今朝の東天紅に感激、
今朝、5時、ベランダを開けると、何と美しいオレンジ色、余りにも感動して飛び起きた。
ベランダの椅子に腰掛けて、兀(雲を突き抜ける)として坐禅、
北へゆっくりと流れる雲、朝日で金色に輝くベランダの柱、虫の声、小鳥の声、遠くに聞こえる電車飲んで音、遠くのべイブリッジには、ミニアチヤーのような車が左右に移動する様も視える。
何たる、爽やか、美だろうと想う。
今朝、5時、ベランダを開けると、何と美しいオレンジ色、余りにも感動して飛び起きた。
ベランダの椅子に腰掛けて、兀(雲を突き抜ける)として坐禅、
北へゆっくりと流れる雲、朝日で金色に輝くベランダの柱、虫の声、小鳥の声、遠くに聞こえる電車飲んで音、遠くのべイブリッジには、ミニアチヤーのような車が左右に移動する様も視える。
何たる、爽やか、美だろうと想う。
私は、ステッキついて2ヶ月半、昨日は病院で、CT, 骨密度など、さらに検査して、先日のMRIに続いて、私の膝上の大腿骨に、ヒビ(医師は骨折と呼ぶ)がはっきりと確認できて、改めて驚いた。(数ヶ月前の骨折?と云う)
この骨折が、ある程度安心できるまで、激しいリハビリはしないほうがよいとのこと。
全く、予期してなかった展開と現状に驚き。
これまで、会社にも休まず行けたことが不思議。医師も驚いていた。
人生の不思議さ。
昨日は、台風も去り、朝から小田原へ出かけた。
小田原箱根観光ガイド協会の例会と暑気払い(私が幹事)で、今月は参加。約25名のメンバーの自己紹介に、大変好い刺激を受けた。ある若手建築家が泣きたいように素晴らしい建築に会ったことありますか?と云う問いに、感動した。
そのあと開成の妹の家で、ちょっと認知の兆候の出出した妹との語らい。妹が描く塗り絵が、愛おしかった。
その間、知人から来たラインに、新潟の村上の夕陽のライブ(ハープとジヤズ)、日本で一番と云われる夕陽のスポットでのライブの情報に心が躍った。
2024年8月16日(金)は、横浜も小雨くらいの天気だったが、朝から電車も計画運休とか台風7号対策で、静かな緊張感があった。
朝09:00予約の湘南鎌倉総合病院もキャンセルして、会社のクウェート人にも、オフィス全体で在宅勤務を提案して、了解してもらった。
じっと一日中、在宅していたが、これも異様な体験、好奇心からは新鮮な気分。
日頃の惰性や追われる気分を一掃して、リラックス。後は、台風が大したことなければ、それが一番よし。
8月8日は、房総館山の花火大会、5万人弱の人口の町に、倍の人出で賑わう。
半年前から、館山シーサイドホテルを予約して、新潟の長年の友人のアンリ神父を招待して、先日実現した。
鏡が浦と云う館山湾に、大輪の花火が咲いた。
8月9日は、今回のアンリ神父の館山訪問の、もう1つの大きなイベント。
布良の能忍寺の山口博永先生に会ってもらうことを、やっと実現することが出来た。
アンリ神父も、禅に心酔されて、原田祖岳老師(1871年~1961年小浜の発心寺)からラサール神父(1898年~1990年)と繋がって。
山口先生も原田祖岳老師から原田湛元老師との繋がりであった。
アンリ神父と山口博永先生の静かな語らいに立ちあった。
これも、ステッキをついてでもやりたかったイベントであった。
前日の大牟田の大蛇山祭りの後、旅館でぐっすり休んで、翌8月28日(日)は、早朝7時過ぎから、新大牟田駅へ。1時間で鹿児島中央駅へ。大牟田から日帰りで鹿児島の知覧特攻基地訪問。
鹿児島中央駅には、喜入石油基地の後輩が車で迎えに来てくれた。知覧基地では、特攻の分厚い資料の本も購入出来た。これからも、沢山の特攻についてのことが学べる。
昼は、鹿児島中央駅のビルのレストランで、他の喜入基地の後輩も来てランチと語らい。
夕方に大牟田に帰った。
夜は、行きつけの白亀会館で、友人知人達との交流会。
ステッキをついても、ぜひ行きたい旅だった。
29日朝の福岡空港発のフライトで東京へ飛行機通勤した。
今年は、7月27日の大蛇山祭りには、ステッキをついて見物した。本部桟敷席だから、地面より2M位高いステージの席から、六山の共演も観れる最高の体験だった。
子供時代に父親に、連れて行ってもらった大蛇山祭り、龍が火をふくなんか、やっぱり、本場の大蛇山は、圧巻だった。
その日は、慣れた常宿の旅館(大牟田駅の西口)で宿泊。
静かに、人生のシーンだなあと感慨に耽った。
ステッキを、つきながらでも行きたいプロジェクトだった。