アイヌを知る旅、
10月22日〜10月24日、登別へ、アイヌのイベントに参加した。
登別市民会館で、知里幸恵さん記念フォラムで、初めて、アイヌ文化をあらためて深く味わった。
次の日、白老のウポポイ記念館にも行き、アイヌの生活などを、肌で感じた。
この旅の機会に、日石の同期入社の同窓にも、東室蘭で飲む機会もあった。
函館本線の車窓も、忘れられない旅。
10月22日〜10月24日、登別へ、アイヌのイベントに参加した。
登別市民会館で、知里幸恵さん記念フォラムで、初めて、アイヌ文化をあらためて深く味わった。
次の日、白老のウポポイ記念館にも行き、アイヌの生活などを、肌で感じた。
この旅の機会に、日石の同期入社の同窓にも、東室蘭で飲む機会もあった。
函館本線の車窓も、忘れられない旅。
5月19日は、朝から、油壺の荒井浜での(三浦)道寸祭りに出かけた。
やはり海岸での流鏑馬(笠掛)は、素晴らしい。
曇り空で、人出も少なめ、神社の流鏑馬と比べれは、かなり快適に観れる。
1516年に北条早雲の軍勢に攻められ、3年もの籠城の上に滅んだ三浦一族。
そんな歴史に想いを馳せながら、感慨に耽った。
今朝、新聞で、空飛ぶクルマの実演が、5/17 5/18 などあることを知って、心がワクワクした。
自分のスケジュールをみて、5月18日に行けそうなことを確認して、益々、嬉しくなったた。
会社のクウェート人達にも宣伝した。
ドバイでは、既に空飛ぶクルマのタクシーもあるとか?、クウェート人生から聞いた。
本当かな?
時代の猛烈な動きを感じる。
ロシアの人口は、約1億4千万、ウクライナは、約4千万、
イランの人口は、約9千万、イスラエルの人口は、約1千万、パレスチナは、約500万人、
合計約3億人が戦争の中、世界の人口(約80億人)の約4%が戦争中。まだ他にも内戦の国々もある。
サクラを愛でることが出来ることの幸せを想い、
また、戦地でも大自然は、花を咲かせ、兵士を和ませている光景を願う。
人類の闇を、論じたらきりがない。大自然や花は、たくましい。「国敗れて山河あり」を想う。
昨日、中東のソマリア沖の海賊を、救済で撲滅した日本人実業家の話を、たまたま知ることとなった。
それが何と、あのマグロを競り落とし出有名な、寿司ざんまいの木村清氏であった。
彼は、自らの生命を顧みず、ひとり小船で、海賊達との直接対話に乗り出し、海賊達から本音の働きたい気持ちを聴き出し、3年がけでマグロ事業に転換させてしまった男。
海賊を無血で全滅させた男です。
生命がけの他者救済の実話に、私は人生が、社会がパーっと明るくなった想いがした。
10/7に始まった、今回のパレスチナ情勢、大変気懸かり。
昨日、会社のアラブ人から、彼のパレスチナ観を詳しく聴けた。
人間のさがとしての争いを悲しむ。
2000年の歴史の身近さを感じる。
どうすればよいのか?
自分としての何が出来るのか?
10/7以来、パレスチナのことが気がかり。
この句を、数日前に、坐禅会で知り合った方からの、メールのやり取りの中で知った。
亡くなった子を偲ぶ句と知った。
江戸中期の俳人 加賀千代女(1703〜1775)の句と云う。表具職人の娘。
故人を偲ぶ句として、私の心には、静かに、グサリと刺さった。
そんな境涯で、私も故人を偲びたい。
昨日は、新潟に、全厚済の大きなイベントのついでに、合間の時間に、私が呼びかけて、4人で有志良寛会を開催した。
新潟在住50年のアンリ神父(大の良寛通)と、子育て支援ドリームハウスの新保まりさん、元新潟副市長の若林孝さん(大学の同窓生)との4人、
若林孝さんから紹介の、良寛さんが、国上山から新潟までの托鉢の時、途中の岩室の田中と云う場所の一本松の句が、心打たれた。
「一つ松 人にありせば 笠かしましを 簑かしましを 一つ松あわれ」
アンリ神父は、その田中の松を「星の王子様の薔薇」と同じですねと、言いました。
良寛さんと、星の王子様の薔薇のこと、何とも云えない気づきに、感動のひととき。
私は、すごい仕事に出会ったことを実感する。社会の大義のある事業、弱い個人が集まって、助け合い、節約のインフラを構築して行く事業
それは、後世に残る、人々に喜んでもらえる仕事。(生活のためではない)。
それは、年を重ねる毎に若返るようなエネルギーをもらえる仕事。
自分にもウソをつかない生き方は、神と共にあるからチカラが百倍になるのだと私は想う。
毎日の仕事を、神と共にあることを、体感しながら出来る仕事は、お金のためや人に言われてやる仕事ではない。
そんな出会いも、私の縁であったのだ。諸縁に感謝します。
今回の高知へ旅して、高校時代からの親友の車で、昨日は、一日中、色んな場所を回った。
彼が高知大学(農学部)時代に下宿していた場所、朝倉と云う大学そばの田舎の風景を初めて見た。久礼と云う漁港の街の商店街でカツオ飯も食べた。
車の中では、ドライブ中、高校時代のように色んな話が弾んた。
彼が、話してくれた、樋口季一郎中将の話は、痛く感動した。
1940年エストニアの領事代理杉原千畝が6000人のユダヤ人の避難を助けた話より、遥かに多い2万人のユダヤ人がソ満国境で立ち往生したとき(1938年)、当時の樋口季一郎は、日本はドイツの属国ではないと、人道的見地から、2万人のユダヤ人避難民を保護し、上海へ送り届けたと云う。
また、彼は、1945年の大戦終戦の時、雪崩れ込むロシア軍に対して、防戦して、ロシア軍に打撃を与えて、(カムチャカ諸島の占守島)、ロシア軍の北海道の支配を頓挫させた男。
私は、今回、高知に旅して、親友からの熱っぽい話に、何となくしか知らなかった、樋口季一郎中将の偉業に、感動と尊敬の念を新たにした。
旅と人のもたらす、小さな驚きの数々、これが私の人生を形つくる。