2万人のユダヤ人と北海道をスターリーンから守った男、樋口季一郎、
今回の高知へ旅して、高校時代からの親友の車で、昨日は、一日中、色んな場所を回った。
彼が高知大学(農学部)時代に下宿していた場所、朝倉と云う大学そばの田舎の風景を初めて見た。久礼と云う漁港の街の商店街でカツオ飯も食べた。
車の中では、ドライブ中、高校時代のように色んな話が弾んた。
彼が、話してくれた、樋口季一郎中将の話は、痛く感動した。
1940年エストニアの領事代理杉原千畝が6000人のユダヤ人の避難を助けた話より、遥かに多い2万人のユダヤ人がソ満国境で立ち往生したとき(1938年)、当時の樋口季一郎は、日本はドイツの属国ではないと、人道的見地から、2万人のユダヤ人避難民を保護し、上海へ送り届けたと云う。
また、彼は、1945年の大戦終戦の時、雪崩れ込むロシア軍に対して、防戦して、ロシア軍に打撃を与えて、(カムチャカ諸島の占守島)、ロシア軍の北海道の支配を頓挫させた男。
私は、今回、高知に旅して、親友からの熱っぽい話に、何となくしか知らなかった、樋口季一郎中将の偉業に、感動と尊敬の念を新たにした。
旅と人のもたらす、小さな驚きの数々、これが私の人生を形つくる。