1940年、9月1日、バンクーバー行きの氷川丸、
1940年9月1日横浜を出航しバンクーバーに向かった氷川丸には、290名中130名のユダヤ人が乗っていたと云う。
1940年7月末から1ヶ月間、閉鎖直前のリトアニアの日本領事館で、ポーランドから逃れて来たユダヤ人達に命のビザを発給した杉原千畝が救ったユダヤ人は6000人と云われる。
そのユダヤ人達は2週間かけてシベリア鉄道を通りウラジオストックから日本に向かった。そして、アメリカやカナダに逃れた人達も多い。
本国の指令に背いてビザを発給した杉原千畝は、戦後ブカレストの捕虜収容所を経て、1947年帰国後外務省を退職、記録から半ば抹殺されていた。
助けられたユダヤ人達が杉原千畝を探すこと20年以上経ち1968年、遂にユダヤ人達は杉原千畝を見つけ出し杉原千畝が世界に知れることとなった。
1900年、杉原千畝は岐阜県加茂郡八百津町生まれ、1986年鎌倉で亡くなった。
今や、杉原ビザで生き延びた人達の子孫達が、杉原のDNAと共に溶け込んで、世界の平和を見守っている。
横浜で見慣れた氷川丸に秘められた、杉原ビザとユダヤ人達の想いを初めて知った。


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