October 20, 2018

禍福一如、因果一如、自他一如、

「禍福一如」は、「順教尼」の映画の中で印象に残った言葉。幸せも不幸も表裏一体のものを教えている。幸せの条件も、不幸の条件も、突き詰めて行くと定まったものはない。自分が決めていることに気付く。

「因果一如」の門開け、とは白隠禅師の坐禅和讃の中にある。過去も未来も無い「瞬間瞬間の永遠性」を、前後裁断された永遠性を想う。年をとる感覚が消えてしまう。

「自他一如」は、「一即一切、一切即一」の境地。観察する対象はない。森羅万象の参加者。森羅万象との一体化は、即ち「神」。

これらの言葉は、人生の航海を導く灯台の灯り。

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September 23, 2018

お手上げになってから、道は始まる、

昨日の住職の法話から。

自分自身では、もうどうすることも出来ないとさとったとき、お手上げになった時に、道は始まる。

「苦」のおかげで、やがて霧が晴れて来る時がある。

過去の記憶も、未来の憶測も共に「気分」、気分が消えたところに無分別の刹那。刹那消滅は即ち前後裁断、永遠の安らぎ、神、アートマン、太極がある。

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August 08, 2018

「頼りがいのある自分」、「星の王子様」から、

今朝530からの「100分で名著」は「星の王子様」だった。

「砂漠が美しいのは、井戸を隠しているからだよ」

静かな幸せは、想像力がないと味わえない。

頼りがいのある自分がいれば、その静かな幸せにめぐり会える。

他に頼りがいのある人を求めるのは、寂しがり屋の人間の傲慢さと苦しみだと、気づかせてくれる。

「頼りがいのある自分」とは、想像力の地平線の果てに「自他一如」に気づくことかと想う。

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August 01, 2018

アウシュビッツとジャスミンの花、

昨日、新潟に住むカトリックのアンリ神父からもらったメールに感動で心がふるえた。

数日前に遠藤周作の「沈黙」についてメールしたことへの返信メールであった。

1943年に29才で、アウシュビッツ収容所で亡くなったオランダ系のユダヤ人女性作家エティ・ヒレスムの残した言葉だった。

アウシュビッツ収容所で死んで行くことと、美しいジャスミンの花が咲いていることを共に受け入れて、人生は一瞬一瞬が素晴らしいと云っている。

残酷な迫害とジャスミンの花は分けることが出来ないものとして受け入れ、迫害は彼女の精神を侵すことはなかった。むしろ、それらの出来事が彼女の精神を高めたと云う。

そんな逸話を、アンリ神父は送ってくれた。

私が、想いもよらなかった境地、アウシュビッツとジャスミンの花の衝撃であった。

「主よ、人間がこんなに哀しいのに、海があまりにも碧いのです」につながる。

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July 30, 2018

長崎県外海町、「踏むがよい」と云うキリストの言葉

昨日の朝、NHK「こころの時代」で、遠藤周作の「沈黙」の話を聴いた。

長崎県外海町にある枯松神社は、隠れキリシタンが密かに守って来た教会であった。私は、母の実家が、まさに、隠れキリシタンの村のそばだったことに感動した。

ロドリゴ神父を密告したキチジロ-を、キリストを密告したユダになぞらえる。

キリストは云う、密告者に対しても「安心して行きなさい」と。

「沈黙」は、何も云わない何もしてくれないことではなかった。一緒に苦しむ沈黙であったことを知る。

踏み絵を踏む信者に、「私は、貴方に踏まれるためにある。安心して踏みなさい」と云うキリストを知る。

「この愛を知るために、これまでの人生が必要であった」と云う感動に浸る。

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July 28, 2018

7月29日(日)「こころの時代」の放送延期、

以前、私のブログでも報告していた7月29日(日)0500~放送予定だった住職の「こころの時代」の放映は、取材の遅れから延期となりました。

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July 17, 2018

カゴで水を汲むのでなく、カゴを水に漬ける、蓮如の言葉、

昨日、猛暑をおして、夕方、鎌倉に出かけた。

夕方は人ごみも一段落して、若宮大通りにある仏教カフェにて、静かなひとときを過ごす。

仏教の有難い教えも、すぐ忘れてしまい、穴だらけのカゴで水を汲もうとしているようなものと嘆く人に、カゴを水に浸しなさいと教えた蓮如。(蓮如は室町時代の浄土真宗の僧侶)

今日も、鎌倉に来た甲斐があったなぁと想った。

たまたま、鎌倉のライブハウスに来た私に、蓮如の教えが語りかける。

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July 14, 2018

起きたら粒子、寝たら波動、

朝起きたら、波動だった私か粒子に代わり、人間の身体を持ち、活動し始める。夜寝たら、宇宙の波動となって宇宙に漂う。

人生もそう、生きてる間は身体と云う粒子になり、身体が消えて波動になって、次の身体を得るまで漂う。

昨日は、昼は石油大手元売りとアラブ人の転勤送別ランチ、夜は大手商社との送別の夕食、合間に会社の業務と云う感じの一日だった。

メンバーは、全て、私より若い世代の時代、そんな時、禅の思想・哲学が私に、すごい示唆ひらめきを与える。肉体も心も、 ただ、その時の独特の輝きがある。病んでも健康でも関係ない。病んでも、独特の輝きに変わりない。優劣はない。若さ、年齢による人生の輝きは、種類が違うだけで、輝きの素晴らしさに優劣はない。

毎日、毎日、新しい粒子となって、人生を探検して生きる。

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July 08, 2018

教祖を立てないことが、修行の入り口、

オーム真理教教祖の死刑執行に因んで、昨日は、坐禅会の後の住職との懇親会で、宗教に於ける教祖が、いかに修行に反することかと云う考えを聴いた。

古く禅寺では、出家して修行したいと云う人に「貴方は誰ですか?」と問う。それに対して、「私は仏です」と云う気概がない限り、弟子にしなかったと云うエピソードをよく聞く。

「私は仏」と想ってないから、教祖のマインドコントロール下に入って行く。盲信したらもう修行ではなく、教祖しだいで危険集団にもなって行く。

私が神だと云う確信がなければ、修行の入り口にも立てない。然らば、人は仏なら何故修行するのかの問いに、道元禅師は、「修せざれば表れず、証(実践)しなければ得ることなし」と説いている。人が、仏とわかっていても、仏を実践しなければ仏になれない。

修行する前に、もっと苦しんでからじゃないと、修行の門すら叩けないと云うことかと想う。

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July 04, 2018

「何故」の鎖を辿る旅、河合隼雄の世界、

今朝、0530からTV「100分で名著」は、臨床心理学者の河合隼雄さんの世界だった。

色んなことに、「何故」を繰り返していくことの探求は、「神」へ続く道だと想う。

「何故」の問いの鎖は、高次の平衡状態へ導くと云う。

そして「個」から「普遍性」へ。

自分の物語を語りながら、やがて、普遍性へ、神の世界への物語に変わって行く。

私の人生の物語も、「何故」を辿ると、神の世界へと続くように想う。

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