戦争を想い出す日、震災を想い出す日、そして光へ、
3月10日は、東京大空襲の日、数日前に東京大空襲の地獄のような絵を、記憶を元に描かれた吉野山隆英さん(昭和4年生)から、東京大空襲展(浅草公会堂)の案内をもらい、昨日の午前中に出かけた。
彼は、70才の時に、同期生達から、お前は、絵がうまいから、あの東京大空襲で見た地獄をぜひ、将来世代のために描いてくれと懇願され、やっと描く気になり描いた絵が3点。子を抱き抱えて焼死した母子、燃えないビルに逃げこもうとしてビルの前に山のように重なる黒焦げの死体、川に溢れ漂う死体。これらの絵のひとつひとつについて、その子供ながらに見た情景を解説して下さった。彼は、この人達の無念に、残された我々は、何が出来るか?と訴えておられる。この人達の無念の上に、平和が70年以上続いて来たと。私は、吉野山さんと握手した手を固く握った。
午後は、九品仏でいつもの坐禅会、3月11日だから東日本震災の特別な想いを込めて座った。住職からは、生死一如と云う話を聴いた。
ロウソクの例えが、強く心に響いた。ロウソクは、自らを滅しながら光を放つと。滅することは、同時に生まれる(光を放つ)こと。
私は、今日も肉体の沢山の細胞を滅しながら、生きている。生きること(光を発すること)は、沢山の細胞が滅しているからこそ。生死一如。
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