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October 19, 2016

春支度(春じたく)、造語のひらめき、

昨日、私は、ある造語を考えた。

死について暗いイメージを払拭する表現を想いついたのだ。

死を「春じたく」と呼ぶアイデアである。

永遠に続く根源的な命の循環を表現した言葉。

眠りに就く冬は、既に、春じたく。

死を終わりとして捉えない思想の表現。

昨日、会社帰りに、たまたま立ち寄った横山紘一先生の新宿哲学カフェで、たまたま生死問題が話題だったので、この私の造語を早速披露した。

「春じたく」と云うイメージは、終わりではなく、始まりを想起させる。


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