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November 18, 2016

成り切るから忘れるへ、

先日、住職は成り切ることは入り口と説明された。

眠る時、眠るぞ眠るぞと床についても、羊が一匹と数えても、そのことを忘れなければ、眠ったと云えない。

いくら坐禅をしても、自分が坐禅をしてることを忘れなければ、坐禅したと云えない。

過去も消え、未来も消え、今に溶け込み、また私も消えている。それでも「ある」 世界がある。自と他が一体化した世界。

成り切ろうとする私は、寝床につこうとしている私、そして眠ることを忘れる境地、生きていて死んでいて、死んでいて生きているような境地。

「今ここ」に、もう「私」はいない。

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