よのなかルールブック、書籍
今朝の新聞に、「よのなかル-ルブック」と云う本の宣伝が出ていた。
内容の一部紹介にも、勇気付けられる。
「失敗を失敗のままにしない。経験にする。
一生懸命をバカにする人には、決してふりまわされない。
身近な人にこそ、丁寧な態度を。
合わない人がいるのは、よのなかの当たり前。」
などが、いいなぁと想った。
今朝の新聞に、「よのなかル-ルブック」と云う本の宣伝が出ていた。
内容の一部紹介にも、勇気付けられる。
「失敗を失敗のままにしない。経験にする。
一生懸命をバカにする人には、決してふりまわされない。
身近な人にこそ、丁寧な態度を。
合わない人がいるのは、よのなかの当たり前。」
などが、いいなぁと想った。
昨日会社帰りに、アブダビ時代の他石油会社の友人と二人新橋で飲んだ。
友人は、定年後の人生の近況のことを、あれこれ話をしてくれた。
今でもやりたいことが、哲学、数学など、また語学のことも。最近、キリスト教会によく通っていることも。
全てが、私が持っていたイメージと違って、驚いた。
仕事や、石油のことを離れて、その友人の話すことは、別の友人と会ってるような発見だった。
友人とは、二人で、ゆっくり話すことで、新たな発見が沢山あると気づいた。
そこから、表面的な付き合いの域から、初めて友人らしい付き合いが始まる。
今月の健康レポートは、腸内フローラのことについて、
― 「腸内フローラの真実」(主婦と生活社)から抜粋-
1、 腸内フローラ次第で、やせにも肥満にもなる。
天然のやせ薬、「短鎖脂肪酸」、脂肪細胞の暴走にブレーキ。
「短鎖脂肪酸」=酢酸、酪酸、プロピオン酸の総称。
お酢を飲んでも効果は一時的、お酢は血中に入ってすぐ分解される。
お酢を四六時中飲むのは好くない。⇒歯がボロボロになる恐れ。
「短鎖脂肪酸」を作る細菌は、野菜などの食物繊維が大好物。
2、 「短鎖脂肪酸」はインスリンの分泌促す⇒ 糖尿病を防ぐ。
3、 腸内細菌が作る「エクオール」は、肌を若返らせる。
大事なのは大豆、 「エクオール」はスーパーイソフラボン。
「エクオール」はガンも予防。
肥満になると増える「アリアケ菌」はガンを引きおこす菌。
4、 腸内環境の改善は、アレルギー予防になる。
アレルギー改善が期待される細菌たちのエサは食物繊維。
5、 時差ボケした腸内細菌は、太りやすくなる。
生活が乱れると太りやすくなる。
6、 腸からの細菌の毒素の漏れは万病の元。 バリア機能は、「短鎖脂肪酸」
7、 腸内細菌次第で性格も変わる。 ウツの改善、記憶力アップ。
8、 腸内フローラは、5才までに決まる。
日本人にだけ、海藻を消化する腸内細菌が住んでいる。
人間と腸内細菌は、一体となって初めて,一つの生命体となる。
以上
昨日、森ビルの防火防災の担当部署の人が、消防署への定期的な届出のことで、会社の防火防災管理者の私を訪ねて来て、色々アドバイスを受けた。
オフィス火災の最近の事例では、オフィスの窓の近くに置いたペットボトルが虫メガネの役割を果たして、後ろの段ボールに火が付いた事例など、驚いた。
40代の担当の人から、彼の属する不動産デベロッパー業界や、彼が元所属したゼネコン業界の話も聞けた。
異業種の話は、とても興味深く、私は、新しい知識が増えることが楽しかった。
こうして、新しい友達が増えて楽しく想う。
昨日夕方近くの図書館に立ち寄るった。幼児が何人も、絵本などのコーナーの小さな椅子に腰掛けている様子が、たまらなく可愛いらしい。
貸し出しの列で並んでいる時、近くの書棚で見つけた「ルドルフとイッパイアッテナ」、私の娘が子供の頃、読んでいた本。
図書館から自宅へ帰る道、自転車で通りかかった買い物帰りの若い女性は、何十年振りかの娘の子供時代の友達、ゆうこちゃん、私を「まなみちゃんのおじちゃん」って云って、久しぶりの再会をお互いに喜んだ。先日会ったのは、「かのちゃん」、昨日会ったのは「ゆうこちゃん」。
娘にメールで、早速報告した。「ルドルフとイッパイアッテナ」については、反応かなかったが、忘れてはいないはずだと、想いながら、当時のメルヘンの中。
昨日は、市ヶ谷のアルカディアで開催の三池高校の大同窓会(約300名)に出席した。
同期生の他、たくさんの先輩達や、後輩達にも会える。
年に一度しか会えない人達と会う機会、会場を歩き回り、言葉を交わした。
ひとりひとりとの会話を、今朝想い出す。
アルカディアの大同窓会の後は、同期生10名くらいの二次会で、盛り上がった。
ボンヤリと、故郷大牟田の空気の中に、どっぷりと浸った日だった。
私は、満州の引き揚げ者のそれぞれに配偶者と死別した者同士の母と父が再婚して、戦後生まれた。
私は長男で、両親に可愛いがられて育った。
私が東京の大学に入学した時、大学の合格発表を九州の家で聞いたときの母の表情を、私はまざまざと覚えている。
母はもう、私が大学に入って上京することは、親子が一緒に住めなくなること、人生の節目の別れになることは十分にわかっていた。
母にとって、どんなに淋しくつらかったかと今はわかる。でも、私の大学の合格通知を知った時のあの喜びは、自分の淋しさを超えていた。
あの時に見た、母の喜びの表情は、今も私の人生の道しるべ。
昨日は、会社を休んで裁判所の調停委員の同窓会に出席した。
12名の近況報告の多様性の面白さ。
テニス、ジャズピアノ紹介、同窓の病状、写真展紹介、コンサート紹介、書籍紹介などなど。
日頃の付き合いと違う世界の雰囲気を味わう。
たまには、会社を休んで、違う世界を覗くのも小さな驚き。
昨日、夜会社帰り、自宅そばのコンビニのマイバスケットで、今年初めてのビワとサクランボを見た。
立ち止まり、早速買って、今朝、ビワとサクランボを味わった。
ただ、季節を味わうだけでも安らぐ。
季節、季節の流れ。
季節の中に溶け込む私でありたい。
まだラマダン中(5月6日~6月6日くらいまで)で、アラブ人達は、日の出から日没まで、断食している。
日の出は大体0450くらいで、日没は昨日1844だった。
彼らはビジネスディナーを顧客と神田のアラブレストランで予定し、私も初めてラマダン中のビジネスディナーを体験した。
先ず、デーツ(ナツメヤシ)を口にし、次に水、それからスープ、そして食事開始。
パレスチナ人の店の主人と言葉を交わし、アラブ音楽を聴いて、暫く、アラブ駐在時代を想い出し、特別な想い。
昨日、前の会社の私の後輩と二人で居酒屋。
たいていのサラリーマンは、毎日、洗濯機の中でグルグル回るアリンコみたいなもの。外の世界を覗く機会や知る機会はない。社長でも平社員でも同じこと。定年まで、グルグルグルグルと回り続ける。
こんな話を私は、15年前に会社を辞める頃に云ったと後輩が想い出させてくれて笑った。今でも同じ考えだが、後輩がよく覚えてくれていて嬉しかった。
同時に私は、20年くらいとかある長い一定期間を働いてみないと、簡単に転職すると不利が多く、誰にも薦められないとも云ったと云う。
15年前に私か、熱っぽく語ったと云う後輩へのアドバイス、後輩から聞かされて、懐かしく嬉しかった。
写真家の保山さん(自らガンを抱えながらの活動)の吉野のサクラの写真を昨日TVで見て、息を飲む美しさだった。
朝もやが明けて行く幻想的なサクラも。
自然を見ていると、「時間は止められない」 と確かに感じる。
自然の一部として、私も、朝もやの明けるように明けて行く。
止められない時間の中に、私も溶け込んで行く。
今朝は、「心の時代」は正眼寺の山川宗玄老師だった。その後は、NHK短歌を味わった。
その後、不図季節を想った。
そう云えば、里山ではカエルの声が聞こえる頃。
もうすぐ、野生のホタルが飛ぶ頃と想う。
昨日の鍼灸治療中の時、堀江先生の話は、親交のあった日野原重明先生との話もあった。
日野原先生の患者さんが麻酔薬を嫌い針麻酔を希望される時は、堀江先生が呼ばれて、針麻酔をしたとのことだった。針麻酔は中国で発達した麻酔法。西欧医学ではない東洋医学の神秘を想う。
患者さんとして堀江治療院に通って来た遠藤周作さんは、琵琶湖フナ寿司の大のファンだったと云う。5年もののフナ寿司がまた特に美味しかったとか。
鍼灸治療をしながら、日野原重明先生や、遠藤周作さんの話を聴けるのも楽しみになった。
今朝は、立川で朝8時の鍼灸院の予約で、横浜の家を5時過ぎに出た。もう明るく、何と気持ちの好い朝の光景。
5時半の駅には、人も少ない見慣れない新鮮な空気。
スティーヴィーワンダーや遠藤周作さんも治療を受けた鍼灸院の先生との会話も楽しい。
治療の後は、都心の会社に11時には着く。
ラマダン中のアラブ人達を、カバーする私の役割も負担ではなく、心地よい。
毎日、新しいページが開く。
会社のアラブ人が、ラマダン中の過ごし方に付いて、話してくれた。
日没後、友達数人で、お台場の海岸で、食べ物を持って行き、時間を過ごしたと云う。
私がアブダビ駐在時代によく見た、アラブ人達や出稼ぎのインド人達が、夕方になると、よく海岸に出て時間を過ごしていた光景を想い出した。
ラマダンと云っても、日没後は食べられるので、来週は、日没後の1830~ビジネス会食をアラブレストランで予定した。パレスチナ人、エジプト人、モロッコ人など、私も、アラブ人達との交流も小さな驚きの源。
昨日朝、神奈川警察署に出向き、連休中に紛失した私の名刺入れを引き取った。一昨日、会社に神奈川警察署から電話で、私の名刺入れが落とし物の届けがあり、保管してあるとの嬉しい連絡であった。
なくなったことには、すぐ気付き、残念に想い、またあきらめていた。
警察署に行って回収すると、私の名刺の他、数名の友人知人の名刺や、5000円が入っていた。
あきらめていた落とし物が再び、私のもとに、そのまま返って来たことは、何か、すがすがしい気持ちになる。
昨日の朝、通勤前、立川の堀江治療院に立ち寄った時、堀江先生から、昔(1981年?)スティーヴィーワンダーが来日し、武道館でライブの前、腰痛が発生し、急遽堀江先生が呼ばれ(帝国ホテル)6時間かけて針治療をして、無事ライブも予定通りできたと云う。治療院にその時の写真が飾ってあった。当時のNHKの会長がが、治療院の患者さんだった縁と云う。
作家の遠藤周作さん(1923~1996)も、腰痛治療で、四谷の自宅から立川に通って来たのだと云う。
私は、右足(膝)の治療で縁あった治療院が、スティーヴィーワンダーさんや遠藤周作さんも、治療を受けた先生だった。
私は、治療中に先生との会話の中で、沢山の小さな驚きを楽しんだ。
夜明け前にイスラム教徒の人は、祈りを始める。アザーンは、モスクから流れて来る祈りの声。
私がアブダビ駐在時代に、耳に馴染んで心地よかったアザーンの声。
「日の出前、遠くに聞こえるアザーンに、千夜一夜の夢を見ている」、昨日のNHK短歌でメモした句。
もう1句。「ネパールの山の石から聞こえ来る、ああ大陸のぶつかりし音」、太平洋プレートと、ユーラシアプレートのぶつかった頃を想う。
壮大な人生を想う。
今朝の「心の時代」は、人権弁護士の徳田靖之さん(ハンセン病訴訟など)だった。
20代後半に、山奥の小屋を親が作ってくれて、隠れ住んだハンセン病患者の方の話を聴いた。
「親が作ってくれた山奥の小屋」 、親子の情景が浮かび、私は泣いた。
昨日は、公共料金などを払っている銀行通帳を、家の中かどこかで、行方不明になっていることに気付いて、再発行をしてもらうことにした。失効した古い銀行通帳を見つけ出し、印鑑を用意して出社した。昼休みに、会社の自転車に乗り、西新橋の三井住友銀行へ行き、通帳再発行の手続きを進めること約10分で完了。
何と云う満足感、ナイスリカバリー。
連休前に早割でインターネット予約した6月初めの九州への航空券の代金支払いを忘れていたことに最近気付き、それはもう失効しているので、再度予約し直ししなければならないと気付き、「しまったぁ」と嘆いた。気を取り直して、一昨日、格安チケットの予約をトライしてみた。連休前に早割で予約した航空券と同じくらいの代金で、別の航空会社のチケットを無事確保できた。ナイスリカバリー。
何か、失敗した時こそ、落ち着いて、対処することの大切さと、リカバリーした時の達成感を想った。
毎日、何か新しいことに、小さくてもトライする気持ちを持ってみた。
今日出来ることは、明日に延ばさないと云うちょっとした踏ん張り。
そうしてる間に、何か、変化を感じる。
日々の持つ可能性の神秘を想う。
毎日、今日やる小さなチャレンジ、人生の可能性につながる小さなスイッチ。
通勤途上、駅まで歩く住宅街の家に鯉のぼりがたなびく。
私が子供の頃、両親は鯉のぼりを立ててくれた。微かに覚えている。懐かしい子供の頃の想い出。
私の上には、異母兄弟の姉達が3人、下に2才違いの妹、9才違いの弟の6人兄弟。
私は、長男としてかわいがられた。
鯉のぼりには、両親の想いが、今頃、伝わって来る。
昨日、久しぶりの出社の日、会社のアラブ人二人が、遅めに、疲れていそうな雰囲気で出社して来た。
私の場合は、いつもより早めに出社して、連休中の原油市場の動きなど、テキパキとチェックしたり、早速仕事に集中していて、ラマダンの開始に気付いていなかった。
ちょっと疲れ気味の彼らを連休疲れくらいに思って気にしなかった。
その後、ラマダンの開始に気付き、彼ら二人に、すぐ「ラマダンカリーム」と、ラマダンを祝う挨拶をした。
これから1ヶ月、イスラム教徒の断食月が続く。
彼ら二人の前では、飲食を避ける配慮を気をつけようと想う。
昨日は、連休最後の日、新宿の平和資料館での、語り部の会の後、地元商店街の中の馴染みの定食屋さんで、晩酌をして帰った。
定食屋さんの中で、居合わせた、顔見知りの男性が面白いことを云った。
終活のような話の時、死について、「早いもん勝ち」と云って、意外性に笑ってしまった。
今の時代は、物や人を繋ぐプラットフォーマーが勝ちの時代、と私が云ったら、それを「勝ち」と云ってしまったら、若い世代に悪い効果があるとコメントされてしまった。
確かにと、私はすぐ反省、「お金を稼ぐことに於いては」と付け加えなければと想った。
価値観はお金を稼ぐことばかりでは語れない。
定食屋さんの中での会話からの、何げない学びも心地よい。
昨日の新聞に樹木希林の書籍の広告が載っていた。
「病気しない人でも、一回自分が向こう河岸へ行ってる、死んだことを想定してみるといい」
「ホントは、死ぬ死ぬ詐欺なのよ」
「病気になって、人生得したなって思うんです」。
「そうだなぁー」と、頷きながら笑う。
昨日は、大井町のホールで朝から一日中、戦争体験の方々の話を聴いた。シベリア抑留の男性、満州引き揚げの男性、日赤の看護婦だった女性、沖縄の民間人の女性、3人は90才代。
全ての方々は、戦争を指揮した国のリーダー、軍の幹部への怒り、失望、もう絶対に戦争はさせないと云う気力が、このような体験を話す原動力になっていた。
日本は、何と云うことをしてしまったのだろうと、また人間は、何と云うことをしてしまうのだろうと、衝撃を新たに感じた。
亡くなった方々の霊が、今の平和を維持してくれていると、つくづく感じた。
話してくれた方々と、私は、固く感謝の握手を交わした。父や母と握手しているような気がした。
昨日は、小田原北条祭りの案内所のボランティア活動を初めてトライした。
私の属する小田原箱根善意ガイド協会の行事の一環として、朝0930に小田原駅の東口の二宮尊徳像の前で、机を出して、道行く人々に、北条祭りのパレードや式典の案内所役を果たした。
案内デスクに来る人は、質問は、意外な質問も沢山あったが、一緒にデスクに座ってくれていた女性ボランティアのメンバーの方のフォローで、テキパキと処理できたと想う。コインロッカー?トイレ?文房具屋さん?宿の情報?バス乗り場?パレードの場所?式典?パレードの時間?などなど。
小田原の人口19万人より多い20万人の人出の小田原の盛大な祭り、私は、ボランティア活動の満足感を味わった。日ごろの悩みが吹き飛ぶ心地よい体験だった。
人々に喜んで貰える行動は、精神の健康に極めて大切なことだと改めて感じた。
5月2日、アメリカ政府のイラン原油の禁輸完全履行が発効した。
イランは益々窮地に追い込まれる。
ヴェネズエラでは、クーデター騒ぎで米露の対立が先鋭化している。
共に、石油市場に大きな影響を与える。
連休明けの、仕事のことが脳裏をよぎる。
今日は、初めての小田原の北条祭りのボランティア活動手伝いに出かける。
全てが、日々新しい展開。こうして、令和の日々が始まって行く。
4月30日(平成最後の日)、5月1日(令和の始まり)は、鍼灸院に行く以外は特に予定も入れずに、静かな改元の時を味わった。
陛下がこれまで詠んでこられた歌には、感動した。
普段マグロ型の回遊の、動き回る日々を送る私には、じっくり、ぼっーとする時間が、何かバランスを回復させてくれる気がした。
法(宇宙、真理、神)への感謝を心に、自信を持って、日々学びながら、我が道を行く。
与えられた人生への感謝と、人生の味わいを想う。
昨日は、平成を送りながら、陛下の歌に痛く感動した。「語らいを重ねゆきつつ気がつきぬ、我が心に開きたる窓」。
昨日は雨、今日も雨模様、八木重吉の歌が心に沁みる。
「雨の音が聞こえる、雨が降っていたのだ。雨の音のように、そっと、世のために働いていよう。雨が上がるように、静かに死んでゆこう」。
今朝、令和の始まりの朝、また陛下の歌が新聞の載っていた。「笑み交わし、やがて涙のわきいづる、復興なりし街を行きつつ」。
陛下の歌と八木重吉の歌に誘われて、令和の朝を迎えた。