ハロウインの由来、ケルト人
数日前に、ハロウインの由来を、何とケルト人の伝統習慣からだと聴聴き、
早速、調べたくなりました。
ゲルマン人達と戦い敗れたケルト人、古代ローマでは、ケルトとは「未知の人」と云う意味だったらしい。今ではケルト系の人は、アイルランド人約500万人、世界中には、約10倍の5000万人(アイリッシュやスコティッシュ)がいるらしい。
ハロウインは、ケルト人達の夏の終わり、収穫の祝い、悪霊を払う行事(2000年以上も前の話)だったらしい。
歴史ロマンだなぁ。
数日前に、ハロウインの由来を、何とケルト人の伝統習慣からだと聴聴き、
早速、調べたくなりました。
ゲルマン人達と戦い敗れたケルト人、古代ローマでは、ケルトとは「未知の人」と云う意味だったらしい。今ではケルト系の人は、アイルランド人約500万人、世界中には、約10倍の5000万人(アイリッシュやスコティッシュ)がいるらしい。
ハロウインは、ケルト人達の夏の終わり、収穫の祝い、悪霊を払う行事(2000年以上も前の話)だったらしい。
歴史ロマンだなぁ。
戦乱の17世紀の英国の哲学者 トーマス ホッブスの思想をあらためて知った。
自然状態に於いては、自分の生命を守るために他者を攻撃する権利(自然権)がある。
その自然状態の残忍な闘争を防ぐために、暴力を使う権利を政治権力(国家)に委ねて、国民と国家の社会契約が成立する。
国家は決して軽視するものではない。
国家があっても戦争はあるが、国家がない状態は、更に悲惨な残忍な世界になってしまう。
パレスチナ、ウイグル、クルドなど見ればわかる。
国家は、大事にしなければ、ジヤングルに放り込まれるようなものだと想う。
パレスチナにも早い国家成立を祈る。
昨日、最高新記録のギャグ発見しました。
6 が何故 7を恐がるのか??、
何故ならば、
Seven ate Nine
げゃー!
隣りの6は、怖がる
ギャグには、驚きが要素です。驚きは、エネルギーに繋がります。
今日は、ビジネスランチは、麻布台ヒルズのJanuレストラン、ホストである会社のクウェート人が選んだレストラン、
店の人に聴くと、Januは、サンスクリット語の魂と云う意味らしい。
八重洲のAmanも、同じ森ビルのオーナーの経営で、Amanもサンスクリット語で平和と云う意味らしい。
最近は、東京に新しく出来る洒落たビルの洒落たレストラン、サンスクリット語とは、また、驚いた。
先日のパレスチナ人の詩に触発されて、調べてみると、
パレスチナ人の人口は、ガザに220万人(内160万人は難民)、ヨルダン川西岸は350万人 (内90万人は、難民)、
他に世界中に約600万人のパレスチナ人がいると云う(外務省)
イスラエルは、約900万人の人口、アメリカにいるユダヤ人は約500万人いると云う、世界中では、ユダヤ教徒は、約1500万人。
イランは、人口約9000万人。
これらの人達が、お互いを
抹殺せんとばかりに争っている。今回のパレスチナ人の人の詩は、対立を煽らない穏やかな境地を私は感じた。
旧約聖書に、パレスチナは、ユダヤ人の土地と書いてあることが、イスラエルの過激な行動の正統な理由と云う。
イスラエル人の中にも、ユダヤ人の中にも、融和派や反戦派がいることは救いです。
今朝のニュースで知ったガザのパレスチナの人の詩(英語)
わたし流(詩的)に訳してみました。
私が死んだら 、貴方は生きて下さい。
そして伝えて下さい。
私のことを、
私の持ち物を売って下さい。
そして少しの布とひもを買って下さい。
(尾っぽのある白い布を作って下さい)
ガザの子供達が見上げて空に天国が見えるように、
炎の中に残されたお父さんを待つように、
誰にもサヨナラを云わないように、
お父さんの肉体にもサヨナラを云わないように、
君自身にもサヨナラを云わないように、
凧を見上げて下さい。 君が作った私の凧を見上げて下さい。
空高く上げて、
そこに天使がいて、愛してくれていることをちょっと感じて下さい。
私が死んだら、希望が生まれて、
そんな話をして下さい。
昨日、ノルウェーの大自然の映画、Song of
Earth を観ました。みなとみらいで。
自然を観ると、毎日、亡き両親への手紙を書くような気持ちにもなれる、
そして、大自然と向き会うことは、初恋のようなもの、
そんなことも、想いました。
みなとみらいのカフェテラス、
静かに、人生も、歴史も、社会も俯瞰するようにコーヒーを飲んだ。
昨日は、吃音者の大会に千葉文化センターに来ました。
会場の前の千葉公園に、ヘレン・ケラーの銅像がありました。
「貴方のランプを、今少し高く掲げてください。見えぬ人々の行く手を照らすために」
1948年来日した時の講演(皇居前広場)の時の言葉だそうです。
公園の銅像は、千葉のライオンズクラブが建てたそうです。「ライオンズよ。暗闇と闘う盲人の騎士たれ」と云うヘレン・ケラーの言葉が、世界のライオンズクラブの起源のようです。
最近見た、子供食堂の貼り紙の話、
「子供弁当売ってます。だいだい250円、お金がなかったり、持って来るのをそびれちゃった子は、大人になってからでいいよ。大人になった時に、長男堂がなかったら、誰かのために使ったり、寄附したりしてね」
ホタルの墓の時代にも、子供食堂があったらと想う。
会社には、毎日顔をあわせるクゥエート人が二人、語らずとも、
イスラエル、イランの対立の激化を憂う。
神田でアラブレストラン経営のパレスチナ人の友人の気持ちを想う。
私達もまた、世界史の中で生きている。
この20年くらいか、東京で、同郷のビジネスマンの同窓会(約20名の集まり)を主催して、もう20年以上、当時は、中堅ビジネスマンだった同志達の中には、大企業のトップになった人も、沢山いる。
各自から近況を聴くのも楽しい。会社を辞めてからも、楽しそうな、友人達との繋がり。人生の話を聴くのが、楽しい。
もう一つは、同郷の同期生達の集まり、適当な、ゆるい繋がりが、気楽に、故郷の高校時代を想い出させてくれる。
小さな驚きのある旅をして、世界や日本の友達との、時折の交流は、芸術の世界のようにも想う。映画のシーンのようでもある。
多少、身体は不調(今は足が、ステッキをついて)もあっても、私の、人生の讃歌は止まらない。
これまでの、諸縁に感謝する。