禅問答の刺激、
今朝、あるメールマガジンに書かれていた禅問答に、何か、ハッとする清涼感を覚えた。
野原から鳥の群れが一斉に飛び立つ様を見て、師が弟子に問う。「どこへ飛んで行ったのか?」
弟子曰く「わかりません」
師は、突然弟子の鼻をつまみあげ、弟子は「痛い」 。
師曰く「何だ、飛び去ったと云うが、鳥はここにいるではないか」
私は、この世界が好きだ。
今朝、あるメールマガジンに書かれていた禅問答に、何か、ハッとする清涼感を覚えた。
野原から鳥の群れが一斉に飛び立つ様を見て、師が弟子に問う。「どこへ飛んで行ったのか?」
弟子曰く「わかりません」
師は、突然弟子の鼻をつまみあげ、弟子は「痛い」 。
師曰く「何だ、飛び去ったと云うが、鳥はここにいるではないか」
私は、この世界が好きだ。
今年もイスラムのラマダン(断食月)が5月27日から始まった。毎年約11日づづ早まって行くラマダン、今年は、高校の大同窓会の日、日本海海戦三笠記念式典の日、三浦一族油壷海岸の流鏑馬の祭りの頃。
会社の中でも、アラブ人の前では、飲み食いをしないように配慮しなければと想う。
アラブ人の親しい友人たちに、ラマダンカリム(ラマダンおめでとう)のメールを発信した。
世界中の16億人のイスラム教徒が、神聖な空腹を想い起こす月。
今年は、来週から1週間、ロンドンに出張する。
ロンドン駐在の友人たちにも会えるのが楽しみ。
2017年のラマダンの頃。
昨日は、三崎マグロ切符(横浜から日帰り3100円のサービスチケット)を利用して、三浦海岸や油壷海岸の流鏑馬の祭りに出かけた。
毎年この時期に油壷の新井浜で行われる三浦道寸の祭り(流鏑馬)は、海辺で見る流鏑馬で、なかなかの歴史絵巻。私は、また.1516年にこの油壷海岸の新井城で3年もの籠城を経て北条早雲に滅ぼされた三浦一族の歴史を想った。
昨日は、一緒に行くと云っていたアラブ人も27日からラマダン(断食月)に入り、結局私は、日頃の一人旅のパターンだが、それも気楽旅の楽しさ。マグロ切符に含まれた契約レストランでマグロ料理や京急ホテルでの日帰り温泉付き。
一昨日の高校の大同窓会の二日酔いも、油壷の海岸の流鏑馬で、美しく癒えて行った。
「岬めぐり」🎶の歌に乗せて、
昨日は、福岡県立三池高等学校の関東地区の大同窓会が、市ヶ谷アルカディアであり参加した。約500名の大同窓会で、各年次の先輩後輩たちや、私の妹、義兄や、姉の同級生など、各テーブルを回って、談笑した。
最初の45分くらいは、大同窓会らしく、同窓会の幹部の挨拶が続き、その挨拶の長さに辟易の会場の雰囲気も何のその。甚だ簡単ではございますがとは、もう、それが笑を誘う始末。
それでも、それが年寄りの病気の症状かと思えば、可愛いとも想う。あれだけ、記憶に残らない当たり前のありきたりなことを長々としゃべって、よう音羽屋とか、掛け声をかけたくなるくらい。
そう言う私も、昨日は、同窓会の前の喫茶店のゼロ次会から同窓会後の三次会まで、ギャグをまき散らす始末。時折、ギャグの反撃や失笑を受けながら、ギャグを云い過ぎてクタクタになった。
今日は安静を要する。今日は、静かに別人28号になろう。
今月の健康の勉強は、運動の大切さ、筋肉の大切さだった。 そうか、とうなずく。
―「間違いだらけのアンチエイジング(鳥羽研二著: 朝日新聞出版)から抜粋-
1、 「アンチエイジング」より、「ウイズエイジング」
With Aging (ウイズエイジング)とは、素直に老いと向きあう生き方。
2、 骨の量が最も多くなるのは30才前後、壊される骨より作られる骨が多い状態。
骨の減少を食い止めるには、一つには運動。 それからカルシウムも。
骨は体重の重みガかかることでも増えて行く。
3、 人は血管と共に老いる。 医学世界の名言。
4、 皮膚の弾力は水分の量の減少、水分が減るとコラーゲンが固いものに変わって行く。
皮膚が弾力を失う理由に、筋肉の減少がある。
5、 水を適量にこまめに補給するのは好いが、ガブ飲みは身体に悪い。腎臓の機能を痛める。
食事に含まれる水分のほかに、500ml ~1 リットル お茶などで水分補給が好い。
1日に4リットル 、5リットルも飲むと寧ろ害。
6、 認知症予防に効く「魚食」と昔話、同窓会も効果あり。
7、 酒は2合と3合が、健康と病気の分かれ目。
8、 老化を遅らせる方法は2つだけ、→ 「食べすぎないこと」、 「運動すること」。
9、 ホルモン補充療法には、ガン、脳血栓の危険が増す。
10、 コラーゲン入り食品に美肌効果なし。
人の身体は食べたコラーゲンを吸収しない。
コラーゲン入りがうたわれている食品を食べても、自分の肌の一部にはならない。
化粧品も注射も、一時期、身体の表面に留まるだけ。
11、 90才でもトレーニングで筋力を増やせる。歩くための筋力は何才でも増やせる。
12、 語彙力(ボキャブラリー)は、60才まで伸び続け、80才でもまだ25才の時よりは高い。
13、 保険外交、システムエンジニア、おもてなし商売などは、若さより経験がものを云う。
14、 「何が出来なくなったか?」でなく、「何がまだ出来るか?」で生きる。
15、 薬指で机をトントンにも脳トレ効果、歯磨きをするのも、歯茎への刺激が脳を活性化する。
以上
外国でも大人気を博した漫画「Naruto」 が舞台化され、その公演に、ぜひ行きたいと、日本駐在の若いアラブ人に云われ、チケットの入手を手伝ったら、一緒に行こうと云われ、興味本位、好奇心から、付き合ってみることにした。
私には、漫画「なると」は、若者過ぎて、違う世代で縁はなかったが、そのアラブ人が、私を仲間に思っていることが、まぁいっかと苦笑させた。
ナルト、サスケ、サクラ、我愛羅と云う4人のビジュアルが、すごいのだと云う。
外国人への観光ガイドのつもりで、付き合ってみるかと云う気持ち。
弟や妹もわかるまい。娘に聞いてみよう。
昨日は、インドから来日中の、アンマと呼ばれている聖者(尼僧)の来日記念イベント(5月23日~25日)に、会社を休んで朝から一日中参加した。
過去46年間で、世界中で延べ3700万人以上の人々を抱擁(ダルシャン)して来たアンマは、昨日も一昨日も今日も、渋谷の会場に集まった大勢の人々を一人一人抱擁している。
ニューヨークタイムズは、「休むことなく抱擁を続けることで、アンマは世界の苦悩と戦っている」と評している。ロイター通信は、「アンマはマザーテレサやガンジーのような、精神的指導者になりつつある」とも評している。
そんなアンマのオーラを、昨日は私も抱擁も受け、体験することが出来た。
私は、小さな驚きを求めながら、光を感じる方向に歩く。
21日(日曜)早朝、NHKの「心の時代」(横山紘一先生)、「唯識を生きる」の2回目を見た。
「如何に生きるか?」の問いから、「何故生きるか?」の問い、そして「これは一体何か?」の存在への問い、と哲学的思考が深まる過程を再認識した。
何故を幾度となく繰り返して、真相に迫る心地よさを想う。
存在とは何か?と考える人は、すごいと想う。私は考えたことは余り無かった。
「如何に生きるべきか?」に始まり、何故を繰り返し、存在とは何か?を経て、また「如何に生きるか?」を考える。
そのプロセスを、成熟、静けさへの道だと想う。
私が、姉の縁で長く食べているミキプルーンを想い出して、昨日、クウェート在住のクウェート人から、近々日本から帰省するクウェート人に、ミキプルーンを持って来て欲しいと依頼があり驚いた。
私が、ミキプルーンを食べていたことを、想い出したのだろう。
1970年代から、地味ながら、確固たる実績を積んで、日本のおばさん達か伝えて来たミキプルーンの効果を私は、この10年体験して来た。
肥満率が高く、健康問題に悩むアラブ社会に、もしかしたら、私からミキプルーンが伝わるかも知れない。
色々な縁、色々な思いがけない展開に包まれて人生。
昨日は、30代のアラブ人3人を、浅草に案内した。私も30代の彼らに溶けこんているつもりで、我ながら、変な性格かなと自覚しながら。
ちょうど浅草は三社祭り(19日~21日)の賑わいだった。
大衆演劇の木馬館では、歌や踊りは言葉がわからなくてもいいが、劇の部分は日本語がわからずに一時外に出てもと想ったが、彼らの希望でとどまり私が要所を簡単に通訳で耳打ちした。
江戸の朝霧と云う演劇で、ヤクザの抗争、敵討ちの劇で、アラブ人達にもわかりやすく、彼らも拍手喝さいを送っていた。
着物でのパワフルな踊りや、芸者のような踊りに、彼らが、とても盛り上がっているのがわかった。
彼らはイスラムの規律で酒は飲まないが、民謡酒場では、津軽三味線にも感激していた。ドジョウ救いの踊りも。
日本で歯科医の技術を学ぶ留学で滞在中のアラブ人や会社の同僚のアラブ人に、なかなか通常の観光コースにはならない大衆演劇と民謡酒場で.日本の一面を見て貰った。
私がプロデュースする観光コース、確かな手応え。
太極拳と禅を指導する住職曰く、太極拳では、貴方は本来「太極」だと教えるだけ。
太極とは、神、真理、宇宙意思とか、同じもの。
禅では、「汝はそれなり」を教えるだけ。
発心正しかざれば、万法むなし。
人生に技巧は要らないと想う。
会社の若いアラブ人から、ユーチューブのUrban Ninja (都会の忍者)と云うのを紹介して貰った。
忍者の格好に憧れ、忍者の格好をした白人の若者が、都会を走り周り、人々を驚かせ、失笑をかう動画である。
いい大人が、忍者になったつもりで、可笑しくて大笑い。
こんなユーモア、私も好きなジャンル、 弟にも転送してニヤニヤ。
私も手裏剣や鉄ビシのおもちゃを持っている。
昨日、商社の顧客からの招待で有楽町のフレンチレストランApicius.と云うところでランチをした。
その店は、2014年夏、私が知床を旅して、東京へ帰る途中、紋別流氷公園で朝散歩中の地元男性に紹介されていた店だった。その男性は、そのフレンチレストランの創業者と深い繋がりがあり、東京から紋別に移り住み、北海道の新鮮な食材を調達し、その有楽町のフレンチレストランに定期的に送っている仕事をしている人だった。そんな食材にこだわりのあるレストランがあるのに、私は驚いた。
だが、個人で行くには、高級過ぎると、店には、行くことなく、もう3年くらいも経っていたが、有楽町のApiciusと聞いて、私はビビっとそのことを想い出した。当時の紋別流氷公園で撮ったその男性の写真をコピーして、ランチの時、店の支配人のような人に見せたら、「あっ、アベちゃん」と、その人のことがすぐわかった。
私の2014年夏のウトロ知床の旅と3年越しに繋がった縁、私の心に流氷の来るオホーツクの海がいっぱいにに広がった。
秋篠宮家の眞子さまの婚約ニュースで、まこさま、まこさまと報道を聞くと、故郷の弟の次女「まこと」大学生を想い出す。
ちっちゃい頃から、帰省の度によく遊んでやった可愛い女の子、背中に乗せて「お馬パカパカ」、足と手を抱えて飛行機みたいに飛ばす「飛行機ブンブン」。
私の母親の生まれ代わりのような、何か、そんな雰囲気の女の子、よく弟とそう云って笑う。
「うちのまこさま、元気?」と、昨日、私は九州の故郷に電話した。弟の奥さんと、うちのまこさまの話題で談笑した。
昨日の会社帰り、新宿の哲学カフェに行った。数日前に、主催の横山紘一先生が、急に台湾に出張されるから私に電話で司会を頼まれたので、その司会の役目も果たすべく哲学カフェに出かけた。
12~13名の参加者で、私は、全員参加型の対話を目ざすように、話し易い話題として、「ジーンと(感動)した話」 を各人から短く話てもらうことにした。
お互いに、感動したエピソードを話し合って、そこから何か、新しい人生の刺激を受ければ、対話(ダイアローグ)になる。
単なる挨拶の会話でもなく、論理や知識の勝負の議論討論でもない、お互いの考えを変える力が生じるような「対話」が出来ればと希望しながら、司会を務めた。
結構、それぞれが、自分にとって、感動した話をしてくれたが、坐禅をして鳥の声が聞こえた時とか、新しい料理法を発見した時とか、意外な発言にも、ちょっとした刺激を受けた。
人が何に感動して生きているのか、チラッと垣間見ることは、ちょっとした驚きもあり、人間理解、自他の関係を客観視出来るようにも想えた。
哲学カフェに来て、何か新しい自分の発見があったなら、何かエネルギーが湧いて来るものがあったなら、私は、好い司会者の役割を果たせたと想った。
帰りに、参加者の表情を眺めて、ちょっと、嬉しくもあった。
失敗を想えば、人生の数々の場面が想い出され、成功を想えば、人生の数々の場面が想い出される。
全ては、失敗も成功もなく、表裏一体のものを、その人が、どちらか一方を見て、どちらか一方にとらわれて見ているに過ぎないと想う。
失敗と想いたがるクセ、成功と想いたがるクセ、それぞれの人の好み、趣味のようなもの。
ただ、全ては、あるべくようにあるだけ。
成功でもない、失敗でもない世界の安らぎ。
坐禅や気功の仲間の中に仲のよい4人組がいて、85才や70代半ばくらいの元気な女性達。
聞くと、一番年配の85才の女性が、女学生時代にふたりで行こうと約束した親友と、今月末に、木曽路を歩く旅をすると云う。
70年前の女学生時代に、「一緒に木曽路を歩こう」と約束したことを、今年今月実現するのだと云う。
親友の娘さんが、心配して、その木曽路の旅に付いて来るらしい。
85才の女学生ふたりが、手をつないで、歌を歌って木曽路を歩く。
昨日は、約3週間ぶりの住職の坐禅会、静かに法話のメモを読み返す。
「今ここ」とは、名称と形態のない世界。
「色」はプラスマイナスの世界、「空」はゼロの世界、「色即是空・空即是色」。
左右を同時に観る力、上下を同時に観る力。神の力。
全ての存在が微笑む境地。
坐禅は、自分を高めるためにやるのではなく、私を忘れるために。
メモを読み返すだけで、静けさが広がる。
私は、1974年に大学を出て就職した時から、約20年間、郷里の両親に毎月3万円の仕送りを、自分から云い出して続けた。結婚する時も、この送金は、家計と別にすることを条件に結婚した。
昨日、NHKの連続T V小説「ひよこ」 で、集団就職みたいに東京の工場に就職した主人公のみね子が、緑色の縁のあるような現金書留封筒に初給料を入れて母親に送るシーンがあり、私は、突然、懐かしい現金書留封筒を見て、感情がどっと溢れた。
私が、東京の大学に進学する時、私には何も言わずに、自宅の裏山の土地の一部を売って学資とした両親を知っている。
私は、大学を出て、日本石油に入り、最初の赴任地は、新潟で、独身寮に入った。
緑色の縁のある現金書留封筒にお金を入れて、九州の両親に送った時の歓び。家族に役立つことの歓び。
それは甘く切ない想い出、私の人生でとても幸せの想い出であることに気付いた。
親に恩返しのひとつも出来たと云う想い出。
それでも、両親が亡くなっ時、私からの仕送りの大半は、貯金に残していた両親。それがまた泣けたなぁ。
久しぶりに目にした現金書留の想い出。
昨日は、東京から、アラブ人ゲスト夫妻を連れて京都日帰りの旅が、とても心地よかった。
去年10月も同じようにアラブ人ゲスト達を連れて、日帰り京都の旅をしているので、全てが気持ちにゆとりがあり、ゲスト夫妻の満足する旅を演出することに専念して、ゲストの喜んでいる様子が楽しかった。
祇園の翼橋、リッツ・カールトンのお茶、嵐山保津川の舟.金閣寺、伏見稲荷、時々特別リクエストの買い物など、全てがMKタクシーの運転手さんと連携プレー。
人口150万人の京都に年間5600万人の観光客が来ると云う。京都市には1600の寺と400の神社があると云う。伏見稲荷の1000本鳥居は、実際は、1万本くらいはあるとのこと。
私も、通訳ガイドとしての道が、現実に近づいて行くように感じた。
昨日、昼、来日中のアラブ人ゲスト夫妻から、急遽明日、京都に行きたいとのリクエストがあり、私は、喜んで同行することにした。
想い出の旅になるお手伝いをすることは、私も本望。
朝、大手町のホテルでピックアップして、7時過ぎの東京駅発の新幹線で出発。
京都では、タクシーを借り切り、8箇所を巡り、東京帰着は、夜2130の予定。
こんなハプニング的展開も、私は、楽しい。
今朝は、早朝、横浜から出発。早朝の電車も、異次元世界。
連休中に、浅草のお笑い芸人のリトルシアターに行った時、鯨が好きな私は、「捕鯨船」と云う名前の居酒屋に惹かれて、暖簾をくぐった。
そこは、なんと、ビートたけしの下積み時代からのお気に入りの店で有名な店だった。
ビートたけしや色々な芸人達のサイン入り色紙や、写真なども飾ってあった。
カウンターだけの店で、開店と同時に、すぐいっばいになると云う。私は、初めて入った時、よっぽど運が好かったと想う。
私は、久しぶりに、鯨の竜田揚げや鯨のステーキを食べた。感無量。
ビートたけしも好きだし、下積み芸人達の飲む姿をイメージしながら、居酒屋「捕鯨船」を味わった。
昨日の連休明け初日の感覚は、さほど大変じゃなかった。むしろ、平常に返る安心感があった。
毎日が休日より、会社があって、休日があることのメリハリが好い。
会社では、適度に、私らしい仕事が出来て、適度な負荷がちょうど好い。
会社勤めを辞める時が来ても、私は、一生現役で、私に合った仕事をし続けたい。
一生現役の人生のために、まず、健康と云う人生のインフラ整備が大事と想う。
一生現役のつもりで、人生をテクテクテクテクと歩いて行く。人生の旅は、小さな驚きに満ちて、学びや知る歓び、それは静かな人生の賛歌。
毎年連休中に開催される笑いのヨーガの大会が、昨日代々木公園であり、参加してみた。
100名以上の人が、お互いの顔を見て笑い合うイベント。梅干しを食べた顔やライオンの顔の真似をしたりして、相手の顔を見て大笑い。
通りがかりの外国人の観光客達も加わって、その異様なイベントに大笑い。中には、新婚旅行で来日中のヨーロッパ人のカップルもいて、みんなで笑って祝福してやった。
笑いのヨーガの体験の後、次は、浅草伝法院通りのリトルシアターで若手お笑い芸人達のお笑い芸を楽しんだ。私のお笑いのネタ帳に、新しいネタが加わったり、若手のお笑い芸人のたまご達の一生懸命さに、ちょっと感動。
連休の最後の日は、強制的に笑いで締めくくり。
「ターシャチューダー静かな水の物語」.と云う映画を見た。スローライフの母と云われたターシャチューダーの92年の、身の回りの自然観察にときめきや安らぎを感じて生きたひとりのアメリカ人女性の物語。静かな水のような人生を憧れ、実践出来た人生だった。
四季折々の自然を、感動して感じる歓び,自然観察は、幸せの基本なのだと改めて感じた。
それから,連休中に、ふと知ったことの楽しさ、地球の自転の影響で赤道に近い方が遠心力が大きく、人の体重も軽くなると云う。沖縄で計ると北海道より100gくらい軽くなると云う。
また、勉強したくなる楽しさ。
自然観察や知る歓びには、「私の幸せ」を忘れる世界がある。
今日も道端の草花を鑑賞し、そして新しい何かを学びたい。
6月いっばいで、地元商店街の一角にある銭湯が、後継者不足で廃業する予定と聞いた。
一昨日、名残惜しく訪ねた。
15時過ぎは、まだ人も少なく、伝統ある銭湯の、海と富士の絵や、高い天井、番台など銭湯らしい情景を、しげしげと眺めた。
一つの湯舟には、菖蒲が沢山入れられていた。私は、菖蒲湯を初めて体験した。
季節は、立夏の頃、名残惜しい慣れた銭湯との別れは、菖蒲の頃。
新潟の親しい先輩は、この数年ずぅーと入院している。この連休に新潟にお父さんを見舞いに行った息子さんから、入院中の先輩の写真がメールで送られて来た。
ベッドそばには、お孫さんからのメッセージの絵、汽車の運転手さんだったから鉄道のカレンダーが飾ってあった。
寝たきりの病床で、愛する家族がそばにいる時の気配は、安らかなまどろみ、そして、そばに誰もいなくても、後悔なき人生は、楽しかった想い出が静かなまどろみをもたらしてくれると想う。
私が、誰も知り合いも居なかった新潟に新入社員で赴任し、独身寮に入り、寂しかった頃、独身寮のそばに住んでいて一緒に英語会をやって家族で親しくしてくれた先輩。
寮のそばの川では、ウシガエルが鳴いていた。ちょうど今、新潟でもウシガエルが鳴いている頃だろう。
時折、私が強烈に印象に残った学びの数々を想う。
ウィゥェーカナンダの「私は、改革を信じない、霊性の向上を信じる」、
ラマナマハルシの「静けさ」、真理の持つ静けさ、「自他一如」の静けさ、
「無一物無尽蔵」、
「無功徳に働く」「結果は、神の領域」、
山岡鉄舟の「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」、
これらの言葉が、私の人生を導く。
全て、住職の法話から私が聴いた学びの数々を想う。
昨日は、会社帰りに娘夫婦のアパートを初めて訪ねた。
横浜反町の桐畑と云う地名のアパート。昔は、桐畑かあった丘なのだろう。新婚のふたりが2月から生活し始めたアパートの様子を初めて訪ねて、娘が結婚したんだなぁと初めて実感した。
結婚式は、もう少しふたりでお金の目途を立ててから、いずれ近い内にと考えているらしい。
今朝、アラブ駐在時代、砂漠にキャンプして、娘と砂漠に大の字に寝て、満天の星を見た時のことを想い出した。。
ただ、一生懸命に、その時その時を生きて行こうと想う。
最近、会社に行く前に、0800~0815のNHK連続テレビドラマ・ひよこを毎日見たくなった。
ドラマの中で、娘から、心の中で、「お父さん」 と呼びかけられるのが嬉しくて、ジーンと来る。
1964年の東京オリンピックの頃の田舎の風景、TVで出て来る茨城県の田舎のシーンが愛おしい。
テーマソングのサザンの桑田佳祐の歌も心地よい。
連続テレビ小説が大好きで、感動して涙しながら見ていた母を想い出す。
今日は、連休の合間の出勤日、朝、洗濯をして、ベランダに干し、テレビドラマを見て出勤。
昨日は、娘の結婚相手の家族(ご両親と妹さん)との初対面の会食を横浜元町でした。
リラックスして、これからよろしくお願いしますと云う気持ちで、談笑した。
娘も、結婚相手も、気を使って、ホスト役をしていた。
これも、結婚する時に経なければならない儀式。
娘夫婦も、私も無事顔合わせが済みホッとした。
娘は、私のことをギャグ好きな「旅人」のようなお父さんと紹介した。こんな時にも、確かに私は、時折ギャグを云って一同を笑わせた。
今年の連休中の大切なイベントが無事終了。娘夫婦の幸せを願う。