重力に身を任せるような生き方、
損得善し悪しの統一は無理、損得善し悪しが生じる以前に帰るだけ。
心を整えようとしても無理、心が生じる以前の世界に帰るだけでよい。
親鸞の「委ねる」は、重力に身を任せるような感覚。
人は考えている時、気が上に上がっている。個別にものを分析したりすると、気は上がってしまう。日常、気を下げる鍛錬をする必要がある。世を達観する精神がないと、気は上に上がってしまう。
昨日の住職の話から印象深かったこと。
禅僧が胸の前で指を一本立てるポーズ「一指頭の消息」は、父母未生以前の世界に帰ること。
虚空世界を照らす光を感じること。
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