州から今の北朝鮮に来て、日本人収容所で1才半の妹を亡くされた方は、小さな木で作った位牌を持って来られて、その位牌にお母さんの当時の句が書かれていた。「かりそめのえにしとは云え、諦め切れぬ今日の悲しみ」「身はたとえ南甫の山に朽ちるとも御霊よ帰れ母に抱かれて」

妹をリンゴ箱に入れて埋葬した丘には、近くにロシア兵達が行進していた、ロシア兵達が歌っていた「カチューシャ」の歌が忘れられないと。

また、もうひとりの証言者の方は、引き揚げ船が、いよいよ佐世保に着く時の日本の陸地の光景、夏の青々とした緑が忘れられないと、そして、甲板で、日本で当時流行っていた「リンゴの歌」をアコーディオンで弾いてくれた人の、「リンゴ可愛や🎵可愛やリンゴ」の調べが、忘れられないと云う,

私の人生に迫る満州,私は、両親との一体感に浸る日であった。

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September 22, 2017

歴史研究の面白さ、赤穂浪士と二二六事件など

昨日は、会社帰りに、歴史研究家の瀧沢中氏の講演を聴き、大変よい歴史の視点を頂いた。

赤穂浪士と二二六事件の共通性が、「大義」が現実を見えなくしてしまった例。赤穂浪士の仇討ちで何が得られたのか?、彼らは彼らが考える美学に死にたかったように見える。二二六事件の決起部隊指揮官達も、決起後の具体的政治構想が無かった点で、彼らの考える美学に生きたと想え、ある種の幻に囚われた事件であったように想う。

田沼意次と田中角栄の共通性は、共に理想を掲げながら、手段が目的に変化した点。理想の実現にまい進するために、いつの間にか、金権政治に陥って、その非倫理性に気付かなかった。

共に、人生で、大事なメッセージがある。

自分が考える美学の先に何があるのか?、理想実現のための手段に集中するあまり、とんでもない生き方に変貌していないか?、

歴史研究は、自分の生き方に、素晴らしいメッセージがあると想う。

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September 05, 2017

1990年夏、アプダヒから避難を想い出して、

北朝鮮情勢の緊迫を受けて、今朝の日経に、韓国の在留邦人保護の政府施策が書かれていた。

緊迫度の度合いで、不要不急の渡航中止要請→渡航中止勧告→退避勧告→退避所での待機の順番で適用されると云う。

1990年8月、イラクのクェート侵攻の時、アブダビにいた私も避難することになった。

戦争と隣合わせて生きている現実を想う。

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August 29, 2017

世界史の中に、

今朝は、朝6時前から、ニュース速報の北朝鮮のミサイルの北海道上空通過の緊迫したニュースが流れ、報道がそれ一色になった。

戦後72年、私は、私の人生も世界史の中にあることを想った。

原爆投下で終わった日本の戦争体験は、二度と戦争にならない政策を模索し続けると想う。

人間のさがの哀しみを想う。

私は、私の信念の人生を送る。

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August 12, 2017

「最後の女たち」1944年7月9日、サイパン島、

8月終戦記念日頃は、反戦の映画を見たくなる。昨日は、川崎の中原区ミュージアムで「最後の女たち」と云う、サイパン島に住んでいた在留日本人(2万人)の悲劇の映画だった。

1944年の6月に始まった米軍の攻撃に、追い詰められていった民間の日本人たちも、日本軍の玉砕の前に、集団で海岸の崖から飛び降りたり、入水自殺をしたエピソードの映画だった。

耐えられないほどの悲しみ、戦争の残虐さ、人間の哀しさを想った。

1944年7月にサイパン島で起きたことは、そんなことだったのかと改めて、自分が今まで知らなかったことを恥じた。

サイパン島を占領した米軍は、その後、本格的な本土空襲に進んで行く。

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March 20, 2017

戦争体験童話アニメ、新宿平和祈念資料館にて、

昨日、一昨日と新宿平和祈念資料館に足を運んだ。戦争体験童話のアニメを見るためであった。

「キクちゃんとオオカミ」は、満州から引き揚げの時、山中を歩く途中、麻疹(はしか)を発症した幼児の女の子が、集団の感染を恐れ、家族を引き裂かれ山中に置き去りにされた話であった。幼児のキクちゃんはオオカミが近づいても、満州の家に置き去りにして来た飼い犬「ベル」と勘違いして、なついて、オオカミに助けてもらい、最終的には中国人に助けて貰った話。人間の住む近くまで運んでくれたオオカミは、人間に銃に撃たれて死ぬ。

「僕の防空壕」は、出征するお父さんが、自宅の床下に作ってくれた防空壕の中に入ると、いつもお父さんと話が出来る気がする子供の話。お父さんが中国で戦死する時も、お父さんは息子に会いに来た。お父さんが、一生懸命に掘ってくれた防空壕、一緒に掘った防空壕。いつもお父さんに会える防空壕。

共に、野坂昭如さんの作品だった。私が二度と見たくない程悲しかったアニメ、「蛍の墓」の作者であった。

平和祈念資料館は、私が、両親と会えると想える場所。

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March 13, 2017

アルキメデスも戦死したハンニバル戦争、

昨日、チュニジア協会から紹介のフェニキア・カルタゴ研究会が東京茗荷谷の放送大学キャンパスであり、私の世界史マニアの興味から大学生気分で参加。

紀元前の地中海世界やイベリア半島情勢などの概説を学んだ。その後、帰宅してからも、自分で、ボエニ戦争について、詳しく調べて、また、世界史への興味が深まった。

カルタゴ(今のチュニジア)は、フェニキア(今のレバノン付近)の植民国家で、新興国のローマとしばしば覇権を争った。ポエニとはラテン語でカルタゴと云う意味と云う。

第一次ボエニ戦争は、カルタゴとローマが、BC264~BC241まで23年も、シチリア島を巡る戦いを続けている。

第二次ボエニ戦争は、BC219~BC201まで18年も続いている。当時カルタゴのイベリア半島の植民地(今のスペイン)に住んでいた若き武将、ハンニバルは、初戦、イベリア半島から、10万の軍勢と象37頭を連れて、半分の兵と象全てを途中失いながら、ヒマラヤ越えで北ローマに侵入し、大勝利をもたらした。その後、ローマの持久戦で補給路が断たれ苦戦する中、カルタゴ軍にいたアルキメデス(浮力の法則発見)も戦死している。アルキメデスは殺される時、円周率の計算をしていたと云う。

第三次ボエニ戦争は、BC149~BC146で、カルタゴは滅亡し、歴史の舞台から姿を消した。

私は、昨日、紀元前の地中海世界の中にいた。

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February 11, 2017

アニメ映画「この世界の片隅に」、戦争の頃の呉が舞台、

一昨日、居酒屋での同期懇親会で、友人から映画「この世界の片隅に」 と云うのが、とてもよかったと聞き、早速、昨日、会社帰りに銀座東映に、その映画を見に行った。

太平洋戦争前後の呉の街、広島から19才で呉軍港が見える山里に嫁いで来た女性の日常を描く物語。

空襲や腕を失いながらも、「戦争しとっても蝉は鳴く。蝶は飛ぶ。」

「この世界の片隅に、私を見つけてくれてありがとう」 と云う映画だった。

人生で出会う色々な人、この世界の片隅に、私を見つけてくれてありがとうと想う。

会社帰りの銀座にも、温かい冬の明かりが灯っていた。

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February 04, 2017

磯村尚徳キャスター講演会、チュニジア大使館

昨日、会社帰り、チュニジア大使館で、元NHKの磯村キャスターの講演を聴いた。

1929年生まれ、1953年NHK入局の87才で、パリ特派員などNHK時代も半分は海外勤務で、堪能なフランス語やダンディーさが今も健在。

チュニジアは、フランス領だったこともあり、取材したチュニジアの想い出や地中海地域の壮大な歴史ロマンを改めて聴いた。

紀元前に今のレバノンに栄えたフェニキア、フェニキアの植民地だったカルタゴは今のチュニジアにある。カルタゴは、イタリアのシチリア島から140キロ、カルタゴは400年にわたり栄え.度々ローマと抗争した。猛将ハンニバルは、象を連れてスペインからアルプス越えでローマを攻撃したエピソードがある。

磯村キャスターがインタビューされた、歴史に残る各国要人のその時の様子なども、まるで私もその場にいたかのように、想像しながら聴いた。

磯村キャスターは、私の語学や世界に対する興味をかきたててくれる象徴のように想った。

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