1991年1月17日、湾岸戦争始まる、
今日は、湾岸戦争が始まった日。
米軍のバクダッド爆撃開始、翌月、クウェート解放。
私のアブダビ駐在時代。
私は、中東で、世界史を体感した。
そして今、世界は、コロナとの戦い。
私の何気ない一日も、世界史の中。
今日は、湾岸戦争が始まった日。
米軍のバクダッド爆撃開始、翌月、クウェート解放。
私のアブダビ駐在時代。
私は、中東で、世界史を体感した。
そして今、世界は、コロナとの戦い。
私の何気ない一日も、世界史の中。
想定外なこと、
感染拡大が止められない人間の限界、やはり自然への畏敬。私は、ニンニクを食べたり、感染対策に努力するだけ。
昨日のサウジの行動(単独自主減産)は読めなかった。
在宅勤務や、人の移動がなくても、案外と仕事が回っていることの不思議。労働契約は、形式的な(労働)時間の契約に過ぎなかったことの証拠か?。
人類社会の革命期を体験できる幸運。
想定外なことへの好奇心が、深くなって来る。
アメリカのファーザーブッシュ大統領は、イラクのクウェート侵攻からクウェートを解放した大統領。
クウェート人は、ファーザーブッシュ大統領を親愛のニックネーム「ボ、アブドラ!」と呼ぶらしい。
ボとは、父親とか兄貴のニュアンス。アブドラとは、クウェート人の代表的な名前、日本の太郎みたいなニュアンス。
ファーザーブッシュが、「ボ、アブドラ」と親しみをもって呼ばれていることは、私にとって、小さな驚きであった。
暫く、40ドル内外で落ちていた原油市場が、にわかに、乱高下し始めた。
コロナによる原油需要減少は続く中、11月2日には、一時33ドル台をタッチして、その日の内に37ドル台へ、更に米国大統領選挙の日に、結果待ちのままの時点で38ドル台で推移している。
そんな原油市場の様子を見ながら、今朝も、会社へ向かう。
世界の政治も、経済も、大きく揺れている。そのような時代に、私も、静かに、どう生きるかを考える。
京浜急行の北品川から新馬場にかけて、旧東海道の品川宿の商店街の風情は中々のものである。
明治維新の頃の志士達や、幕府の重臣達のゆかりの場所がいくつもある。
私は、老舗蕎麦屋で、会社帰りに一杯飲むと云う私の観光コースを開拓した。
北海道厚岸漁港直送の牡蠣や魚介類も楽しめる店も見つけた。
北品川商店街の薄明かりは、旧東海道のなごり。人生の旅。
最近の中東の予期しなかった変化は、イスラエルとアラブ首長国連邦の国交。バーレーンやオマーンも続く動き。
パレスチナ問題へのアラブ諸国の対応が、揺れている。
その時、その時の力学で、国際政治は動く。
私が3年駐在したアラブ首長国連邦、アブダビ。
中東史の中の光景が、私の人生の中のシーンにもある。
昨日、赤坂の貸会議室で上映の映画「ひろしま」を初めて全部見た。
暫く、上映を禁止されていた古い映画。
原爆を知る貴重な映画だと想う。
広島、長崎、アウシュビッツ。改めて、人類の闇を想う。
激情は激情を生む。
政治的な激情には、気を付けねばならない。
戦争につき進む激情は、止めねばならない。
第二次世界大戦に導いた、戦争当事国は全て、学ばねばならない。経済的な利害に翻弄されて、戦争しか選択肢がない状況など陥ってはならない。
広島、長崎の意味を、私の人生に問う。
昨日は、バシッとネクタイスーツ姿になってみた。
オフィスに石油会社の幹部が、挨拶に来所すると云う事情でのスーツ姿。
会社には、スーツの上着、ネクタイは置いてあり、来客を迎える時だけのことだったが、久しぶりのスーツネクタイ姿を懐かしく想った。
戦争が終わって軍服姿を懐かしく想うようなものか?とも感じた。
作家・城山三郎は、戦前の滅私奉公は、戦後サラリーマン社会に残ったと評した。
自由な勤務に道が拓けて、満員電車の出勤は、懐かしい昭和・平成の遺物的シーンになるだろう。形式主義は、大きく、転機を迎える。
一昨日、操体法(快医学)と云う健康法のセミナーに、本郷に行った。
都営三田線の白山駅から、会場まで歩く時、浄心坂と云う坂を上る。その坂に、八百屋お七の墓が建てられていた。1682年とかの16才のお七の事件。
しげしげと、説明文も読んだ。
浄心坂はまた別名を「お七坂」とも云うらしい。
思いがけず、そんな江戸の情景に出会った日でもあった。
昨日は、長崎の原爆の日だった。
今朝インターネットで、当時、アメリカは第3の原爆投下を計画していたと云う。
具体的に原爆投下を検討された候補地は17箇所あった。
東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、福岡、熊本、長崎、佐世保だと云う。
3月10日の東京大空襲では、10万人が死に、7月までに日本各地で60箇所以上が空襲を受けていたが、日本が降伏する様子はなかった。
候補の各地のことを、原爆の日の頃、想う。