櫻井の別れ、楠正成、楠正行、
今朝、初めて、「櫻井の別れ」と云う曲をYoutubeで聴き、衝撃が走った。
私の父が、満州で、いよいよ、娘(私の姉、当時11才)との今生の別れの場面、身を隠したコーリャン畑で、別れの言葉を交わした悲しみのシーンを想い出した。
父は、楠正成と息子の楠正行(まさつら)の今生の別れのことを姉に話したと云う。姉から何度も聞いた。
後醍醐天皇を支持し鎌倉幕府を倒した後、足利尊氏との戦いに敗れ、櫻井で、息子の正行に、故郷の河内に帰り、また、後醍醐天皇(南朝)を支えよと諭し、正成は、討ち死にする。
私が、がく然としたのは、私の禅の師の住職が、出家のきっかけとなった母との別れを体験されたのが櫻井、そして、実家は大阪(河内のそばだったと想う)。
「櫻井の別れ」と云うコーラスの曲を噛み締めるように聴いた。
ただ、私の人生と、「櫻井の別れ」の美学が、衝撃を持って、伝わった。
追記
楠正成の櫻井の別れの場所は、京都の高槻市にある櫻井と後でわかった。