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March 26, 2017

生きた証しなどに拘らない悠久の彼方を想う、

生きた証しは、あれば、あるに越したことはないが、無くても、何も空しくもない。

短い期間なら、生きた証しは、残るだろう。

悠久の未来なら生きた証しは、残らないだろう。

どんな人生も、DNAの中には、科学的には、微かな痕跡を残して行くはずだとも想う。

一方、まるで、存在しなかったかのように、宇宙の静寂に帰って行くことは、至上の安らぎだと想う。

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