「終活」の真逆体験、浪曲の響き、
昨日、たまたま通りかかった横浜野毛の賑わい座で、浪曲の宣伝が目に留まり、聴いてみたところ、子供の頃、おじいちゃん達が浪曲を大好きだったような想い出が強烈に蘇った。
私の父のお父さんは安太郎。母のお父さんの名前も安太郎。安太郎じいちゃん達の、浪曲を聴く時の、うっとりとした笑顔が想い浮かんだ。
昨日の浪曲は、東家浦太郎師匠の孫弟子に当る「東家一太郎」、江戸の町火消し「野狐三次」と、浦太郎師匠の十八番「山の名刀」、共に泣かせる話に、さぞ昔の人は情けに、豊かな人達だったんだろうとあらためて感動。
ひとり昔の調べの浪曲を聴いていると、おじいちゃんのそばで、訳もわからず浪曲の調べを聴いていた子供時代の私に、返ってしまっている気がした。
年をとっていないのだ。
終活など思いもよらぬこと、まるで真逆のこと。子供時代に見た大人達や風景が現実に広がっていた。
思いかけずに、浪曲がもたらしてくれたタイムマシンか?。
私は、「終活」は、どうもしっくりこないと思っていた。
生きる活動の方、「生活」のまま、人生を全うしようと想う。