November 27, 2009

日本史の2大重要転換点、応仁の乱&元禄文化

数日前に東京シテイーガイドの企画で、上野の東京都美術館で、「江戸の出版文化」と云う講演を、清泉女子大の佐伯孝弘先生から聴いた。

これまでの日本の歴史の中で、1467年から7年間、京都を焼け野が原にした"応仁の乱"が、日本の制度のハード面を根本から変えた最大のイベントであったとの話に驚いた。鎌倉時代の武士社会と江戸時代の武士社会とは、全く違う。鎌倉時代は、まだ荘園が残っていて、武士も公家も荘園を持ち、共に大勢力として゛緊張状態を保っていた。応仁の乱を境に、地方の荘園の管理者(豪族)が、京都の戦乱で、本家を喪ったことを幸いに、荘園をのっとり、全国で乱立、戦国時代へ突入して行った。日本の制度その物が、断絶的に実質的に変化してしまった。

元禄文化(1688-1704)は、江戸時代の儒教思想の導入・普及政策で、鎌倉仏教の来世での幸せを願う"憂世"から、現世の幸せを語る"浮世"の価値観に、日本人の人生観を大きく変えた。儒教は来世を扱わない、今世のみ扱う。元禄文化は、今世を肯定する、生命力溢れる文化であった。応仁の乱は日本のハード面(制度面)を変え、元禄文化は、日本のソフト面(精神面)を根本から変えた。

これは、日本史が、とてもスッキリする解説で、小さな驚きでもあった。

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November 15, 2009

雨の中、万騎が原・古戦場

昨日朝9時から、雨の中、"神奈川区いまむかしガイドの会"のツアーに参加した。相鉄線・鶴ヶ峰駅から約4.5キロを、源頼朝の重臣・畠山重忠の史跡を辿った。

畠山重忠は、古くから頼朝に従って行動を共にした武勇・学問・芸術に優れた武将であったと云う。1205年、当時、頼朝に近かった有力武将をことごとく滅ぼしにかかった北条家の策略で、重忠は鎌倉へ呼び出され、埼玉・比企郡の館を出て鎌倉へ、僅か134騎の手勢で向かった。横浜二俣川付近で、雲霞の如き北条勢の大軍に待ち伏せされ、取り囲まれ討ち取られたと云う。

途中、北条勢の待ち伏せに気づくも、ここで引き返しては、武士の面目がたたぬと、僅か134騎は、堂々と大軍と戦い、万騎が原付近まで展戦、奮戦し、約4時間も戦い抜いて果てたと云う。重忠の陣に向かって北条勢が放った矢が、この一帯の一面に突き刺さり、矢畑のようであったとも歴史は伝えている。

相鉄線二俣川は、運転免許の書き換えの場所、万騎が原付近は、毎年、旭ジャズフェステイバルがある場所と思っていたが、このような凄まじい歴史の跡があったことを知り驚いた。このような史跡めぐりは、私は寧ろ、雨が似合うと想った。雨の中、畠山重忠に合掌した。

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July 29, 2009

小石を見つめる

どこにでも転がっている、小さな小石。

そんな、小さな小石でさえも、何十億年と云う、地球の誕生以来の歴史を持っていると思うと、愛おしくなる。

今、何十億年の歴史の頂点にいる。それが、今日と云う日。

可笑しなくらい、信じられないくらい、もったいない時間を感じる。

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July 24, 2009

戦国九州三国志、大友家の猛将・高橋紹運

大友、島津、龍造寺の戦いに明け暮れた、九州の戦国時代のことを知った。(学研、「九州三国志」)

私の出身地、大牟田のシンボル的な山"三池山"にある普光寺は、私が子供時代から慣れ親しんだ場所。最近帰省の度に、大牟田の散策を楽しむ中で、戦国時代、地元で活躍した武将、高橋紹運のゆかりの地でもあることを知った。

大牟田は、大分・大友家の領地。大友家は、佐賀長崎の龍造寺家、鹿児島の島津家と、熾烈な戦いを繰り広げた。高橋紹運は、柳川の立花宗茂の父親。1586年、大宰府北の岩屋城で、わずか700の手勢で、押し寄せる島津の5万の大軍を15日間もくぎ付けにした男。秀吉の九州入城を前に、筑紫を平定したかった島津の戦略を打ち砕いた男。壮絶な死を遂げた高橋紹運を、九州平定後、秀吉は、「乱世の華」と惜しんだと云う。

今度、帰省する時は、高橋紹運を、もっと知りたいと思う。そうだ、私は、大友宗麟の領地にいたんだと、感じることは、小さな驚き。今度のお盆の帰省の自由研究のテーマになる。心の中の「夏休みの宿題」にしよう。

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May 31, 2009

鎌倉時代、比企家の悲劇

先日、鎌倉の妙本寺と云うお寺に行ってみたら、北条に滅ぼされた比企一族の館あとに造られた寺であった。

源頼朝との縁戚になった御家人、北条家と比企家は、勢力争いをしていた。比企家は、乱を起こしたと云うより、謀反の疑いで、先手を打って、北条が比企家のあった比企谷の館を攻めて、討ち滅ぼしたことがわかった。

妙本寺へ行くと、比企家の惨劇の、無念の想いが、残っているような感じもした。

数日後、川越の小江戸町並みを見学に行った時のこと。たまたま入った本川越駅前の居酒屋で、出された減塩醤油、「金笛」のラベルを見て驚いた。埼玉県、比企郡、川島町とあった。

関東武士の比企一族は埼玉を根拠に活躍、頼朝に認められ、鎌倉に来て、1203年、悲劇にあったことが、わかった。ほんの数日の縁で、比企家のことが、手にとるように見えて来るような気がした。

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March 14, 2009

1862年・生麦事件の歴史的意義

昨日、夜、横浜で、1862年発生の生麦事件の講演会(浅海武夫氏)のビデオを見せてもらった。

英国人観光客4人の日本の風習への無知(大名行列に騎馬のまま突っ込む)と、当時の幕府の怠慢(外国人への警告不備)、薩摩藩士の武士として、"尊大な外国人観光客"への正当防衛的斬りつけ。と云うのが私の頭の中に整理された。

その後、この事件に怒った英国は、多額の賠償金を幕府から貰い、更に、薩摩からも賠償金を貰うべく薩英戦争(1863年)に及んだ。鹿児島湾での戦闘の結果、薩摩は大善戦をしたが英国の強さを知り、攘夷政策を止めることなった。その後、英国も幕府を見限り、薩摩と接近して行くことになる。

1864年、攘夷派の拠点・長州も四国艦隊の下関攻撃で、長州も攘夷政策の無駄なことを悟り、大きく明治維新へ向かって行く。まさに、そのスピードを加速させたのが、この生麦事件だったのだ。

1862年、生麦村で、ノーテンキな英国人観光客一行の、無礼な観光行為が、皮肉にも日本を救ったとも云えることに驚いた。生麦事件が無かったら、攘夷派の政策が続き、日本が欧米列強の植民地化へ突き進んだかも知れない。生麦事件は不幸な事件だったが、日本を救ってくれた事件だったのだと、今更ながら驚いた。

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December 13, 2008

室町時代を生きる? 1430年

イスラム暦では、今年の12月29日が、1430年の1月1日に当たると云う。モハメッドが、メッカからメデイナに脱出した西暦622年から1年を354日と数える。

日本では、西暦1428年には、正長の土一揆勃発。応仁の乱は1467年に始まった。

今を、1430年と考えることは、何だか、異次元世界を感じて楽しい。

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November 24, 2008

三田祭、満洲国紙幣との出会い

昨日、慶應大学の三田祭のロシア研究会のコーナーのそばを通った時、偶然、満洲国紙幣の話が耳に入り、立ち寄った。ロシア発行の紙幣の歴史が実物紙幣でアルバムになっていて、夫々の紙幣の説明中で、丁度、満洲国侵攻の後、ロシアが発行した、満洲国紙幣の4枚であった。私は、思わず駆け寄り、説明を熱心に聴きいた。

説明していた男性の学生は、私の両親が満洲引き揚げ者であることを知り、その中の一枚の紙幣を私にくれると云ってくれてビックリした。こんな貴重なものをと思い、感謝しながらも一度断った。その後、更に話をしている内に、私は、明後日、会食する予定になっている満洲・鳳城会の人達に、この紙幣を是非見せてやりたくなり、彼の厚意に甘え、やはり、一枚頂くことにした。赤い印刷の十円紙幣で、印刷にロシア紅軍指令部、1945年とあった。

この十円紙幣は、ロシア軍侵攻後、困窮した母が、飴玉を売って、靴を磨いてもらった十円紙幣だったかも知れないと想うと、思わず目頭が熱くなった。

紙幣をただでくれると云った学生は、「お返しします」と云った。何を云われたかわからず、私は聴き返すと、彼は、ご両親へ「お返し致します」と云うのである。私は、この感動の言葉に、また胸をうたれた。三田祭で、このような素晴らしい体験をしようとは、思いもよらない驚きの出会いであった。

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October 04, 2008

信長・秀吉事件

歴史を勉強した上で、信長や秀吉を尊敬する人は、意外にも多いと思う。政界や財界と云った社会のリーダーにも多い事は、私にとっては、驚く程、嘆かわしい気持ちになる。

信長や秀吉に限らず、私は、その歴史上の人物が、我欲・強欲にとらわれ狂人状態であったかと云うことを想像してみる。意外と歴史を動かして来た人々は、そのような修羅・餓鬼道のような状態であったろうと思う。

何かの目的の為には、手段を選ばなかった彼等の行為が、寧ろ尊敬に値すると云うのであろうか?

社会・人々の為にと云う気持ちが、信長・秀吉にあったであろうか?社会・人々の為にと云う気持ちが根底にあったならば、あの残虐非道、殺戮、侵略を行っただろうか?歴史上に名が残って社会を変えたとしても、それは我欲のなせる極端な事件のようなものであったと思う。

歴史や社会は、極端な我欲のぶつかり合う、戦いの事件簿みたいなものか。私なら、尊敬するに値する人は、我欲から遠ざかった、利他の心を持った、名もない、普通の人にそれを見出す。

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June 04, 2008

人生を日本史的に表現すると、

人生を日本史になぞらえると面白い。

幼児時代は、縄文・弥生時代。卑弥呼は母か?絶対権力者であり、神でもある。

小中学校・少年時代は奈良時代。友達から沢山の新鮮な文化が入って来る。人間としての勃興期。

高校時代は、平安時代、美の世界に目覚める。

大学時代は、鎌倉時代。蒙古来襲の危機を乗り越えたかと思うと、戦乱の時代への前ぶれ。

就職してからは、長い戦国時代へ突入。そして戦国時代の後は、長い鎖国もある。

定年の頃は、明治維新。会社中心主義から、大政奉還。即ち自分の正統性の奪還。

その後は、大戦なのか、原爆なのか、穏やかな平和なのかは、定年後のその人の近代化・施策次第。

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