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June 11, 2016

形にしがみつくことの哀れさ、

人間の、形にしがみつくことの哀れさを、今回の舛添知事のスキャンダルは世間に見せている。

東大で助教授をしたり、社会のリーダーと思われていた人があんなに未熟で、身勝手で徳の無い人てあったとは。

エリートの醜さ、未熟さが哀れを誘う。

しがみつく対象が違っている。捨てて、捨てて出直す、力強さがまだ無い。

神に心から懺悔して、何に執着すべきかは、自ずから気づいて欲しい。

いかに学歴が薄っぺらで、法律が人間の徳にまでは入り込めない宿命のものかを想う。

ヴィーヴェーカナンダ師の言葉を想い出す。私は改革を信じない。霊性(徳)の向上を信じる。


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