August 17, 2018

ロシアを知る刺激、

昨日は、カリスマ会(異業種交流会)で、聴いたメンバーの方々の近況報告でロシアのことを知る興味が喚起された。

スターリンの時代の暗い時代のロシアの映画があると聴いた(スターリン葬送曲?)2400万人が虐殺されたと云うスターリン時代。(ヒットラーの1700万人の虐殺より酷い)

メンバーの人がロシアの人から聴いたロシアの論理では、1945年9月2日のミズーリ艦上の日本の降伏文書調印まで、正式には戦争は終わっていないと云う論理だったと云う。

人との日々の交流の中で、私の新たな興味が私を刺激する。

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June 12, 2018

米朝会談の日、

今日は、将来、世界史に残る日、「米朝会談」の日。

日々の出来事の中に、自分の身近な一日の中にも、世界史的なイベントも起きている。

金正恩委員長が昨夜シンガポールのマリーナベイホテルの最上階の展望台からシンガポールの夜景の観光もしたニュースが流れていた。

拉致被害者の横田早紀江さんが、娘のめぐみちゃんが帰って来ることを夢見る映像がTVに流れていた。

北朝鮮が、平和的な普通の国になるきっかけになって欲しい。

世界史の1ページになる日に、私には、淡々と普通の日の一日が始まる。

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May 30, 2018

米朝首脳会談の行方、講演会、

昨日、会社帰りに、神田神保町の学士会館に、「米朝首脳会談の行方」に関する、韓国の研究者の講演を聴いた。金京雄・韓半島統一研究院院長と、ランコフ韓国国民大学教授(ロシア人)がハングル語(通訳付き)での講演と質疑であった。

北朝鮮が求めていると云われる「体制保障」の意味合い、アメリカが求める「非核化」の現実味などを、ハッと気付かされる想いだった。

両首脳の型破りな人格が、世界史を動かしていることを想った。

真剣に、米朝首脳会談の行方を考える自分を新鮮に感じた。それは、人生の学びでもある。

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May 28, 2018

戦艦「三笠」艦上の式典、

昨日の昼、横須賀の戦艦「三笠」艦上で、日本海海戦第113回記念式典が開催され、私も出席した。

小野寺防衛大臣や米海軍の第7艦隊ソイヤー司令官なども式辞を述べた。

対馬沖で、1905年5月27日1355、連合艦隊の旗艦「三笠」は、Z旗を挙げ、海戦の火蓋を切った。Z旗は、もう日本には、後がないと云う意味の悲壮な覚悟の意味。当時のアジアは、欧米列強の帝国主義支配が急拡大していて、アジアの8割が植民地化していて、植民地化されてないのは、日本とタイの2ヶ国だけであったと云う。

まさに、日本に対するロシアの進出の危険がさし迫った時代背景にあった。

毎年、三笠記念式典に出ることは、私の人生をも鼓舞する。

今でも「三笠」は、皇居に船首を向け、東郷平八郎元帥の銅像は、対馬沖を向いている。


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May 24, 2018

日本海海戦記念日、5月27日、

また今年も、5月27日は、日本海海戦記念日がやってくる。

横須賀の戦艦三笠の艦上で行われる式典に、三笠保存会の方との縁で何度か、出席して来た。

太平洋戦争の時、米国の太平洋艦隊のニミッツ提督は、東郷平八郎元帥に心酔していたと云う。それで、戦後、朽ち果て同然だった「三笠」を保存する資金の半分をアメリカから出すことに尽力したと云う。

世界史上、有色人種が、初めて白人との戦争に勝って、世界の白人優位に風穴を開けた海戦。

西欧列強の植民地支配が吹き荒れる時代背景の中、ロシアの南下と日本の植民地化から救った歴史的海戦が1905年の5月27日の日本海海戦の勝利だった。

毎年、1905年の世界情勢の緊迫感を想い出すことは、私の人生観にも大事なこと。

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April 30, 2018

武家屋敷や江戸時代の日本橋の写真、

最近のニュースで、江戸時代に来日したオーストリアの写真家のミヒャエルモーザが残した1859~1860当時の江戸の写真が最近、オーストリアで見つかったことに驚いた。江戸時代最古の写真だと云う。

昨日夜、NHK.TVで放映され、その写真の一部を見た。

立ち並ぶ武家屋敷の屋根屋根の光景、当時の日本橋の光景、町中の路地での洗濯もの干しの様子も。

約160年前の江戸の写真、当時の世界一の人口、100万人が住む大都市だった江戸。

写真で見れるところが、やはりすごいと想う。

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April 01, 2018

満州から引き揚げの秘話、

先週の土曜日に続いて昨日の夜、NHKで、「どこにもない国」と云う満州国からの150万人の邦人の引き揚げの歴史秘話の映画を見た。

当時の両親の人生の過酷な運命が迫って来て、涙した。

終戦後、初めて引き揚げ船がコロ島に向かったのは終戦から9ヶ月後のことだった。初めての引き揚げ船が佐世保に着いたのは昭和21年5月14日のことだった。

当時の過酷なシーンは、両親が語りたくなかったことばかり。

私に、今でも無言で励まし与える両親の人生がある。

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March 22, 2018

明治維新150年、彰義隊のことを学ぶ、

昨日、雪の降る中、初めて四谷の新宿歴史博物館に、歴史家(安藤優一郎氏)の「明治維新150年、彰義隊の戦い」と云う講演を聴きに出かけた。

彰義隊のリーダーに渋沢栄一の従兄・渋沢成一郎と云う人物もいたことを知った。寛永寺の彰義隊に、今の東大辺りからアームストロング砲を打ち込んで、勝敗は決定的になったと云う。

彰義隊約1000名が立て籠もった寛永寺は今の上野公園、国立博物館のある場所は御本坊と云う中心地。

江戸城無血開城から2か月後の1868年5月15日、彰義隊への総攻撃が始まっている。

150年前の前のこと、そんなに遠い日とは思えない気持ち。

勝海舟、山岡鉄舟、西郷隆盛などの交渉の逸話も、改めて、生々しく感じた。

戊辰戦争の頃が、たった150年前のことと云う驚き。昨日は雪の中、歴史トリップ。

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February 13, 2018

東京大空襲の落語、柳家さん八師匠

先日、落語と映像で学ぶ「東京大空襲」と云うイベントが、九段の「昭和館」であった。

東京大空襲の時、地獄絵の中、逃げまどい母親の背中で死んだようにしていた赤ちゃんの話、その赤ちゃんが、73年後、東京大空襲を伝える落語をやっていた。

東京大空襲でさえも、悲惨さを伝えながら、落語で伝えられることが、すごいなぁと想った。

たった73年前のこと。

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November 27, 2017

戦場体験者との茶話会、浅草公会堂、

昨日は、浅草公会堂で開催の「戦場体験者と出会える茶話会」に出席した。

これが語らずに死ねるかと云う戦場体験者の方々約30名が、24日~26日、それぞれの体験を茶話会形式で聴く会。私は、満州引き揚げ体験の方々のテーブルに座り、2人の方の体験を聴いた。

私の母が赤ちゃん連れでいた日本の収容所と云うものの様子を初めて知った。

満州から今の北朝鮮に来て、日本人収容所で1才半の妹を亡くされた方は、小さな木で作った位牌を持って来られて、その位牌にお母さんの当時の句が書かれていた。「かりそめのえにしとは云え、諦め切れぬ今日の悲しみ」「身はたとえ南甫の山に朽ちるとも御霊よ帰れ母に抱かれて」

妹をリンゴ箱に入れて埋葬した丘には、近くにロシア兵達が行進していた、ロシア兵達が歌っていた「カチューシャ」の歌が忘れられないと。

また、もうひとりの証言者の方は、引き揚げ船が、いよいよ佐世保に着く時の日本の陸地の光景、夏の青々とした緑が忘れられないと、そして、甲板で、日本で当時流行っていた「リンゴの歌」をアコーディオンで弾いてくれた人の、「リンゴ可愛や🎵可愛やリンゴ」の調べが、忘れられないと云う,

私の人生に迫る満州,私は、両親との一体感に浸る日であった。

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