ブランコの詩、
最近、気に入った詩がある。
「だれも いないのに ブランコがゆれている
こどもたちが 帰ってしまったあと やっと風の順番 」
日々何かに追われているとき、不図、見たい光景。
生きてもいない、死んでもいないような。
このぼーっとしたような境地、たまに想い出したいと想う。
最近、気に入った詩がある。
「だれも いないのに ブランコがゆれている
こどもたちが 帰ってしまったあと やっと風の順番 」
日々何かに追われているとき、不図、見たい光景。
生きてもいない、死んでもいないような。
このぼーっとしたような境地、たまに想い出したいと想う。
好き嫌いは自然におきる感情、生きている証拠。
だが、好き嫌いは、未熟のシンボル。
好き嫌いから入ってよい。
好きが広がって行き、嫌いがドンドン減って行けば好い。
好き嫌いに滞まる人には、道は遠い。人生は辛い。
好き嫌いから始まり、好きに導かれて好きの面積が嫌いを覆い尽くして行くプロセスを修行と云う。
究極的には嫌いが無くなれば好きも無くなる。
全てに意味を見いだすことは、安らぎ。
私の周りに起こる全てのことの意味を想う時、私が少しずつ消えて行く。
生きながら、私が薄らぎ消えて行くのを、修行だと想う。
好き嫌いはエネルギーだが、好き嫌いが広がって行っては、安らぎはない。宇宙は万事、万物は、全てに意味がある。自らの好き嫌いを超えて学ぶものだと想う。
問題は何もない。ただ学ぶもの。住職の法話を想い出す。
生と死、ただ行くだけ。
滞りななく、ただ行く。
この身は朽ち果てても、旅を続けて下さい。
今ここ、とは「ただ行く」だけ。
今回の天城坐禅接心の時の住職の言葉。
テクテクテクテク、テクテクテクテクと、光が導く旅を想う。
この身が朽ち果てても、屍を超えて行く悠久の旅。
夏の終わり、道路には、仰向けに大の字に横たわる、蝉の屍が、そのことを教えてくれているようにも感じる。
もう来年に鳴く蝉の声が聞こえてくる。
いつも、伊豆、天城山に坐禅に来ると、必ず帰りに立ち寄りたくなる店がある。
伊東の海岸通りに立ち並ぶ干物屋さんの中で、簡単なテーブルと椅子があり、干物を焼いて食事ができる店がある。
私は、もう顔見知り。店の人との語らいも旅の楽しみ。
私は、サンマやサバのみりん干しと味噌汁とご飯を食べる。その前にビール、時には焼酎も。海の香りと、海を見ながら。
今日も、天城山からの帰りに天気が回復すれば、立ち寄りたいと想う。坐禅の後の密かな楽しみ。
天城山の坐禅と、伊東の海岸の干物屋さん、私の中ではセットになって浮かぶ。
今月は面白い本に出会った。
人間の身体も物質的過程であるので、病気の予防は医学でなく、食生活の問題だと云っているところが、面白い。わかりやすい。あなたは、食べ物で出来ていると云っている。
― 「長寿の秘密」(三石巌 著、 祥伝社 黄金文庫) から抜粋 -、
1、 病気の予防は、医学でなく、食生活の問題。
生体を構成する組織も流動する物質も、全ては間断なく新旧交代している。病気は生体の物質過程である。
2、想像力を働かせれば、脳の出力は最高になる。
3 笑ってNK細胞を増やせば、長寿になる。
NK 細胞とは、ナチュラルキラー細胞と云い、ガン細胞やウイルス感染細胞をやっつける。
3、ビタミンCの吸収のカスケード(重なった小さな滝)の理論。
身体に入って来たビタミンCは、段階状に流れ落ちて行く。
例えば、抗ストレスホルモンの合成 → インターフェロンの合成、 → コラーゲンの合成、 → 白内障の予防、 → 頭の回転 → 活性酸素の除去 などの用途などと順番に流れて行く。
ストレスが強いと、それだけにビタミンCが取られて、他の用途に回らなくなる。
だから、ストレスが強い時には、大いにビタミンCを摂る必要がある。
ビタミンCの研究家・ポーリング博士は、ビタミンC の効用には50以上あり、順位は定かではない。
4、犬にはドッグフード、猫にはキャッツフード、人間にも合った食物がある。
猫はドッグフードを与えられると失明すると云う。
(犬は自分でタウリンが作れるのでドッグフードにタウリンは入っていないが、猫にとってタウリンは不可欠アミン酸) 人間も、タウリンは自分で作れなく、犬よりは猫に近い。 → 人間に合った”ヒトフード” とは、”アミノ酸群+ビタミン” のこと。
*参考: タウリン=主に魚介、特に貝類(カキなど)やいか、たこ、魚の血合いなどに多く含まれる成分。 以上
オリンピックの選手のメンタル強化法をTVで聞き、参考になったことがある。
今まで練習して来た映像を見ることで、自信が湧いて来ると云う。
私も、今までの人生を振り返ると、これからの人生への自信と覚悟が出てくるような気がした。
人生の想い出の映像を心に浮かべることは、励ましになるのだ。人生の想い出のシーンの力に納得。
それから、メダルを取れたらいいなぁーではなく、メダルを取る!、と云う真剣さ。
人生にも通じるなぁーと共感した。
さて、気を取り直して、人生の日々の試合に取り組もう。
1週間前、お盆で九州に帰省し、弟の家に泊まった時、私が、最近お気に入りの、おそまつ君のキャラクター柄のシャツをうっかり忘れて来たことが、昨日やっとわかった。
この数日、部屋を散々探しまくり、もしかして九州に忘れて来たかもと想い、弟の嫁さんにSMSメールしてみたら、
「つよし君、着てますよ」と、メールが返って来て笑った。
弟の奴め、兄貴のシャツを気に入って勝手に、自分が着てるなんて、、、。
私は、「つよしが気に入ってるならやるよ。 また下北沢で買うけんよか」と、太っ腹の兄貴らしく返信してしまった。
あれだけ、探していたシャツが、見つかって、大牟田で弟が気に入って着ていると想えば、それでも安らいだ。
また、会社帰りに、下北沢に、同じシャツを買いに行かなくちゃ、、、、。
必死になることは、時に重要。何かを成し遂げるには、必死になることが重要。その姿は一途で美しくも感じる。周りも応援したくなる。オリンピックを見ればわかる。
だが、成熟とは違う。
人生において目標としたものが一時的な幸せしかもたらさないことが多いのは何故か?
ああすべきだ、こうすべきだと、自分が世界の支配者のように考えていることが、未熟なのだと想う。
自分の好き嫌いとは関わりなく、全ては、あるべくようにある。全てには意味がある、学びの材料なのだ。
オリンピックのレスリングの銀メダルが悲しくて号泣した吉田沙保里選手が、人目もはばからず落胆の表情だったのが、昨日は、笑顔が戻った表情が新聞に出ていた。目標の呪縛が解けて、少し正気に戻ったかなと安堵した。
どちらに転んでも大丈夫の世界を住職は説く。
最近ドイツに旅行した人からドイツに蝉はいないと聞き、私はロンドン駐在している後輩に、英国に蝉はいるかメールで尋ねたら、蝉はいない、蝉の声は聴いたことがないと返事が来た。
英国、ドイツは日本より緯度的にかなり北にあるからとわかった。
会社のアラブ人に聞くと、暑くても湾岸諸国にも蝉はいないと云う。地面が乾き過ぎたり木がないからかとも想像した。
夏の山の中、蝉の声を聴きながら、岩に染み入る蝉の声と詠んだ芭蕉。
ただ、そんな、たわいないことに色々想像を巡らせることも、心が安らぐことだと想う。
私がの想いが薄らぐときに安らぎは訪れる。
ロンドンからのメールには、ロンドン郊外のコッツウォルズの夏の草原風景が添えられていた。私は、九州の夏の田園風景を送った。
ロンドン駐在の後輩と、そんなメールのやりとりを、とても楽しく想った。
最近、思秋期と云う言葉を使ってらっしゃる人の新聞記事を見て、パーッと私の想像力が広がった。
思春期は誕生のエネルギーに溢れ人生にあれこれ夢を張り巡らせる時。
思夏期は、実行の時、蝉が力の限り鳴く時期のように。
思秋期は、静かに人生を振り返り、人生の学びの収穫期、穏やかに人生を味わう時。
思冬期は冬眠(死んでいる)期間のこと。
それぞれに、大自然の営みの、他に代え難い魅力がある。
私は今、思秋期。死ぬまで思秋期。
昨日、有楽町読売ホールで開催の「三輪山セミナーイン東京」と云う講演会で、古事記の中の、何とも笑いを誘う逸話を聴き驚いた。
21代天皇(458年頃の天皇)雄略天皇が、三輪川に行幸の折りに見初められ、宮中へ召すと約束し、80年も待ち続けたと記される引田部(ひきたべ)の赤猪子(あかいこ)の話に、古事記にはそんな可笑しな話も書いてあるのかと驚いた。
住職の故郷の三輪は、そんな古事記に出てくる天皇達のゆかりの地、三輪川の情景を想い浮かべながら聴いた。
後で調べてみると雄略天皇は新羅に攻め入ったとの歴史の記述もあり、百済、新羅、高句麗の時代を想い浮かべた。
雄略天皇が、ヤマトタケルのモデルになったのではないかと云われているとのこと。
何とも面白い体験の講演会だった。
レスリングの絶対女王、五輪4連覇を目指した吉田沙保里が決勝で米国のマルーリスにまさかの敗戦、銀メダルとなり、号泣したシーンをTVで見た。
試合後立ち上がれないようなショック、スタンドの母親に「お父さんに叱られる」と言って号泣、お母さんは「大丈夫、大丈夫」、ここまで来させてくれて十分、ありがとうとねぎらったと云う。
吉田沙保里の敗戦は、沢山の人生の素晴らしさを教えてくれた。
一生懸命になる、真剣さの美しさ。
お父さんとの約束、師弟関係の絆の美しさ、お父さんの厳しさと優しさ。
お母さんの優しさ。
吉田沙保里は、負けたからこそ、素晴らしいものを人々に教えて、見せてくれたと想う。
もし勝ち続けていたら、自信のあり過ぎる、偏った精神の未熟なままの人生で終わったと想う。薄っぺらな価値観の人生で終わったと想う。
人生は、結果が全てではない。それは病んでる。失敗して、負けてこそ、人生の素晴らしさに気づく。
吉田沙保里の、33才になってもまだ、そこに気づいていないところが、一生懸命さが、愛おしい。
胸を張って帰って来なさいと、亡きお父さんも、全国民も想っているだろう。そのことに早く気づいて欲しい。
吉田沙保里の敗戦が教えてくれた人生の美しさ、素晴らしさ。
昨日は、会社帰り、目黒区洗足の81才になられる画家の家で開催の勉強会(約10人)に立ち寄った。
江戸時代の思想家・安藤昌益(1703年~1762年)にまつわる研究(農業を中心とした無階級社会の理想)であったが、彼の残した古書を読んだ明治時代の古書商人・狩野享吉の安藤昌益への心酔、また狩野の家に寄宿していた渡辺大湊が同じように感動し、「忘れられた思想家」を書いた。
その書を読んだ、来日中のカナダの外交官ハーバート・ノーマン(1909年~1957年)が、安藤昌益を世界に知らしめたと云う。
名も無い人や、時も場所も超えた人の縁について、主催の画家は云いたかったのだと云う。
私は、洗足の住宅街で、2016年、安藤昌益と出会ったことになる。
九州への帰省の途中に立ち寄った京都、今回は、坂本龍馬や、新撰組ゆかりの地も訪ねた。
伏見の寺田屋は、建物が残されていて、おりょうさんが風呂から飛び出して、二階の龍馬に危機を知らせた階段も残されていた。三十石船の通った宇治川派流と柳の光景も。
坂本龍馬、終焉の地、醤油屋の近江屋跡は、四条河原町に近い蛸薬師通りそばにあった。今は、かっぱ寿司の店となっていた。寿司を食べながら、1866年の坂本龍馬と中岡慎太郎の最期の地と思うと、150年前とのコントラストに苦笑した。
三条にある池田屋跡は、今ではレストラン池田屋で大繁盛しでいた。隣にファミリーマート、新撰組とコンビニの組み合わせに、また苦笑。
壬生寺と新撰組屯所跡は、小説・壬生義士伝を想い出しながら散策した。
帰省の途中、京都に立ち寄ったきっかけは、順教尼のゆかりの山科の仏光院を訪ねるためだった。
2016年、夏、想い出の京都の旅となった。
相模原事件、障害者を襲った大量殺人の持つ警鐘を想う。
自ら視覚聴覚の障害を持った東大の福島教授のインタビュー記事を読んだ。
障害者への差別は、社会的に要求される生産能力(知的能力)の低さに対する差別です。生産能力とは、記憶力、情報処理力、コミュニケーション力などに代表される知的諸能力に基礎をおいています。
生産能力で人間の価値の優劣を決めてしまう風潮。
人間の命より経済的価値を優先させる考え方の存在。
福島教授の記事の後、たまたま、別の新聞で介護の記事を読んだ。
春にはクズの芽、ヨモギなど山菜を摘み、秋には色とりどりの葉を拾い集める。小さな野の花を見つけ幸せそうに笑う母を見ていると、全てが感動に変わりましたと書いてあった。
経済的価値と、真っ向から対立する価値観を共に持つ力が、人を成熟させると想う。
経済的価値観に覆われて行くことの殺伐とした冷たさ、息苦しさ、辛さを想う。
不図、野の花が教えてくれている。
一昨日、九州・大牟田から横浜へ帰りの日、途中、船小屋の九州芸文館で開催中の高島野十郎展を訪れた。
亡くなるまでは有名になることはなかった高島野十郎。
画壇に属しなかった孤高の画家、彼がお世話になった人達にお礼にあげていた絵の数々、蝋燭の絵も40点飾られていた。
彼が東大農学部・水産学科時代に描いた魚の解剖図の細かさは彼の才能の際立ちを想わせる。
全ての絵が、描いている対象と一体化してしまっているような気持ちにさせてくれる。
彼の絵はを見ていると、写実は慈悲ですと云う言葉が、一番ぴったりと感じる。対象に宿る仏性を描いているように感じる。
高島野十郎展とたまたま出会えた縁に感謝した。
昨日は、朝、大牟田の施設の姉にまた横浜に帰る挨拶をした。寂しがる姉に、ドアのところで、私は姉の気持ちを察して、ちっちゃい子にやるような、いないいないバーをした、部屋のドアを開け閉めを何度もして。
姉も、ちっちゃな子のように笑顔になったところを見計らって、おいとまをした。
帰省は、この瞬間が辛い。
大牟田駅から、博多へ向かう電車の車窓は、何度、同じ想いをしたことだろうと想い出させた。
それが、人生だと想いながら、横浜への帰路についた。
今朝早朝、大牟田の実家の周りを写真を撮ろうと散歩に出た時、近所の人が道を掃いていた。
「ひろしちゃん?」と云われ、私も、「しのぶちゃん?」と聞いた。近所の幼なじみのしのぶちゃんだった。
裏山の不動明王の写真も撮った。弟を預けていた河野おばちゃんの家の跡、ヤギがいた家をメーメーさんと呼んでいた。
豆腐屋さんがあった場所、コロッケ屋さんがあった場所。
故郷は、私の人生のテーマパークのような遊園地。
今日、横浜へ帰る。
昨日、新幹線の車窓から郷里に近付くだけで嬉しかった。博多から荒尾行き快速で大牟田に向かう車窓の田園風景や山々はもう、両親が待つ実家に帰る時のような、大学時代を想い出して胸がいっぱいになった。
今年2月から姉が施設に入ったので、今回は実家を継いだ弟の家に泊まった。
久し振りの実家は、懐かしい裏山、あの頃のようにワシワシ蝉が鳴いていた。
弟家族と仏壇で、お経をあげた。両親があげていたお経の声も蘇る。じわっーと、帰って来た自分を想う。
施設の姉を訪ね、いつものようにジョークで笑わせた。やはり兄弟。
郷里に住む友達にも電話。
私の郷里での一日、私は郷里の風景に溶け込む。
昨日、早朝から九州帰省の旅に出発、途中、最近感動した順教尼ゆかりの京都・山科の仏光院を初めて訪ねた。
映画で見た、順教尼が住み、障害者の自立を支援した仏光院の佇まいを、静かに味わった。
弟子の南正文さんが15才の時に、お母さんに連れられて来た仏光院の様子を想像した。
順教尼が日々見た山々や川の光景。
ただ、仏光院の空気を味わってみたく、京都・山科を訪れた。順教尼の人生を、身近に感じてみたかった。
横浜から九州への帰省の途中
に立ち寄った想い出の旅。
今朝、また、京都から九州へ向かう。
8月7日肺ガンで急逝した後輩に対する同期達からのメールに、故人との想い出が綴られていた。
若い時、黄色のセリカに乗っていたこと、
酒はぐいぐい、煙草はスパスパ、麻雀ガンガン、
横山やすしのような感じだったとか、
確かにと、彼が若い頃の印象を納得して読んだ。
私の人生のシーンに現れた、印象に残る後輩だった。
黄色のセリカに乗った横山やすしか、わかりやすいキーワードだと想った。「役者やのぉー」と声をかけたくなる。
新潟で、新入社員時代、親しく飲み歩いていた後輩の訃報(肺ガン)が昨日届いた。
気が合った彼とは、新潟の雪景色の中、若さに任せて痛快に飲んで、笑っていた時代がすぐ浮かんだ。口癖のように「役者やのぉー」とお互いに云い合ってケラケラ笑っていた。
「いやいや、まいったわね、おめーさん」、新潟弁の懐かしい響き。
この10年、新潟に行くと必ず会っていた後輩。
また、来月、私は、佐渡に転居した従兄弟を訪ねて新潟にも行く計画を立てている矢先の突然の訃報だった。
静かに旅立った彼に、私は、また心の中で「役者やのぉー」と呼びかけた。
彼と出会ったことに感謝し、越後の方を向き合掌した。越後の雪景色を想い出す。
先週の休日、近所の図書館で、岡崎久彦大使の表紙に写真入りの国際情勢判断半世紀と云う本が目に留まった。
平成26年に亡くなられているが、TVでもよく見かけたり、発言に共鳴を覚える人だった。
5年くらい前か?、渋谷へ向かう東横線の電車の中で、たまたま私の隣に座られいるのに気づいて、私は「岡崎先生ですね」と声をかけて、暫く言葉を交わさせて頂き感激した。
岡崎先生はサウジアラビア大使もされていたので私は中東の話題などをしたように想い出す。
その後、尾山台の歯科医の友人から、岡崎先生は尾山台の田園安斎と云う店によく食事に見えていたと聞き、自由が丘から東横線に乗られて、私の横の席に座られたのだとつながった。
岡崎先生の著書を読みながら、岡崎先生と言葉を交わせた縁を、光栄に想った。
岡崎先生の行きつけの和食の店、尾山台の田園安斎は、私も、年に数回は有志同窓会で訪れる店。
岡崎先生を偲び、岡崎先生の思想を学ぶ。
昨日は、前から楽しみにしていた地元の八幡神社の奉納演芸会を1930からフルに見た。
普段は静かで人影も少ない八幡神社境内に屋台も出て、浴衣姿の人や祭りの装束の人に私も紛れて、地元の祭りを、十分に味わった。
チッチャな女の子達のフラダンス、年配女性の日本舞踊、ジャズ(アルトサックス)演奏、若者のヒップホップダンス、自作自演の曲を歌うご夫婦も。
全てが愛おしい気持ちで眺めた。
全ては幻影と云う唯識も好し、全ては神の表れと云う教えも好し。
昨日朝、近くの図書館に行く途中、道に蝉の抜け殻が落ちていた。懐かしく、拾い上げポケットに入れ持ち帰ることにした。
図書館からの帰り道、蝉が私の前を、流れ星のようにスーっと斜めに横切り道路に落ち仰向けに倒れていて驚いた。
よく道路に仰向けに横たわる蝉の死骸はこうやって起きてるのだと初めてその場面を見た。
もう飛ぶ力は無くしているが、仰向けの、茶色の羽のアブラ蝉は、足をバタバタしていた。
私は拾い上げ、自宅のベランダで最期の時間を過ごしもらおうと思って緩く握った手の中に蝉を入れて暫く歩いた。蝉が愛おしかった。
途中、蝉の一番、相応しい最期は木に留まったままが、安らぐのではないかと想い、木の目立たない場所にそっと留めてやった。
飛べなくなった蝉が、木に留まり、最期の時を迎える。
私の蝉との交流の作法。蝉は私の人生でどれだけワクワクさせてくれたか。
蝉は私の親友。
この数日、朝、ベランダでけたたましく鳴く蝉の大胆不敵さに驚き、それでもこんなに近くで鳴いてくれて嬉しかった。
部屋のガラスの内側から観察すると、透明の羽と胴体を振動させて鳴くミンミン蝉の姿が、近くに見えて、思わず感謝。
ガラス戸を開けたら、パニックを起こして、その辺にぶつかりながら一目散に立ち去った。かわいいーと思った。
数日前、夜遅く帰宅する途中、自宅そばの住宅街の道の真ん中に何か石のような黒い物体が、、近づいて上からみるとカエルの形、靴でそっとお尻を押す素振りをみせたら、のそのそ、ぴょんと、道路脇の茂みに逃げて行って安心。そのまま居たら車にひかれたはず。
そんな非日常に、子供時代のような世界が広がった。
昨日、会社帰りに、ビジネスマンの有志勉強会に出た。
参加者は約30名、発表する人が3名、現在の石油・ガスの市場動向を約2時間、勉強会。みんな、よく勉強好きだと感心する。趣味みたいなものかと苦笑もする。
懇親会では、お互いに時事放談。
意気投合した3人で、銀座のカラオケまで行く始末。
私が歌ったのは、アメリカ橋、激唱・青函トンネル、酒とバラの日々。
終電で帰る。まるで、働き盛りのサラリーマンの頃みたいに想い、自分の茶目っ気ぶりに、大丈夫ですか?と自問。
小さな旅でも、慣れた帰省の旅でも、旅に、ワクワクする気持ちと非日常(驚き)があれば、旅はロマンとなる。
素晴らしい景色や、シーン、人との再会なども。
生きて来てよかったと想う感慨。それが旅のロマン。
親への感謝、引いては神への感謝に繋がる旅のロマン。
それは、日頃の右往左往する日常とは違う世界。
旅のロマンは、仏性の表れだと想う。
日常の中にも、小さな旅を感じられれば、人生も達人かと想う。
そんな想いの2016年、夏。
昨日、これからアメリカに4年間の留学に出発する男子大学生の送別会を7人のヒッポファミリークラブのメンバーでした。
20才で、社会や人間、世界に好奇心いっぱいの彼は、禅にも興味があるらしく、私の何気ない言葉もよく聴いてくれた。
私も、禅で学んだことを、どんどん彼に伝えて来た。これからも、フェイスブックで交流しようと約束した。
新しい世界に飛び込むことは、楽しいことも苦しみもあるだろうが、問題は解決するためではなく、全ては学びためにあること。
全ての人には、それぞれに見えてる世界が違う(群盲索象)こと。など、雑談をしながら、私は熱っぽく話した。
まるで、親子のように。
世代に伝わる法の教え。住職に学んだことが、世代に、世界に伝わる。
週末、新宿の東京吉本のお笑いの漫才や喜劇を楽しんだ時、土産物の新商品に、思わず笑った。
サプリメントに「シアワセニナール」と云うビン入り錠剤のような商品。
成分は、ナンカAとか、イイコトオキシン、と書いてあった。
単なるお菓子。
人、おちょくって、、、。
あっぱれ、私は、一つ記念に買ってしまった。
私のポケットに忍ばせるギャグネタが増えた。
今朝、横浜の曇り空の夏の早朝、盛んに鳴く蝉の声が、心地よい。
透明の羽のミンミン蝉たち。九州だったら、クマゼミが、今頃、ワシワシワシとけたたましいほど大声で鳴いているだろう。そんな大音量にも安らぐのが不思議。
子供時代から蝉の天敵と云われるほどの蝉好きの私には、夏は、蝉のライブコンサート。
チイチイチイと鳴く小さなチイチイ蝉(ニイニイ蝉)、ガナガナガナと鳴く大衆派のアブラ蝉、夏の終わりを告げるツクツク法師。
全て、私は、手に捕った感触がわかる。
蝉と共に、2016年の夏。