初めてイチローを見る、後楽園球場にて、
昨日は、日本でのメジャーリーグの開幕戦を控えたシアトルマリナーズ対巨人の試合を後楽園球場で観る機会に恵まれた。
初めて見るイチローの存在感はすごく、走って守備につく姿にも感動した。ただやるべきことを真摯にやる姿に、何か精神性の高さを感じた。
大リーグの試合の、盛り上げ方も、アメリカらしく、かつてヒューストンで観たプロバスケットの試合なども想い出した。
イチローを初めて見た感動は、私に、まるで、修行や精進を促すような縁のように想えた。
昨日は、日本でのメジャーリーグの開幕戦を控えたシアトルマリナーズ対巨人の試合を後楽園球場で観る機会に恵まれた。
初めて見るイチローの存在感はすごく、走って守備につく姿にも感動した。ただやるべきことを真摯にやる姿に、何か精神性の高さを感じた。
大リーグの試合の、盛り上げ方も、アメリカらしく、かつてヒューストンで観たプロバスケットの試合なども想い出した。
イチローを初めて見た感動は、私に、まるで、修行や精進を促すような縁のように想えた。
昨日は、住職の指導で全国に広がった太極拳の会の方々の40周年を記念する表演会が木更津上総アカデミアの大ホールで開催された。
坐禅からでも太極拳からでも、真理を極める道は同じと、日頃住職は説く。太極拳の動きは、宇宙の量子運動だと云う。太極拳から観た住職の世界を、新鮮な眼で眺めた。
私は、月に一度、住職の気功の会だけ参加しているが、昨日は太極拳の表演をずっーと観ながら、太極拳が精神性に裏打ちされた時の深さ、美しさを感じた。
太極拳の世界に浸った一日であった。
新しく日本に着任した会社のアラブ人からの情報で、16日ラスベガスで世紀のボクシングマッチがあると聞いた。
メキシコのカネーロ対カザフスタンのGGG(ゴロフキン)の対戦だと云う。インターネットで見れるらしい。
渋谷のボクシングジムに会社帰りに立ち寄り、夜、渋谷から広尾の自宅まで走って帰るのだと云う。
ボクシングの話を聴くのも、私にとっては、心地よい新鮮な世界。
今度、日本駐在が始まったばかりのアラブ人は、仕事も熱心だが、スポーツ好きで、早速、渋谷のボクシングジムを探して来て、会社帰りに通い始めた。
彼が以前ロンドンでコーチに付いてボクシングの練習をしているビデオも見せてくれた。むむむ、これは本格的だなと私は驚いた。
私が格闘技の話をすると、目を輝かせて、話が盛り上がった。15日はラスベガスでボクシングの世紀の対決のような試合があると彼は教えてくれた。彼はインターネットで見れると云う。
格闘技は私も大ファンだった時代がある。
今度、会社に、格闘技で盛り上がる仲間が出来た。
昨日は、空いた時間に、開催中の都市対抗野球を見に行った。
冷房の入った東京ドーム、1400~の試合は、東京代表・鷺宮製作所vs神戸・高砂市代表の三菱重工神戸の対戦だった。(試合は三菱重工神戸の2対0の勝ち)
都市対抗野球は、独特の魅力がある。試合前、試合後の、両チームの応援団の相手チームを称えるエールの交換、両チームの女子社員達のチアガールぶりなど、礼儀正しくて、初々しい。
以前、日本石油の応援に何度行ったことか、若手サラリーマン時代の私。昔の光景が蘇り感慨無量になる。
一度くらい、亡き両親にも見せてやりたかった情景のひとつ。
昨日の経団連ホールのレセプションで、某LPガス会社の幹部と立ち話で、笑った。
彼は大学時代、ラクビー部で、ある後輩のラクビー部の共通の友人を称して、彼は「水かけ係」だったと云った。ラクビー部の「水かけ係」 ?、それは、何じゃろかい?と私がたたみかけて質問すると、気絶した選手に水をかけて気を取り戻す係の部員と云うことらしい。
そんな係があるんかい?と私は、可笑しくて吹き出した。
そんなことが、今朝も、想い出して、やはり可笑しい。
昨日は、快晴の横浜、みなとみらいの海岸を、ノルウェー親子に案内した。20代の商社マンの友人も一人加わって、広々とした海の解放感、しばらく4人で海岸の公園で談笑した。
その後、シーメンズクラブのバーラウンジでランチしたら、20代のふたりが、ビリヤードをやり始めた。英語ではPoolと云うらしい。
私も、ノルウェー人の友人も、引っ張り込まれて、私は、初めてビリヤードをやってみた。やってみると、なかなか面白いものだと初めて知った。シーメンズクラブで、外人とビリヤード、ちょっと想い出になる光景。
また、同じシーメンズクラブのラウンジにあるカラオケルームで、英語のカラオケを約1時間半、ノルウェー人の友人の20代の息子が、何と、日本語の曲、「いきもの係」の「青い鳥・ブルーバード」を、たどたどしい日本語で披露にびっくり,
そんな一日を終え、鎌倉・腰越の小さな旅館に彼らノルウェー親子を案内して、昨日の予定は、終了。
今朝は、鎌倉・腰越から、東京へ彼らと一緒に出勤。
昨日夜、TVでシドニー・オリンピックの時の柔道・篠原選手の決勝の模様が、久しぶりに放送されていた。
世紀の誤審と云われた、審判のミスにも関わらず、篠原選手は、「私は、弱かったから負けた」と言い放った潔さに、改めて感涙。
「勝負は、柔らの道の修業道のための方便」、と考えた嘉納治五郎の精神の高さを、彼は表現してくれたんだと思う。そんな時に、抗議しまくり、わめいては、柔道の精神が泣く。
勝った、負けたと騒ぐことは、時に姑息な感情を生む。全てを学びのための示唆と感じ、修業して行く気概は、修業僧に似て、清々しい。
人生も似ている。世間で考える人生の勝敗のルールに囚われて、一喜一憂する人生は、薄っぺらなスポーツ精神の様なもの。スポーツで有名になっても、人格が最低な人はザラにいる。
全ては、形に囚われては、人格は磨かれない。
形の背後にある、気高いものに気づき、修業して行く姿、それは朝日の様に清々しく、輝いている。
2008年、5月12日、四川地震はオリンピックの3ヶ月前に発生した。オリンピックのシンクロ9人の選手の中に3人の四川出身がいて、地震のニュースを見た時は、ショックで泣きっぱなしだったと云う。その後、全ての中国の選手も、惨劇のニュースに泣いたと云う。
練習に気が入らない選手に、井村監督は云ったと云う。貴方達は、こんな時に、ボランテイアに四川に行かずに、練習している自分達を責めているでしょう。私には、わかる。と云って一緒に泣いたそうです。
そして、四川の苦しんでる被災者に、オリンピックで頑張って、明るい話題で励まそうよ。と声をかけたと云う。
それが、中国チームの奇跡の銅メダルにつながったことを知った。
31日、オリンピックの中国のシンクロのコーチ、井村雅代さんの講演を新宿で聴いた。
中国のメダルが期待されたデユエットに失敗し、中国選手団も、意気消沈、落胆したと云う。2日後に迫ったチームの演技を前に、選手の中に恐怖が芽生えた時、恐怖を取り除くために、井村監督は、その2日、選手を一人にさせないようにしたと云う。一人になると恐怖や不安が高まる。そこで、わざと人通りの多い通りで陸上で演技の練習させたりしたと云う。
中国がメダルを取るなら、デユエット しかないと云われたデユエットで失敗した、絶対絶命のピンチの中で、井村監督は、選手の能力をいっぱいに引き出すために、腹をすわらせ、起死回生の覚悟で次の試合に臨んだ。
最後の演技に選手を送り出す時、井村監督は、選手に云ったと云う。「ここは、北京です。貴方達の家です。貴方達の演技をしなさい。」と。
鬼コーチと云われた井村監督。練習した者だからこそ云える、すごい迫力。