June 24, 2018

互助会セミナー、セミプロ落語会、学びがいっぱい、

昨日の午前中は、新横浜のエヴァホールと云う会場で、葬儀セミナーの講演を聴いたが、沢山の学びがあり、どこにでも顔を出す自分の行動に大満足した。

幸せに生きるための終活は、ちょっと夏休みの宿題の仕方と似ている。心の余裕の問題かなと想う。宿題に憂いなく、宿題をむしろ楽しんでいるとき、夏休みと云う名の人生は輝く。

そして、人生への想いが凝縮した辞世の句、素晴らしい辞世の句を詠む憧れも、湧いて来る。

午後は、桜木町の賑わい座で開催のセミプロさん達の落語、これも毎年来ているが、むしろセミプロだからこその魅力や芸風(学びの姿勢や謙虚さ、新鮮さ)が心地よかった。

江戸落語「芝浜 」には、また、わかっていても、泣かされた。

落語の合間の三味線に、「雨に色増す紫陽花の薄紫の愛しさに、そっと寄り添う傘の内」なんか聴かされたんじゃ、しびれるじゃねぇーか。

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June 20, 2018

夏休みの宿題のように、

夏休みの宿題は、締切ギリギリの象徴。

人生の宿題はどうかと想う。

もっと早くからやればよかったこと、まだ着手していないことなど想う。

人生の宿題は何かと想う。

今からでも、宿題を想い出すことの大事さを想う。

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June 18, 2018

誰にも知り合いに会わない一日、即ち、透明人間の日、

昨日は、午前中のミキ食品の宅急便の荷物受け取りの予定で一日、他の予定を入れなかった。想ったより早く11時くらいに宅急便は届いて、午後は、完全な自由な時間が訪れた。

暫く考えて、行きたかった憲政記念館の資料見学に出かけた。以前ちらっと見て、沢山のドキュメントや映像もあり、日本の議会政治の歴史を全体的に知るよい資料館だと想っていた。

国会議事堂前の公園も、憲政記念館も、休日にも関わらず人影もまばらだった。

帰りは渋谷の「鯨屋」に立ち寄り、久しぶりに好きな鯨を食べて帰った。

街を歩いて、一日動き回っている時、自分が、透明人間のように感じたり、もうこの世にいない人間になったつもりとかを楽しんだ。

生きていて、死んでいる境地。死んでいて生きている境地とは、こんなものじゃないかとか想像して楽しんだ。

夕方、娘からラインで父の日のメッセージが入り、ハッと我に返った。


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June 14, 2018

人生も季節と同じ、一日も季節と同じ、循環の永遠、

春夏秋冬の季節を人生になぞらえる。それぞれの季節のよさを想う。ただ、その時の季節を味わう。季節は比べようもないそれぞれの味わい。

一日を季節になぞらえる。朝、昼、夕方、夜、比べようもない。

そして、また、次の朝を迎える日々。

地球の自転や、太陽の周りを回る公転を想う。

繰り返す循環の中の永遠の営み。

ただ、季節を味わうように、一日を味わう。人生を味わう。

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June 07, 2018

生き方を眺める、

研究職の人は、研究に夢中になってお金や地位、健康に拘らない人もいる。

スポーツも、スポーツに没頭していれば、お金も名声も付いて来ると云う生き方。

サラリーマンも仕事に没頭して、お金も地位も後から自然に付いて来ると云う生き方の人もいる。

お金を中心に、目的として生きている人もいる。

偉くなることを目的として生きている人もいる。

没頭すること、夢中になることが、個人の幸せに限定されているときは、結局は人には、軽んじられ軽蔑すらされる。

自分が、広がっていくプロセスが成熟、個人から家族、地域、国、世界、人類、地球、、、広がる力は神、仏性、真理。それは圧倒的な安らぎ。

人に安らぎを与える生き方をしているか否か?を問い続けながら生きる。

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June 05, 2018

「何か欠けてないと嫌われる」

円覚寺の夏季講座の中で、高田明和氏(医師)曰く、「お金、地位、健康などで、人は何か欠けてないと嫌われる 」と云う話に苦笑した。

幸せいっぱいの人、幸せいっぱいを公言している人は、内心では人に嫌われていると云う見方は、確かにと想う。

何か欠けていることの、魅力を想う。

アンバランスのバランスと云う感じ。

自分が、欠けていることを恥じてはいけない。ハンディキャップは、むしろ魅力にもなる。

何か欠けていることは、人に受け入れてもらえること、人間の仲間のしるし。

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June 03, 2018

「ママ、死にたかったら、死んでもいいよ」岸田ひろ実さんの講演、

「冬の朝、白い布団で寝る草木」、昨日、鎌倉円覚寺の横田管長の早朝の法話の中で、紹介されたある子どもの句、新たな視点にハッとさせられる。

昨日、円覚寺講座で、「ママ、死にたいなら、死んでもいいよ」と云う本を書かれた岸田ひろ実さんの講演を聴いた。障害のある長男、自らも病気で車椅子の生活、17才の長女に云われた言葉、「ママ、死にたいなら死んでもいいよ」。

娘から云われた言葉の優しい響きに私は、私は、心を打たれた。

その絶望を共有してくれた言葉に、岸田ひろ実さんは、新たな生きるエネルギーを与えられた。今では、娘さんの障害者支援の会社(ミライロ)で母子で活き活きと働いてらっしゃる。

歩けなくなって、歩ける時代より幸せになりましたとまで言い切る岸田ひろ実さんの凄さにも驚いた。

バリアフリーのように、「バリアバリュー」と云う言葉に彼女の凄さが現れている。「バリアバリュー」とは、障害があってこそ生まれる新たな価値。

そんな縁に触れた日、昨日は、横浜は、花火大会の日だった。

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June 01, 2018

拉致問題、自分のことだったら、

拉致問題、拉致被害者の横田さん夫妻のニュースを見る度に、横田早紀江さんの悲しみ、横田滋さんの悲しみを想う。横田めぐみさんの悲しみを想う。

私は、娘の子ども時代のことを想い、もし娘が突然、あのように拉致されてしまったら、、、途中でいつも思考が停止してしまう。

そんなことを考えることに耐えられないのだ。

横田さん家族にとって、人生はどう見えるだろう?

突然の悲劇,その悲劇を抱えたまま耐える日々,祈りの日々,活動の日々,いつしか、神の光に包まれる日が来るのだろうか?

横田早紀江さんの表情に、悲しみの中の強さも感じる。横田さん家族の人生が迫って来る。

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May 27, 2018

高校留年の効用、

私は、高校2年生の時、病気で留年したから、高校の2学年が私の同期生になる。

昨日の三池高校の関東櫪友会は、約束350名が市ヶ谷アルカディアに集った。私は、高校2年の1学期が終わったころ、マラソンを急にやめてしまったせいか、肺浸潤と診断され、入院した。1カ月以上入院し、その後の自宅療養もあり、思い切って留年して、高校2年生を2 回やった。

高校留年の体験も、今となっては、幅広い同窓生が出来て、よかったように想える。

昨日は、その1学年下の同窓達との語らいも、ボンヤリわかる友やお互いにまるっきり想い出せない友など、小さな驚きだった。私は、先日、偶然に再会した友との写真も持参して、彼らに再会した様子を伝えた。

29才で亡くなった姉の同期生の方とも、アルカディアの会場に歩く途中で偶然に会い、姉との想い出話をした。会場に来ていた、亡くなった姉の主人からも、子供の近況を聞いた。

いつも人生は、生きるのに一生懸命、同窓会は、そんな人生に、ひと休みのひとときを与えてくれる。

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May 23, 2018

「親は、子供に対して永遠の片想い」

何日か前に、「親は、子供に対して永遠の片想い」と云う言葉をTVで聴き、えらく感動した。

親としての私と、子供としての私が、浮かんだ。

親が生きている時に、私は、親の片想いに十分に気づいてやれなかったことが、懺悔にも似た心残り。

親としての私は、半ば子供への片想いは、心地よい諦め、何も連絡してこない娘は、自立している証拠。逞しく、生きているならば、私に連絡してこなくてもよい。それも、甘い片想い。

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