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June 24, 2016

印象・気分の集合体、

自分とは何か?、自分は何を目指して生きるのか?、とか考える時、

インド哲学で、唯識で、自分とは、遠い昔の生命誕生から受けて来た「印象・気分の集合体」であると聞かされた時のあっけなさ。実体の無いもの。

肉体を持った自分とは、唯、宇宙に漂うある種のエネルギー。如何にも偏ったエネルギーかと、情けなくなる。

それらのそれぞれの印象・気分を生み出した元は何か?と考えると、その情けなさが消える。

身体や五感六識、印象・気分を超えた世界じゃなければ目指す価値が無いように想う。

印象・気分は、カルマと云う。

絶対的安らぎは、印象・気分を超えた世界にしか無いと想う。

肉体を持った私は、単なる印象・気分の集合体であると想うと、ちょっと、情けなくなったり、拍子抜けもする。

それで可笑しかったり、愛しかったり。


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