今日のビッグニュースは何か?
今日のビッグニュースは何か?、と問われたら、、、
「今の私」、と答えれば、素晴らしい一日が始まる。
毎日、毎日、光へ向かう自分をイメージすれば、静かな歓喜。
光に溶け込んで行く。テクテクテク、テクテクテクと歩きながら。
今日のビッグニュースは何か?、と問われたら、、、
「今の私」、と答えれば、素晴らしい一日が始まる。
毎日、毎日、光へ向かう自分をイメージすれば、静かな歓喜。
光に溶け込んで行く。テクテクテク、テクテクテクと歩きながら。
昨日、水上温泉から横浜への帰りは、電車で大阪からの後輩と話ながら東京へ。
途中、私は浅草リバーサイドホールに立ち寄り、2時からヒッボクラブ35周年イベントに出た。ヒッポは、語学は数学と同じ自然科学と捉えるところか面白い。とにかく語学は自然習得の信念には共感。
夕方6時からは、尾山台で恒例の九州の同郷の有志10人の新年会があり、水上温泉に続き連日の飲み会となった。場面は、目まぐるしく変わり、一日が、色々な印象に刻まれる。
マグロ回遊型人生の本領発揮に、苦笑。
さすがに今日は、会社が終わったら、静かに休養日にしようと想う。
昨日、尾山台で、仕入れた新しいギャグに、あっぱれマーク。トランプ大統領が入った生命保険会社の名前は??
アメリカ第一生命、
技あり、一本。私のギャグノートに記録。
ところで、トランプシリーズなら、Divided.State..of.America、と云うのも、いいなぁ。
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昨日、水上は、雪景色だった。懐かしい雪国の景色。
1975年新潟で採用された当時の若者たち約30名。当時の集合写真に、万感の想い。私も大学出たての姿が写っていた。
私は、宴会で、皆に懐かしい、起床やランニング、消灯など、当時の教育係の口調で指示したら、笑って、懐かしがってくれた。念願通り、新潟弁で殿様キングスの「涙の操」も歌った。
去年、急逝したふたりの仲間の遺影も、宴会の席に、飾ってあり、仲間の絆の強さを想った。
約20名、当時の新潟を想い出す数々のエピソードなどに心温まり、私も心は懐かしい新潟の雪景色の中。
今朝は、約30センチに積もった雪を見ながら、露天風呂にも入った。
私の雪国時代の人生のシーンがふたたび。
私が大学を出て、最初の配属先新潟で、地元採用の新入社員の教育係をやっていた。当時の新入社員達約30名は、その後全国に散らばったが、若芽会と云う同期会を作り、今回、水上温泉に旅すると連絡をもらい、私は、合流を希望し、今日明日と水上温泉に旅することになった。
あの頃、一緒に行った、新潟の巻青少年研修センター、角田山、サイクリング、マラソン、毎朝の通勤の引率、毎日夜の点呼など、全ての想い出は、私も23才くらいの青春の想い出。
今日、水上で会えたら、また、みんなを引率しなきゃと想うだろう。
朝、起床6時とか、7時ランニングとか、、、。
宴会は、新潟弁でガンガンしゃべり、新潟弁で歌ってやろう。
万代橋や古町の情景も、すっぽり雪景色の田園風景も、若芽会の若者たちも私の眼前に現れる。
気分はもう、越後へ。
フキノトウ(蕗の薹)は、雪解けを待たずに顔を出し始める春の使者と云われる。寒さの真っ只中にも、草花は春の準備を始めている。
下がる力は、すでに上がる力と云う、いつも住職に聴く宇宙の真理と似ている。
不幸と幸せが交じりあって、不幸の中に微かに芽生える幸せを感じ取るような。
心の静けさが、雪の下の蕗の薹を感じ取らせてくれる。
人間の五感六識には、対象を区別視する働きがある。五感六識が鋭敏になればなるほど、対象は際限なく区別されて行く。
そして、区別視には言葉が必要。
一方、五感六識の運転をやめると、対象は、どんどん同じに見えて来る。もはや言葉は不要。
差や区別、言葉は、人間を一時的に幸せにすることもあるが、それが、人間の苦しみ、悲しみのもとにもなる。
永遠の安らぎ、静けさとは、五感六識の運転をやめた言葉なき世界に身を置くこと。石ころもダイヤモンドも同じに見える世界。
それが、私にとっての禅。
いやなことも、幸せを感じることも、宇宙の理から云えば、メリハリがあって当たり前。
反対のことがあるからこそ、際立つ。
いやなことも、想い通りにならないことも、ただ味わえば、人生が愛おしくなる。
一生懸命に生きる、真剣に生きることは、神(宇宙の理)のメッセージを聴くこと。
毎日、小さな驚きに満ちて、嬉しくても悲しくても、安らかな調和に満ちて人生はある。
毎朝、振り出しに戻る生き方は、心地よい。
すごろく遊びで、振り出しに戻るとは、挫折だったが、毎日、新鮮な一日をスタートさせるのは、とても気持ちよいこと。
まっさらな自分を感じ、無一物無尽蔵を想う。
今朝も、振り出しに戻るか、と嬉しく苦笑。
冬晴れの朝、富士山も見える朝。
昨日は、私の属する通訳ガイド協会の総会が六本木であり、今年も楽しみに出かけた。
総会の後の余興が毎年素晴らしい。
バンドも入りジャズも。今年は「別れの朝」のドイツ語バージョンもかっこよかった。英語の「中央フリーウェイ」も。
参加者約50名の30秒自己紹介、たったの30秒で自己紹介なんて、厳しいナチスゲシュタポみたいなタイマーもいて、尻切れトンボで終わる自己紹介も、また可笑しかった。
私は、30秒で印象に残るなら、「シェー」 のボーズを実験、笑いが取れてそれなりの手応えあったものの、続いて、枕草子の短歌の美の紹介途中で、タイマーのゲシュタポにストップされた。残念無念だったが、その後.ワインやウイスキーをガンガン飲んでバーディーを楽しんだ。
東京オリンピックに向けて訪日観光客も増加中、私も、これから、準備を加速させるきっかけになった。
住職は、最近強調される境地がある。「闇を論ずるな、光を当てなさい」。
迷いや闇を、あれこれ論ずるのは辞めて、光(神)を当てれば、闇は自然消滅する。
闇や迷いは、相手にせず、邪魔にもせず。
想いは景色、印象気分が景色を作る。
真理(神)は無我、印象気分に囚われるない静けさ、安らぎの世界を感じなさいと。
闇や迷いを論ずるのは、個々の人間の印象気分の成せる技。
昨日の英字新聞で見た、オバマ大統領が云った最後のスピーチの中に、「作用は反作用を招く」と云うのは、私の日頃信じている宇宙の法則。
「Action typically create reaction 」
彼は、「極端な行為・言葉は、極端な行為・言葉を招く」と新政権に警告している。
そして彼は、「それでも、大丈夫」、「We are going to be OK 」、 と結んでいて、それも共感。
アメリカに、世界に、トランプみたいな極端なリーダーを生んだのも、作用と反作用の結果、経なければならないこと(試練)。いわばトランプ大統領は、その汚れ役を演じてくれる人。
そして、世界は、人々は逞しくまた、生きて行く。 大丈夫。
打撃衝撃は、自己を学ぶ暗示なり。
境目が無い漠然としたところの安らぎに気づく。
どこからが朝か、どこまでが夜か、その明け方の境目は漠然としている。 どこまでが冬か、どこからが春か?
幸せと不幸の境目も漠然としている様に想う。
最近、平安時代の歌で、藤原公任の下の句 「少し春ある心地こそすれ」と詠んだ歌に、清少納言が、「空寒み、花にまがへて散る雪に」と上の句を返したと云う逸話を初めて知った。
「空寒み、花にまがへて散る雪に」、「少し春ある心地こそすれ」
冬の中に既にある春の光景が浮かぶ。 生と死無き、禅の世界にも通じる様な。
英訳をトライして試た。
In cold Winter sky , snow falling like flower , reminding the scene of Spring in my heart .
もし下の句から入るなら、" Feeling a small sign of Spring in my heart ."→ "In cold Winter sky , snow falling like flower"と、ちょっと下の句の表現を変えて試た。
季節は今、2017年の春を迎える頃。
昨日は、東京の職場を1800終業後、品川から新幹線で新横浜の店へ、会社OB有志8人の懇親会へ。1850には、もう飲み始める早業には、我ながら小さな驚き。
先輩達は、私が30才前後の頃の、仕事で仕えた懐かしい方々。
その頃の会社の職場の情景は、まるで、前世でも見るように想い出した。
その当時から見れば、今の私は、来世の私。
三世両重の因果、前世も今世も来世も重なりあっている。
いつのまにか、私は、来世に入っているのかと想ってみたり。
欧米人に人気と云うマインドフルネス、心を一念に集中させること、成りきろうとすること。
念ずることで、想いが叶うこともあるが、世俗的な目的が、いずれ挫折を生む。人生にガッツポーズする生き方を目指すなら、いずれ息切れする,
念ずる世界には、力みがある。
念じなくでも、大丈夫の世界が見えれば、念ずることは忘れてしまう。
ただ、あるがままの静かな安らぎがある。
妹の孫、2才半は、「AKBが階段から降りて来ました。ありがとうございます。アイウオンチュー、🎶アイウオンチュー🎶」 と歌い始めて、周りを笑わせる。
先日、私は新年会帰り、太極拳をやる友人と、電車の中で、プロレス談義で盛り上がり、電車もすいていたので、軽く技の掛け合いの真似をして、笑った。大晦日にT Vで見た格闘技でヘビー級で優勝したミルコクロコッブ、私は、「ミルコクロコッブの入場です。」 と内心つぶやくだけで、自分がミルコクロコッブになったつもりになり、強くなった気持ちで可笑しくなる。
そこに、最近電車の中でよく偶然会う会う鉄道マニアの友人でもいたら、もう、大笑いの世界。昨日も、たまたま電車の中で会ったその鉄道マニアの友人から、その車両が新しいタイプであることや、新綱島駅構想や、その工事の遅れなどを聞かされた。
人間は、印象気分で成り立っでいると、住職に教えて頂いて、人それぞれの印象気分が愛おしい。
昨日、気功の時、住職曰く、坐禅は、するものではない。坐禅は委ねるもの、と喝破された。
大我は、即ち無我。
我と宇宙が対峙して、そして、我が宇宙に溶け込んでいく。
我は、何ひとつジタバタすべきものはない。
静けさの中に、我を引き戻す。
静けさの中に、我を委ねる。
昨日の住職の言葉に、更に、「静けさ」に対する憧れを増す。
先日、近所の挨拶しない不快な男性に対し、内心かっとなったその想いの正体は何か?と探った。
心穏やかなすがすがしい朝の挨拶が、喧嘩の口実探しの挨拶に豹変する理由は何か?
想いの主体は誰か?私に決まっている。
私は誰か?
静けさに引き戻される。
一体感は、愛おしさだけが残る。
挨拶しない不快な男性が、もう笑顔で私に挨拶している姿が心に浮かぶ。それがいつの日の将来でも好い。
一体感は、愛おしさである。
昨日は、会社帰りに、至高のフラメンコギタリストと云われるカニサレスの演奏をNHKホールに聴きに行った。
坐禅会に来る方の娘さんが、何と、カニサレスさんの奥さんで、カニサレスさんの演奏は、来日の度に聴きに行くようになった。
アランフェス協奏曲は、私がうっとりする曲。
スペインで生まれた曲だからか、何故か、シルクロードや西アジアやアラブの自然さえも想起させる。
哀愁と、壮大な人生のパノラマの中に放り出される。
アランフェス協奏曲は、悲惨なスペイン内戦の後、作られた。
アランフェス協奏曲を聴きながら、満州の体験を経て生きた両親の人生のシーンを想い浮かべた。そして、私の人生のシーンも。
昨日、インターネットニュースで日本で一番寒い町、陸別町のことが記事に出ていた。吐いた息で、まつげや前髪が凍りつくと云う。
私の行きつけの元住吉の居酒屋のマスターが陸別町出身であることを想い出し、そのニュースのコピーを取って、昨日、会社帰りに立ち寄った。いつも通りカウンター に座り、マスターと話をしながら、焼酎のいいちこのお湯割、有線から大月みわこや石原裕次郎の曲が流れる。
陸別町に21才まで住んでいたと云うマスター、マイナス20度くらいでも、マイナス30度の日と比べれば暖かいと感じたと笑う。1月2月は、オーロラをよく見たと云う。
私は、牡蠣鍋に、ニシンの刺身で、マスターの陸別の話を聴いた。
時々、フラリと一人立ち寄る私の隠れ家で、オーロラの見える陸別を想った。
いつも、私が挨拶しても、挨拶をしない近所の男性(会社の管理職らしい)がいるが、先日、奈良に坐禅年始会に出掛ける朝、たまたま家の前で会って、また私が、挨拶しても、知らんぷりで不快だった。
一度目は聴こえなかったのかとも思い、二度、「おはようございます」と云うと、こちらをギョロリと見て、やはり無言。
よっぽど、「挨拶もできないのか!」 とちょっかい出してやろうかと、内心思ったが、ぐっと堪えて、私も、ただ見過ごした。
これから、坐禅会の年始会に旅行に行くのに、こんな偶発的なことで、近所つきあいが、最悪に発展する恐れがあったことに、ふっと気づき、胸を撫で下した。 もし、そこで、喧嘩にでもなったら、旅行も台無しになっていただろう。 何のための坐禅だろうと苦笑い。
ちょっとしたきっかけで、最悪の展開が起こる危うさを再認識した。
相手が、どう反応しようとも、私はやるべきことをやる。 相手が期待通りでなければ、止めてしまう行為は、自分勝手な行為で、気まぐれで脆い。
相手の反応も神の領域、私は口だしすべきではない。
無功徳に働く時、訪れる安らぎを想う。 全てに神からのメッセージが込められている。
たまたま読んだ哲学の本に、自然、必然を愛する生き方の安らぎに、衝撃を受けた。
自然や必然に挑む生き方の力強さに憧れた若さを、無謀さを懐かしく想った。
自然や必然に反すれば、反する程、苦しみは増す。
自然や必然は、学ぶもの。自然や必然は、導くもの。それは神。だから安らぐのだ。
奈良で、住職に頂いた資料にインドのラマナ・マハルシの言葉の資料があった。
「新しく得られるものは、また、失われるものでもある。それは永遠のものではない。永遠でないものに努力する価値はない。
私を実現するために必要なことの全ては、静かにあること、である。」
私は、これらの言葉に、痛く衝撃を受けた。
永遠でないものに、振り回されない人生を送る覚悟を新たにする。
住職が出家した奈良・慶田寺の丸山老師が亡くなられたのは約40年前の1月13日、住職が初めて太極拳を学びに台湾に行かれた数日後のことであったと云う。
その亡くなられる5日くらい前の日、即ち40年前の1月8日、平等寺の丸子老師に、南部牛追い歌を歌ってくれと頼まれ、丸子老師は、南部牛追い歌を歌われたと云う。
その南部牛追い歌のお礼に、故・丸山老師は、新相馬節を歌われたと云う。
昨日、奈良で、丸子老師と息子さん(平等寺副住職)も参加頂いた宴会で、丸子老師の、南部牛追い歌と新相馬節を聴かせて頂いた。
57才で亡くなられた故・丸山老師は、人生懺悔と感謝のみと云う辞世の句を遺されている。
万感の想いで聴く南部牛追い歌と新相馬節。
昨日、桜井駅に集合の後,マイクロバスと徒歩で、仏教伝来の碑、崇仁天皇館跡(気持ちの悪い神社)、平等寺、などを回った。そして、住職の弟さんの車で慶田寺も。
住職の故郷の空気を味わう。
夜、宴会では、住職の育てのお母さん、妹さんも、同席されて、住職の子供時代のことなども想像でき何かほのぼのとした安らぎを感じた。
住職の法話の色々な場面の背景を、改めて知る想い。
三輪の空気の中にどっぷり。
今日から、住職の坐禅や太極拳の会で、奈良年始会に出かける。
奈良の三輪は、住職が育った故郷。三輪駅の隣の桜井駅で昼の集合時間に合わせて約20名?くらいの人が集まる。
桜井駅のホームは、住職が幼児の時、生みのお母さんとの別れの場所。泣いて近づく住職を鬼の形相で、叱り遠ざけたお母さんが、ホームの陰で見えなくなるまで見送っていたと住職は、鮮明に記憶しておられる。
この別れが、住職の出家のもととなったと想う。
桜井駅のホームは、そんな想いで、私は訪れる。
今朝、フランスでの、日本人女子留学生殺人事件の犯人が、チリ人の元交際相手とのニュースが流れていた。
交際相手の強い支配欲が、攻撃的にエスカレートしていった様子がインターネットの画像で報道されていた。
支配欲は辛い。安らぎは無い。
支配される方も辛い。安らぎは無い。
何ひとつ支配しないところに安らぎがある。
無一物、無尽蔵に気づくのが成熟。
何ひとつ支配せず、所有しないところに、私の憧れる世界がある。
昨日、会社帰りに、小田原の妹の家を訪ねた。会社を1800に終え、品川駅から新幹線で小田原へ、小田原駅から小田急で10分の開成駅に1920に着くと、迎えに来ていた妹の軽自動車の中に待っていたのは、妹の孫の、ののか(2才半)。
私は、ののかに会いたかったので、とても嬉しく、ののか、と大声で話かけた。すぐ、私のトレードマークのアシカの鳴き声「アオアオアオ」、ののかは、幼児語で何か反応して、一生懸命に相手してくれた。
妹の家のそばに、ののか家族は住んでいるので、私に会いに来てくれたのだ。30分程、ののかと遊んで、私は、まるでムツゴローさん状態。
もう眠たくなって、ののかが帰る時、私に、「またあした、あそほうね」だって、私は、舞い上がった。
今日は、小田原から東京へ新幹線通勤。
昨日、娘の婚約者と、初めて会い、みなとみらいのインターコンチで会食した。
彼も娘より1才年上の技術職のサラリーマン、父としては安心した。
娘の結婚が遅くなって行く時、密かな心配ごとは深まって来ていたが、あっけなく解消。
今朝は、今までの心配ごとが、愛おしい不思議な想い。
人生には、想い通りにならないことが、人間を鍛えると想う。娘についての心配ごとのひとつとの別れ。人生の節目。
娘とふたりで旅したアブダビやインドも人生のシーン、昨日の娘の婚約者との会食も人生のシーン。
昨日、映画「海賊と呼ばれた男」を見て、長年日本の石油業界にいながら、出光佐三の凄さに、改めて感動した。
苦難に立ち向かう強さが、けた違いなのだ。こんな、凄い男に、出会いたかったなぁとつくづく想う。今さらながら、私の人生にカツを入れられたような想いだった。
母が私に、子供の頃、根性を出せと鼓舞した時の迫力を想い出した。
出光佐三は、禅に心酔していた。内面の教師(仏性)が命ずる価値観は、誰をも恐れなかった。しびれるくらいの強さ。
今の大会社の社長連中や、常識的なエリートなんかと桁が違うと、改めて、佐三の生き方に感銘した。
最近、出光OBの先輩で佐三を直接見たことのある人から聞いた。彼が千葉の製油所に来た時、車から降り立った姿は、ステテコにハラマキだったと云うエヒソードも痛快。
海賊と呼ばれた男を、正月、安倍総理も見に行ったこともニュースで知り嬉しく想った。世の中の、体制派の人には是非みて欲しい。
佐三の墓は、生前の遺言通り、鎌倉東慶寺の禅の大家・鈴木大拙の墓の隣にある。
正月に来た年賀状に、いくつか感動した。
満州の会(鳳城会)の方からの句、「それぞれの惠方に飛び立つ明日かな」 。広大な満州で育った方々から、満州を懐かしむ話を沢山聴いて来た。私の両親の人生を、いつも想い出させてくれる人達。穏やかな境涯に感動する。
それぞれの人生であるが、波が大海に繋がって行くような連帯感を私は感じる。
また、ある先輩は、老いとは、引力に逆らわず生きることと表現してあった。
久しぶりに飲みたいね、と云う言葉に、そうだね、そうだねと肯きながら、年賀状での再会。
昨日は、珍しく、旅ではなく、自宅で、マイペースで静かな年越しをした。
余り、正月に拘らず、ただ静かな時間を過ごすのが、不思議なくらい安らぎだった。
以前とは、ずいぶん、静けさを愛する自分になれたものだと驚く。
何でも、神に与えられた人生の展開を、ただ深く味わう自分。
今朝、初日の出は見れなかったが、ベランダからオレンジ色の東の空を見て十分。西には富士山も。
TVをつけると、「爽やか日本百景」。
人生の場面は代わって、2017年。