1219年源実朝暗殺から承久の乱へ、日産のゴーン事件、
今朝の日経の詩歌欄に、「日本史ひと模様」と云うのがあり、日産のゴーン氏が実朝で、告発した社長が鎌倉武士の代表の北条義時に擬える記事があった。
読み進むと、実朝のバックには後鳥羽天皇(フランス政府やルノー)が居て、上皇は実朝を通じて関東の武力を支配しようとしていたと云う。
実朝(1219年暗殺)を失った後鳥羽天皇は、自ら鎌倉幕府の追討に乗り出す。1221年、承久の乱。
日産のゴーン事件を本能寺の変に擬えるより、実朝暗殺、承久の乱に擬えるのが驚きがあり、かっこいい学びだった。
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