初めての小唄の会、日本橋三越劇場、
今日は、初めて、小唄と云うものを知った。
長唄は、歌舞伎とかで出る唄で、小唄は、短い簡単な唄、三味線で唄う。
暖簾くぐって居酒屋の、一人手酌も、身について、酒が女房の旅まくら。
例えば、小唄とは、そんな感じでした。
初雪に降り込められて向島、好いたどうしのさし向かい。
誰に買われて行くとも知らず、博多人形 片えくぼ。
なんか、日本酒が美味しそう!!
今日は、初めて、小唄と云うものを知った。
長唄は、歌舞伎とかで出る唄で、小唄は、短い簡単な唄、三味線で唄う。
暖簾くぐって居酒屋の、一人手酌も、身について、酒が女房の旅まくら。
例えば、小唄とは、そんな感じでした。
初雪に降り込められて向島、好いたどうしのさし向かい。
誰に買われて行くとも知らず、博多人形 片えくぼ。
なんか、日本酒が美味しそう!!
昨日、会社帰り、上野の不忍の池のライブハウスで、初めて加藤登紀子のライブを聴いた。
私は、1970年代の学生運動時代の香りを感じた。彼女の故 中村哲さん(ペシャワール会)とのエピソードも感慨深かった。
加藤登紀子の100万本の薔薇は、味わい深い。私は、アラブに単身赴任していた商社マンの歌を思い出した。私は、初めて、100万本の薔薇を聴いたのは1989年、アラブ首長国連邦でだった。
加藤登紀子さんの歌は、伴奏するのは、何と久しぶりに見る、鬼武みゆきさん(ジャズビアノ)のビアノ演奏であった。
「ああ、上野駅」を感じるアメ横のある上野の不忍池のそば、老舗の亀屋のウナギを食べて、加藤登紀子さんの人生を旅した。
昨日、ハートオブミラクル社配信の映画「僕の後ろに道は出来る」の上映会(二俣川の公文書館)に行った。
脳出血で、植物人間になった42歳の宮田俊也さんを、養護学校の同僚 山元加津子さん(カッコちゃん)が母親のように介護して、見事なリハビリの感動の実話。
植物人間と云われる人達は、何も分からないと思われていたが、実は、全てを分かっていた。
人間の美をこんなに、分からせてくれる映画は、中々ない。
私が、また、自主上映会を企画したい映画だ。
私の、新たなプロジェクトがまたひとつ。
昨日、週末の旅の新潟から横浜へ帰って来た。
新潟に台風が来る前の昨日、新潟を脱出。
新潟では、オンラインで、7月に行ったカナリア諸島の旅の報告を、小田原箱根ガイド協会の例会で、報告した。新潟駅前のカラオケルームをレンタルオフィス代わりに使って、オンライン報告。
新しい体験は、宿泊した長岡のホテルのそばを朝の散歩した時、知らない街の朝の空気の新鮮さは、格別だった。
新しい人生を感じた。
長岡には、貞心尼のゆかりの地らしいポスターが、印象に残った。
良寛さんとの句集をまとめた貞心尼の歌集の名前は、「蓮の露」、蓮の露のみずみずしい光景が浮かぶ。
旅の醍醐味は、そんな小さな感動。
今回の佐渡古民家の旅、仲良し4人組の旅、楽しかったなぁー。
高校時代の、ゴシップ話を、盛って、大笑いのオンパレード。
こんな人生の楽しみかたも、あるのかと思った。
人生の泣き笑いを、全てギャクネタに変えて、酒の肴にしてしまう。
旅と人の小さな驚きの醍醐味。
佐渡の従兄弟の家から50mの古民家の縁も、驚きだった。人生の縁。
今朝、新潟から新幹線通勤。0750新潟発新幹線で東京のオフィスに向かう。
新潟では、今度全国良寛会の会長になる予定のWさん(元新潟市副市長 大学同級生)と昨日の夜、居酒屋懇親会。
「盗人も残していけり窓の月」
「炊くほどに風がもてくる落葉かな」
とか、私の好きな良寛さんの句。旅と人に、いつも人生の心地よい驚きをもらっている。
数日前に、銀座三丁目のサロンで、勝新太郎の元マネジャーのアンディ松本さんのトークショーを聴いた。
「芸に倒産はない」
1万円のチップは、周りの人達への感謝の「授業料」だった。
との話など、感動の嵐。
凄い人物がいたもんだと唖然とした。
サラリーマンには、絶対いない。
昨日の驚きは、伊豆高原の山中に、洗練のジャズ喫茶を発見、しびれた。
東大卒の建築士の山中の展示の面白さ、興味あることに、自由にのめり込み学ぶ姿勢が、しびれる。
西成のおっちゃんは、畑仕事の合間に、気の流れの整体治療をしてくれた。カリスマ的な治療士の、おっちゃんの笑顔は、まさに西成のおっちゃんの称号が相応しい、カッコよさ。
今朝は、天城の坐禅道場で、早朝4時から坐禅。
夜は、藤澤へ戻り、シャンソンのライブ。
日々の新しいページの縁が、私の人生を形創る。
昨日、品川駅の構内で、熊本物産展をやっていた。
懐かしさから、スズメの玉子と云う豆と、マルボーロと云う菓子を買った。ついでに、「すいぜんじ」と云う餡子の入った菓子も。
店には、「くまモン」も、いた。
故郷大牟田に、また、帰らなきゃ。
今朝ラジオで、「山の歌」と云う映画の紹介を聴きた。
日本人は、キツネに騙されなくなった。1965年頃からだと云う。
岩手県 遠野の森で、監督は、着想したと云う。
何か、神秘的なチカラの存在を、私は、今、懐かしく、また、ロマンとして想い出している。