August 24, 2017

「魚の目利き事典」、講談社

昨日は、会社のアラブ人が探して来た寿司屋さん(西麻布)へ、日本の顧客2人を招待して夕食。

この寿司屋さんは、大きなホテルのコインシアージュからの推薦で、お客さんが来ると云う店であった。

板前さんは、アラブ人2人やお客さんに、魚のカラー写真の載った小さな事典を出して説明してくれた。

「魚の目利き事典」(講談社)である。

私の、外国人へのガイド業務に、大変参考になると想った。

私も、この本を買ってみようと想う。ちょっとした「さかな君」になる楽しみ。


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July 11, 2016

愛の叡智、ヴィヴェーカナンダ講演集、

昨日、高知からの友人と浅草で飲んだ時の帰りの頃、彼がいつもカバンの中に持ち歩いていると云う本を取り出して、見せてくれたのが、何と、ヴィヴェーカナンダ師の「愛の叡智」だった。

今は絶版となっているが、住職がヴィヴェーカナンダ師を知ることとなったキッカケの本、坐禅会でも何度も紹介して貰った本。

私が高校時代にヒッチハイクした友が、20年以上前から、いつも持ち歩いていると云う縁に仰天した。

私は、じかに愛の叡智の本を手にして、彼に1週間、私に貸してくれと頼みこみ、借りることにした。

私も、読むべくして、住職や親友から、縁に繋がれた「愛の叡智」を、じっく読まねばと想った。

隅田川の河畔のカフェでワインを飲みながら、スカイツリーの夜景と共に、不思議なヴィヴェーカナンダ師の「愛の叡智」との深い縁を想った。

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April 21, 2015

家族と云う病、凄い本、

最近、元NHKアナウンサーで作家の下重暁子さんが、「家族と云う病」と云う本を出された。

新聞の広告だけでも、強烈な言葉が散りばめられていた。

家族のことしか話題が無い人は、つまらない。

家族の話は、所詮自慢か愚痴。

家族は、何故排他的になるのか。

家族写真入りの年賀状は、幸せの押し売り。

孤独死は、不幸ではない。

など、神聖化されて来た家族を斬る内容に、とても惹かれた。

私は、家族は、愛を学ぶ入り口であるが、そこに留まることは、エゴの塊となり、醜く苦しみから逃れられないと想う。

波(個)は、家族から大海の入り口まで連れて行ってもらえるが、そこに留まっていては、ただエゴ(業)が拡大しただけ。

大海(真理・仏性)は、家族など遥かに超えた、万物との一体感。


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June 21, 2014

テイクナット・ハーン、ベトナムの禅僧の書籍、

先日、住職に、テイクナット・ハーンの著書、"死もなく、怖れもなく"(春秋社)を、紹介され、読んでみた。

テイクナット・ハーンの名前や、いくつかの言葉は、聴いたことはあったが、彼が、住職の師の師、原田祖岳老師の米国人の弟子カプロさんと、禅の繋がりがあったことを、最近、住職から聴いて初めて知った。

書籍には、ヴィヴェーカナンダの表現力に劣らないくらいの禅の思想が、散りばめられていた。

「無常は、私たちが変容し、癒され、解放される為の道具である。一粒のトウモロコシも無常でなければ、トウモロコシの茎はできない。トウモロコシの茎が無常でなければ、私たちが食べるトウモロコシの穂はできない、貴方の娘が無常でなければ、成長して女性になれない」

「愛は、無常と共に、生きのびる」。

「誕生の瞬間は、貴方の継続の日に過ぎない。」「生も死も、永遠の変容」。

シェークスピアは、「生きるか、死ぬか、それが問題だ」と云った。仏陀なら、「生きるか死ぬか、それは問題ではない」と云っただろうと、"生ぜず滅せず"の世界を、色々な言葉で説いている。

道元禅師、白隠禅師、ヴィヴェーカナンダ、テクナット・ハーンと、色々な言葉で、頂きを眺める。

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December 02, 2012

「世界の古典13」、近藤康太郎著、講談社、

古典とは、何十年、何百年に一人と云った天才が、一生を費やして書いたものだ。これを書かなければ死ねないと心で叫んで、遺した命の精髄である。

「古典を読まない人はアホである、損である。」と著者は前書きに書いている。

著者が選んだ古典は、チェーホフ、ラブレー、中島敦、トルストイ、ドフトエフスキー、森鴎外、夏目漱石、エミリ・ブロンテ、シェイクスピア、ゲーテ、ヘーゲル、マルクス、であった。

パラパラと読み始めると、確かに、人生の叫びが聴こえる。

著者は、八木重吉の「虫」と云う詩も引用していた。

「虫が鳴いている。いま、鳴いておかなければ、もう駄目だと云うふうに鳴いている。自然と涙に誘われる。」

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April 28, 2012

"死ぬのはガンに限る"、中村仁一医師著、驚嘆する新刊

最近の日経新聞の新刊広告に度肝を抜かれた。

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(幻冬舎新書)に、"死ぬのはガンに限る。但し治療はせずに。"と紹介してあった。

"死は苦でなく楽だった。""医療が穏かな死を邪魔している。" "出きるだけ手を尽くすは、出きるだけ苦しめる。"

"食べないから死ぬのではない。死に時が来たから食べないのだ。""ガンは完全に放置すれば痛まない。"

"ガンで死ぬんじゃない。ガンの治療で死ぬのだ。"

とにかく、"死ぬのは、ガンに限ると"いう表現はスゴイ。何故か、禅と繋がる思想も感じる。

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December 31, 2011

大晦日の朝、ブッダの言葉、道元の言葉が溢れて

今日は、2011年の最後の日。

昨日、みなとみらいで、偶然入った書店で、「ブッダの言葉」、「道元の言葉」、「般若心経の科学」と云う本が目に入り、衝動的にそれらの本を買った。

ブッダの言葉、道元の言葉に、ハッとさせられる。やはり私は、導かれているのだと思う。

さて、今日は、ちょっと曇り空に、目玉焼きのような朝日。

私の心を整え、生き方を整え、新しい年を迎えようと思う。 2011年大晦日の朝。

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November 14, 2011

藤原新也さんの満月の詩、被災地の瓦礫の上に耀く月、

先日、坐禅会の方から、藤原新也さんの満月の詩のコピーを頂いた。

私の心に残った部分、

「その美しい光は、粉々になった普通の人々の生活や、無数の死者を出した瓦礫世界を照らし出していた。

絶望の上に、子らの腐臭の真上に、その満月の美しさとポーカーフェイスが憎かった。

だが、暫くして不思議と、その怒りや憎しみは、憎いと感じたその月の光で洗い流されようとしていた。

その青い光は、地上の悲惨さを、その慈悲の眼と光で照らし出す観音のようなものにも感じられ始めたのだ。」

悲惨な惨めな被災地の瓦礫の上に、白く耀く月の写真に、その詩は添えられていた。

2011年11月13日の記、

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August 24, 2011

「イチローを創った、魔法の言葉」

昨日、昼休み何気なく入った神谷町の書店で、偶然、手にした本、「イチローを創った魔法の言葉」と云う本に、いきなり衝撃。

「苦境は敵ではない。厳しい友である」、「困難を越えるのは"金"、困難に挑むのは"銀"」、「最後は、計算しつくされた"カン"に全て委ねる」、「人事を尽くして、"尽くして、尽くしてから"天命を待つ」、

「つまらないことを楽しめたら、もう楽しいことしかない」、「プレッシャーは心のダンベル」、「最強のサポーターは、鏡の中にいた」、などの言葉がちりばめられていた。

「最強のサポーターは鏡の中にいた」と云う言葉は、ハッと気づかされ、泣けて来た。私は、テレくさくて、鏡で、自分の顔をよく見たことはない。。確かに、鏡の中に私の、両親がいる。そうだ、確かに、鏡の中に、私の最強の応援者がいたのだ。

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May 24, 2011

岡本敏子著、「いま、生きる力」

数日前、娘が、「お父さん この本いいよ」と云って、読むように貸してくれた文庫本、岡本太郎の養女岡本敏子さんの「いま、生きる力」(青春文庫)であった。

いま20代後半を娘が、どう考えて生きてるのだろうと普段思っているが、少し話しても、深層はわからないが、書籍を渡されると、何だか、深く知れるような気がして読んでみた。

「踏まれても、蹴られても、どんなに抑えつけられ、ひどい目にあっても譲れないものがある。そんなもの放り棄てて逃げればいいじゃないかと思っても、どうしても背負わずにはいられないもの。自分とは厄介者であり、愛おしくもある。」

「自分ほど面白い宇宙は無いんだから。そして、それは今この瞬間に起こるドラマなのだから。何が起こるかわからない。一刻一刻展開する。生きるって、そう云うことでしょう。だから眼が輝いて来る。自分をそっと傷つかないようにしまいこんで甘やかしていては、いつまでたっても自分なんて見えて来ないし、生きてる実感なんてない。生体解剖しなければ、自分を投げ出さなければ、自分にはなれない。」そんな文章が、私の印象に残った。

若い頃満洲への駆け落ちに失敗した母の生き方を,私は想い出した。

娘が今、人生で、そのような光景を、関心をもって見ているのかと思うと、大人になって青春を生きていることがわかって嬉しくもあった。そのような娘をどう見守ればいいのかと云うのも、禅の哲学が暗示を与えてくれる。

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