« 自然、必然を愛すると云う生き方、 | Main | 日本で一番寒い町、北海道の陸別町、 »

January 12, 2017

近所付きあいに潜む危うさ再認識、

いつも、私が挨拶しても、挨拶をしない近所の男性(会社の管理職らしい)がいるが、先日、奈良に坐禅年始会に出掛ける朝、たまたま家の前で会って、また私が、挨拶しても、知らんぷりで不快だった。

一度目は聴こえなかったのかとも思い、二度、「おはようございます」と云うと、こちらをギョロリと見て、やはり無言。

よっぽど、「挨拶もできないのか!」 とちょっかい出してやろうかと、内心思ったが、ぐっと堪えて、私も、ただ見過ごした。

これから、坐禅会の年始会に旅行に行くのに、こんな偶発的なことで、近所つきあいが、最悪に発展する恐れがあったことに、ふっと気づき、胸を撫で下した。 もし、そこで、喧嘩にでもなったら、旅行も台無しになっていただろう。 何のための坐禅だろうと苦笑い。

ちょっとしたきっかけで、最悪の展開が起こる危うさを再認識した。

相手が、どう反応しようとも、私はやるべきことをやる。 相手が期待通りでなければ、止めてしまう行為は、自分勝手な行為で、気まぐれで脆い。

相手の反応も神の領域、私は口だしすべきではない。

無功徳に働く時、訪れる安らぎを想う。 全てに神からのメッセージが込められている。

|

« 自然、必然を愛すると云う生き方、 | Main | 日本で一番寒い町、北海道の陸別町、 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 自然、必然を愛すると云う生き方、 | Main | 日本で一番寒い町、北海道の陸別町、 »