石垣島、唐人墓、米国大陸横断鉄道との関わり、
沖縄石垣島に唐人墓と云う記念碑・遺跡がある。
1852年、厦門からカリフォルニアへ、苦力(クーリーと云う労働者)400名を乗せた米国商船ロバートバウン号で苦力達の反乱が起き、船長以下8名が撲殺された。病人の苦力2人を海に投棄した船長に、苦力達の怒りが爆発蜂起したと云う。
船は石垣島に座礁し、苦力達は石垣島に上陸した。
苦力達は、石垣島の住民達に助けられたが、米英軍が石垣島に上陸し、苦力達を探し虐殺したと云う。約128名の犠牲者達の簡単な小石だけの墓が住民達の手で建てられていたと云う。
山中に逃げた生存者達172名は、その後、関係国の協議で、中国に無事帰還したと云う。
日本では明治維新の前、琉球王朝の頃、米国は大陸横断鉄道を建設に大量の労働者を必要とした時代だったと云う。
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