今ここに着いた、
「振り返ると道があった。
幾多の出会いがあり、幾多の試練があり、
今、ここに着いた。」
会社そばの青松寺の門に書いてあった。
「今、ここに着いた」。亡き両親へ報告する2017年の暮れ。
「振り返ると道があった。
幾多の出会いがあり、幾多の試練があり、
今、ここに着いた。」
会社そばの青松寺の門に書いてあった。
「今、ここに着いた」。亡き両親へ報告する2017年の暮れ。
日馬富士の貴の岩暴行事件は、考える材料を提供してくれている。
日馬富士は礼儀を重んじる過激さからルール違反の暴力に及んだ。
貴の花親方は、日頃の相撲道(真剣勝負)が薄れて行く危機感を、この機会に爆発させて、ルール違反の職務放棄をした。
礼儀を重んじることにおいては、余り議論の余地はない。相撲道(プロレスのような興行ではない)についても、たいていの人はその伝統を重んじている。
日馬富士は、礼儀を重んじることを訴える手段を間違えた。貴の花親方は、相撲道を訴えるなら、職務放棄しては、手段を間違えた。社会や組織は、職務放棄しては成り立たない。
日馬富士も礼儀を重んじる熱情派(過激派)だったと想う。
貴の花親方も相撲道(真剣勝負)を重んじる過激派(熱情派)だったと想う。
今でも、自分は正義だと主張すれば、するほど、人心は離れて行く。息苦しいほどの過激な価値観は、人に安らぎをもたらさない。過激は過激な反発を生む。
そんなことを、感じながら2017年の年の瀬。
今月の健康レポートは、またストレスについて、ストレスには涙を流すことが役立つと云うことも知った。
―「ストレスを消す技術」(有田秀穂著、サンマーク出版社)から抜粋-
(セロトニン と涙が人生を変える)
1、 太陽の光を浴びて、リズム運動を1日5分するだけ、それでセロトニンが働く。
(体内のセロトニンの分泌は毎日やる単純作業、散歩や掃除やお経などで高まる)
2、 ストレスと戦わず、ストレスを受け流す体質(セロトニン神経)を活性化させる。
これは、涙を流すことでもスイッチが入る(活性化する)。
もっとも人間らしい脳、共感脳は、前頭前野の内側にある。
共感脳が発達することで、ストレスを上手にコントロールする力が生まれる。
3、 人間の2大ストレスは 「依存症」と「逆恨み」。
「依存症」は失った快感への執着。
→ 私のコメント ( 自分が対象を支配しているエゴに気づくか、否か?)
「逆恨み」は、正当に評価されないことへの恨み。
→ 私のコメント (感謝されても感謝されなくてもやることができるか? 結果は神の領域、 結果まで支配しようとしている自分の傲慢さに気づくか?)
4、ゲーム脳は何故、悪者になったのか?
単純なことをしていると、前頭前野の血流は確実に悪くなる。 共感脳がやられる。
相手の心を読む能力がなくなって行く。
5、 心を健康にする5つの働き。 即ち、セロトニン神経の働き。
クールな覚醒
平常心の維持
交換神経の適度な興奮
痛みの軽減
よい姿勢の維持
6、 涙を流した後の「スッキリ」、 笑った後の「元気」。
7、 人とのふれあいが、トラウマ・うつ、引きこもりを癒す。
8、 人を癒すと自分はもっと癒される。
以上
今年の年末年始は、会社のアラブ人の休暇に先を越されたり、切符の確保もせず、結局、横浜の自宅でじっーと過ごすことにした。
今まで、年末年始は必ず旅したり、何か予定を入れないと気が落ちつかない私であったが、今年は、敢えてなるべくスケジュールは入れずに、静かに、自分と向き合う時間が楽しみになった。
そんな時間を持つことが、むしろ、懐かしく愛おしい気持ちにもなった。
子供時 に感じた、好奇心いっぱいの世界、孤独感なども、想い出して、懐かしい世界に旅するようなもの。
昨日、夜、帰宅する時、電車の駅を降りると、住宅街に続く道を、「火の用心」 の町内会の人達が子供連れで可愛い声を出して、通りを歩いていた。
空には綺麗な月が。
私が、私と向き合う時間、愛おしい人生を味わう時間。
ひとり、もぞもぞと、年末年始。これも私の小さな驚きを求める生き方。
先日の異業種交流会の時、某中堅コンピュータ会社の会長(85才)の方曰く、「私は学問は落ちこぼれ、大学は卒業に8年もかかり、本は読むのに時間がかかり過ぎるので、殆ど読まない。新聞もTVも見ない、携帯も持たない、全て、ただ人の話を聴いて学んで来た」と。
人の話を聞き、驚いて、学んで来た人生だと云われる。柔和な穏やかな表情は、神様のように輝いてらっしゃる。松下幸之助氏は、自分が劣っていたからこそ、人が偉く見え、人の話を聴き学んで来たと云っている。共通した凄さを感じた。
同じ会に中央官庁の次官をした方もいて、この方の学問の優秀さは、また凄い。 その人が、退官後、旅して、旅の印象記を会で話してくれる時などは、 私は、歴史観や視点などに衝撃的な学びを得た。
学び方の両巨頭だと想う。
素晴らしい会に身を置けた縁に感謝する。
年賀状を幼児の友達に出す楽しみを覚えた。
若い友人の子供は、数年前に、赤ちゃんの時に見せてもらって、もう4才くらいかな、男の子。私は毎年、カエルの漫画を描いて年賀状を出して来た。
今年は、小田原の妹の孫の3才の女の子、ののちゃんと昨日も長電話したし、今年は年賀状を出そう。
ミーアキャットが好きなので、ミーアキャットの漫画にもトライして描いてみよう。得意のカエルの漫画ももちろん入れて。
ののちゃんは、私を友達と思っている。私は、幼児に対して、ムツゴロウさんのように接する特技があるのかなと、嬉しくなる。
自分を無にして行けば行く程、人は祝福を受ける。
徹底的な懺悔は、無条件の歓喜をもたらす。
住職の修行の体験から感じたことと云う。
ある時、寺で徹底的に仏像に悪態をついて、仏像を睨みつけてやった後、徹底的な懺悔が起き、ニコニコニコニコした体験を住職はしてくれた。
寺の師匠は、「まだ未熟なくせに、ニコニコニコニコするな」 と言われるほどに。
2017年、クリスマスの頃の法話から。
西欧では死を霊魂を失うと表現することもあるが、インドやチベットでは、肉体を放棄すると云う。
肉体を放棄するとは、車が古くなり廃車するように、また新しい車にまた乗ればよい(誰かの身体を借りて再生して行く)。
神は、目的達成の手段でなく、神が生涯の目的そのもの。
昨日の住職の法話から。
昨日、会社のそばの青松寺の門に禅の教えが書いてあった。
ひと息、ひと息が、生死と云う境地が書かれていた。
瞬間瞬間に生死を感じて生きることの安らぎ。
消えること、滅びることへの毛嫌いがなくなる。
瞬間瞬間に滅することを「生」と云う。
私の大学時代のクラブ民族舞踊研究会は、パートナー校は東京女子大だった。両校合わせて約40人くらいのクラブ。
東京女子大の、同期のクラブの女性が最近病気で亡くなり、昨日、大森の臨海斎場の告別式に出席した。
彼女は日本文学が専攻で、永井荷風を研究していたと云う。弓も二段の腕前だったと云う。同じクラブの頃は知らなかったことを昨日、告別式で初めて知った。
文学部の日本文学専攻の彼女の友達が数人、懐かしいエピソードなども聞かせてくれた。
出棺の時、ご主人が、棺の中に、源氏物語を入れていた。
亡くなって初めて知る、同期生の人生を想う。
当時の練習曲、ラストワルツのメロディーが懐かしい。
昨日夜、NHKのファミリーヒストリーの桂歌丸師匠を見るために早めに家に帰った。
横浜の真金町に住む桂歌丸師匠は、遊女置屋を営む祖母に育てられた。早く亡くなった父親のことも、家を出て行った母親のことも余り詳しく知らなかった。取材で明らかになった両親のルーツに歌丸師匠は感慨ひとしお。
私は、母の実家の長崎の京泊は昔も今も大好きな場所、祖父祖母の顔も懐かしく想い出す。父親の実家は大牟田市の郊外の手鎌と云う場所、そう云えば子供時代以来行っていないことに気づく。父親の方の祖父祖母も三男の父親が引き取り同居していたので、よく覚えている。
私は、両親の人生の奇跡を辿る満州も旅した、私は私のファミリーヒストリーのひとり取材班みたいに動いているように想う。
そして、私も娘に、知っている限りのことを伝えておこうと想う。
それは、人生に勇気を与えること。
毎月第3火曜日に開かれて149回続いた新宿らんぶるの哲学カフェ(横山紘一先生)が昨日で終了する趣旨で忘年会が開催された。
私も、何度も通って、色々な人間模様を観て来たと想う。
自分と違うところに着目すれば、違和感や敵対心も、同じところに着目すれば安らぎ。
懐かしい議論や激論、罵倒や言葉のボクシングもあったなぁ。
それぞれの「群盲索象」に気付き、そのことに愛おしさを感じれば好い。
哲学カフェの想い出。
ひとりの時間の安らぎの安定感はすごい。
孤独ではない安心感の中に、ひとりの時間があっても、寂しくはない。
誰かといつも一緒でなければ幸せでないとは、恐怖と共に生きること。
誰かと一緒の幸せを目指すのは修行の入り口、いつしか、ひとりの時間の圧倒的な安らぎを見出して行く。
内なる充実は、外の世界を必要としなくなって行く。
ひとりであっても、全ての存在と共にある境地を目指す。それは神と共にある境地。
一昨日夜、長崎から横浜に帰宅、場面はサッと切り替え、昨日は、私の今後の、趣味と実益のライフワークとなるだろう観光ガイドの営業力向上のセミナーに小田原商工会議所に出かけた。
神奈川県観光課主催で.日本観光ガイド協会の方々の講演、最新の業界の情報などを得た。
会場からの質問で、通訳観光ガイドの仕事に定年はありますか?との質問に対して、定年はありませんとの講師の言葉に、改めて嬉しくなった。
もし会社を辞める時が来たら、私はまた新天地を求める。それが私の両親からのDNA。満州から引き揚げ、全てを失ってからも逞しく生きた。笑顔も見せながら。
社会との関わり、旅と人、精進。人生を神に任せて、ただテクテクテクテクと歩く。
昨日の長崎は曇り、時々小雨、外海の波は1・5m、朝10時、長崎の常磐桟橋から軍艦島ツアーに初めて出かけた。
1890年~1974年まで石炭を採掘した軍艦島、東京ドームの1・5倍の広さに一時は5000人位が住んでいたと云う。
無人の島の廃墟に佇むと、瓦礫の中に、華やかな繁栄の時期の情景が浮かんだ。
懐かしい高度成長期の昭和の日本の情景も。
何事も新陳代謝、万物は流転する。
軍艦島は2015年に世界遺産になった。
人生にも心遺産がある。時々訪れたり、想い出し、感謝と生きる歓びの糧になれば好い。
昨日は、午前中に、また姉と会い、大牟田市内に住む従兄弟の家を訪ね、午後、大牟田駅から列車で長崎にむ向かった。子供の頃、よくSLで旅した長崎への旅。
2時間半の旅の後、浦上駅に着く。早速、原爆資料館に行く。外国人旅行会者達が沢山原爆資料館を訪れ、原爆の残酷さを知る様子を見て、世界の平和に貢献していることを実感した。私も、外国人旅行者達に原爆資料館を案内する日も想った。
その後、浦上駅前の、甥(大牟田の施設にいる姉の次男)の経営する居酒屋に行く。開店直後の時間から8時くらいまで、約2時間、カウンターで、焼酎のお湯割りと鯨の刺身など。カウンター越しに、時折、甥と話ながら。
ただ、長年のお互いの人生のことや親達のことは避けながら、ただ、穏やかに話せること自体が嬉しかった。彼の自慢のエビを海苔で巻いた天ぷらも、じっくり味わって食べた。
馴染みのお客さんが来ると見せる彼の満面の笑みは、私も、心が晴れた。
昨日の訪問の様子を、大牟田の施設の姉に手紙で伝えよう。
私は、姉に成りきって、カウンター越しに働く甥を愛おしく想った。
昨日から来た大牟田の駅前に、長く親しんだ店「松本」がある。両親が生前に、姉ともよく一緒に行くことを楽しみにしていた和食の店、松本定食は、1000円で、刺身・天ぷら・茶碗蒸しが付いていて人気だった。施設に居る姉を見舞った後、昨日の夜、「松本」を訪ねてみると、今月いっぱいで店を閉めると云う。板前でもある経営者の人が、もう年で後継者がいないような感じであった。
最近、中東のアブダビに電話したら、1989年に私が設立した某石油会社のアブダビ事務所の場所を1ヶ月前に移転したと聞いた。想い出のオフィスが消えた。
大牟田の弟の家に立ち寄ると、16才の犬、ゴールデンリトリバーは、介護が必要な老い迎えていた。強烈な歓迎のじゃれつきはなく、静かに横たわっていた。
故郷のレストラン「松本」、「アブダビ事務所」、弟の家のゴールデンリトリバー「ケイ」、消えゆく姿を想う。今ここ、今ここ、と消えて行く時。
今ここ、今ここ、と生まれて行く新鮮な時。そして、いつしか、生も滅も気にならなくなる。
生死は仏の御いのちなり。生滅滅し止んで、寂滅をもって楽となす。
昨日は、1998年に病死した先輩(当時49才)の息子さん(41才)の米国転勤の送別会を新橋の、先輩ゆかりの店でやった。当時、その先輩とウマがあった後輩の私と、もうひとりの後輩と3人。
酒飲みで、優秀で、はちゃめちゃな生き方だった。憎めない、痛快な笑いも誘う生き方だった。
先輩がよく言っていた口癖(語録)を想い出し、肴にして談笑した。
親の友人達から聴く、親の面白いエピソードは、息子にとっては、さぞかし新鮮に面白く聴けたことだろうと想う。私も両親の友人から、親の生き方のエピソードなど沢山聴く機会があったら、さぞかし好い刺激を感じただろうと想う。
当時の先輩と同じように、笑う息子は、懐かしい先輩の笑い声だった。
今日から週末は、年末の九州帰省の旅。
昨日は、アラブ人2人を含めて6人で忘年会、赤坂のステーキハウスで何か、ちょっと変わった忘年会。
アラブ人はアルコール飲めないし、肉もハラールとか、ハラールでないとか、変わった制約もあるが、結構楽しい談笑だった。
ハラールのケーキはとか、私がジョークを飛ばしたり、相撲の呼び出しの声(貴の花♪)とかのものまねをアラブ人に教えたり、アラブ人にラクダの顔の真似をリクエストしたり、ちょっとお笑い忘年会。
アラブ人の彼らの日本滞在は、原則3年、彼らが日本のファンになって帰って行って欲しい。
芸術は個人の意識を超越して対象の神性を描くところに真髄がある。私が描いたとか、誰が描いたとか気になっては、作品を観る目が濁る。
巨匠が描いた駄作でも有難がるのは、ビジネスマン、ミーちゃんハーちゃんの世界だと想う。名声で堕落して行く芸術家も多い。
私を消す力が法(真理)。法に従って生きることが安らぎ。
先日の、住職の法話の刺激から想う芸術論。
昨日の朝は、綱島で気功、宇宙を相手に、地球から風を送った。ぎっしりと隙間なく地球の愛(空気、引力)の存在を感じながら。
昼から浅草・押上の業平(住所の響きも好い)のカフェテリアでのシャンソンライブ、久しぶりに私の大好きな「黒いオルフェ」のメロディー、しかもフランス語で。私のアラブとの関係に因んで「コーヒールンバ」も披露しでもらった。
その後、夜は尾山台へ同郷の有志忘年会会場へ、もう顔を合わせるだけで、笑い出す仲良し約10名。何を話したか?余り記憶にないが夜遅くまで談笑。新しいギャグネタも仕入れた。店のマスターは、私がギャグを話しかけると営業妨害と諫める。私は益々いじりたくなる。
店に来るのに屋台の焼き芋屋を目印に、道に迷ってしまったとか、トンチンカンも楽しい。
さぁ今日からは、仕事モード、そろそろ年賀状も書き始める頃。
帯津良一医師とも交流のある住職は、昨日、帯津良一医師の境地を紹介して、「健康とは大自然の摂理に則って生きる」こと。「内なる生命場(陰陽2力)の秩序性を高めて行くこと」、「いつしか虚空と一体化する、それが養生」など、素晴らしい境地を教えてもらった。
徹底した懺悔は、歓喜となる。口先のごめんなさいじゃない。
古代の聖人の教えは、自分の口で、自分の言葉で同じことを云えなきゃ、何にもならない。自分がその教えに同意するか、その聖人が自分に同意するか、それくらいの心構えが必要。釈迦何するものぞと云う気位の凄さ。釈迦を尊敬するヴィヴェーカナンダ師の言葉である。
釈迦の悟りの、蠟月の接心(12月の初めの1週間の座禅)の後、昨日の住職の言葉から。
浅草伝法院通りは、萩本欽一さんやお笑いの有名人の写真が通りの電柱に飾ってある。ビートたけしのゆかりの居酒屋「捕鯨船」もある。
浅草公会堂は、先日、戦争体験を聴く会や、新日本舞踊(大衆芸能)の公演を見に行った場所。
「捕鯨船」の前にあるリトルシアターは、お笑い芸人のたまご達が芸を磨いている。また、シャンソンのライブが聴けるところ。プッチャリンさん(浅草のチャップリン)も出没するところ。
昨日は、会社帰りに、小雨の中、リトルシアターに立ち寄り、シャンソンを聴いた。
浅草は私の気に入りの場所、浅草伝法院通りは、何か心安らぐ場所。
今朝の日経新聞に、血液のガンの新療法が紹介してあった。
スイスの大手製薬会社ノバルティスが開発したCAR-T 免疫細胞療法は、1回の点滴で血液のガンの7割~9割に効果ありと云う。
価格も5000万円に定められたと云う。効果も価格も常識破りのガン新治療は日本でも近く実用化される見通しとのこと。
健康な人は、この5000万円が要らないことを想えば、健康は見えざる財産だなぁと云う感慨に浸る。
もっともっと、見えざる財産に気付かなきゃと想う。
昨日は、かつてあった地元のジャズ喫茶の仲間たちの6人の居酒屋の忘年会。
ある人は、建設関係、「玄人は決して脚立(台)の一番上には乗らない」と聞いて、納得。
一番上は、左右前後、頼れるところが無い、極めて不安定と云う。
町内会のような集まりは、思いがけない学びにも巡り会う。
人生も同じだなぁ。
前後左右全て自由自在な時は、不安定極まりない。何か、やらねばならね支えを持っていれば、安定する。
毎日やらねばならぬこと、仕事や毎日の習慣(掃除や座禅やお経など)、それが、安定の元。
追伸: 「ちゃたつ」と発音していたら、調べたら、「脚立」と、この年になって初めて知った。 これは、恥ずかしくなる様な、大きな学びでもあった。(笑)
昨日は、会社帰りに四谷のサロンで開催の平家物語を聴く会に出席。
解説は、何とオーストラリア出身のネルソン教授(法政大学文学部).彼は日本語も堪能で、源氏物語なども講義していると云う。
彼の平家物語の一の谷の合戦の解説を聴き、その後、前田流平家詩曲相伝の女性演奏家ふたりの平家琵琶の吟詠を聴いた。
色々な世界があるものだと、新しく覗いてみた世界の新鮮さ。
私の母親の里は、長崎の平家の落人のゆかりの里。
毎朝、正月の元旦の朝の様に、すべて仕切りなおし、 これからと思い新鮮に思う生き方。
毎日、夜、大晦日の様に、 また来年への抱負を抱き、気持ちを切り変えて寝る。
そんな、毎日の繰り返しは好いと思う。
何も引きずらず、その時、その時に最善を尽くす。
その時、その時の真剣さ、潔さ。
毎日毎日が、それで区切り。
そして毎日が、将来の、また来世の礎になって行く。
すがすがしい修行の道、光の道、仏を証明して行く道。
昨日、はとバスの秩父夜祭りのツアーに参加して、初めて秩父夜祭りを味わった。
新宿を昼1230に出発し、1500~2000まで秩父神社界隈の自由行動で、2200には新宿に帰着する、すばやい秩父夜祭り見学だった。
冬の空に7000発もの花火が打ち上がる秩父の街に、豪華絢爛たる山車がくり出す様を、初めて直接見ることが出来た。
観光のプロを志す私なら、ぜひ見ておきたかった懸案が一つ実現した。
大混雑の大人気の秩父夜祭り、私はまるで、博物館の展示を見るかのように、ひとり旅で、静かにその混雑ぶりをも静かに眺めて散策した。
秩父は、棚田や農村歌舞伎で最近も訪れた街。秩父は、色々な味わいを見せる街。
パソコンソフト・マイツールの会の忘年会は、夕方の山下公園の氷川丸横のマリンシャトルの乗り場集合だった。快晴の冬の日の夕暮れの横浜港の1 時間の遊覧は、私は、うっとりするほど美しかった。
その後、徒歩で横浜スタジアム近くの忘年会の会場へ、私は、この会は、1年以上顔を出していなかったが。すぐに打ち解けられる雰囲気。私は、ギャグのトレードマーク、参加者11名は、盛り上がって談笑。
途中、山形から来た人が、会費は払わないがもうひとり参加してもらっていいですか?と云って取り出したのが、半年前に亡くなられた奥さんの遺影。私は、ワァーと感動した。
お互いに幼なじみで、再婚同士で25年連れ添われた奥さんだったと云う。喪失感から北海道へひとり旅もされたと云う、死にたい気持ちで。まるで、宮沢賢治が妹を亡くしてサハリンを旅した銀河鉄道のように。
私は、その方と初めて会ったが、なんだか、一つの文学の中にいた、
美しい横浜港と、銀河鉄道、そんな冬の一日だった。
12月の世間の慌ただしさ、区切りの月だから、何か気ぜわしい。
だからこそ、私は、むしろ、淡々と静かに過ごしたいと想うようになった。始めと終わりがあるから、気ぜわしいのかと想う。ならば、始めも無く終わりも無いと思えばよい。
毎日、夕方、夜は、慌ただしくなるか?自問してみる。
一日を振り返って、また明日があると思えば、静かに寝れる。
12月は、ただ1年を振り返って、来年に宿題を繰り越そうと思って、のんびりと静かに過ごしたい。
人生もそうか?、、慌ただしくなる人生か?、穏やかになる人生か?、
やるべきことに、今世限りでは無いと思えば、ちょっと悠大に、静かな気持ちになれることに気付く。
相撲界の今回の暴力事件の全容がわかるにつれ、沢山の気付きや学びがある。
日馬富士は、先輩後輩の礼儀はこうあるべきと云うこだわりと自分が横綱と云う傲りが、貴の岩との縁に触れて噴き出して制御不能となったのだと想う。
貴の花親方の方も、力士同士の交流をしてはならないと云う強烈なこだわりを揺るがすモンゴル力士同士の事件に激怒し、日頃の相撲協会への不信を先鋭化させて制御不能となったと想う。
共に、強烈なこだわりは、彼らを横綱にまでしたエネルギーでもあると想う。世間の立身出世と似ている。
宇宙は、作用と反作用で調和している。全ては、あるべくようにある。
こうすべき、ああすべきも、度を超すと苦しみが深まる、宇宙の真理(安らぎ)からは遠ざかると想う。