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June 30, 2016

飛行艇の定期便、横浜・根岸湾から南洋へ、

1939年(昭和14年)に営業を開始した大日本航空と云う航空会社があり、横浜の根岸湾からパラオ、サイパンなどに定期便の飛行艇を飛ばしていたと云う。水上に着陸出来る飛行艇は、またとりわけロマンを感じる。

宮崎駿のアニメ「紅の豚」のシーンも浮かんで来た。

真っ青な、コバルトブルーのアドリア海を飛ぶ二枚羽の飛行機、飛行機のエンジンの音も聞こえる。

根岸湾を離水する飛行艇の写真を眺めてうっとりとする。


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June 29, 2016

国家・社会のため、出光創業家の理念、

出光興産と昭和シェル石油の経営統合が来年の4月に予定されている中で、昨日、出光創業家が反対の意向を示しニュースになった。

詳しい内情はまだ知らないが、その理由に私は、感動した。

出光の創業者から受け継がれた経営理念は「国家・社会のため」、労働組合も無い。(昭和シェルは労働組合が強い)。

昭和シェルにはサウジの資本(15%)が入っており、出光がサウジ系列の企業になることは有り得ない。

今、ただ、だらだらと合併を繰り返す理念無き水膨れ大企業が溢れる中、今回のような、国家・社会のためを語れる経営理念を私は、感動して聴いた。

貧富の差を広げ、猥褻なくらい稼ぐ大企業も、目立って来た社会の中で、今回の出光創業家の発言は、私は、痛快であった。

まるで、徳川家康に挑みかかる真田幸村のような強さと勇敢さを感じた。

このようなことを語れる経営者がいることが私は嬉しくてしようがない。

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June 28, 2016

フランス領・横浜、

幕末、相次ぐ攘夷派の外国人殺傷事件を機に、フランスは自国民の保護を名目に、1863年、横浜居留地への自国軍の駐屯を幕府に認めさせた。

今の横浜・港が見える丘公園の下のフランス山一帯はフランスの永久貸与地となった。

時を経て1971年、横浜市がフランス政府から購入、1972年にフランス山として開園、一般に解放した。

フランス領・横浜、その響きに、歴史の面白さを感じる。


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June 27, 2016

港が見える丘公園、フランス山にある母子像に泣く、

昨日、横浜大空襲の遺跡を歩く会に参加して、港が見える公園からすぐ下に下ったフランス山に母と子の像があった。

最近出来たと云う説明書きに、「1977年9月27日、横浜市緑区、荏田町に米軍機が墜落し、母と幼い子二人が亡くなりました。生前に海が見たいと願っていたことから、この公園に愛の母子像の寄付を受け、設置したものです。」と書いてあった。

3才と1才の男の子はその日の夜に亡くなり、お母さん(林和枝さん当時26才)は全身8割の焼けどを負い1カ月以上の絶対安静の危篤状態が続き、生還されたものの、我が子の死を知らされたのは、1年4カ月後であったと云う。和枝さんは、遺骨を抱きしめたまま涙がなくなるまで泣きつづけたそうです。

その後、精神病院に入れられ、事件から4年4カ月後に、亡くなられたそうです。

3才の男の子、裕一郎君の最後の言葉は、「パパ、ママ、バイバイ」だったと云う。1才の男の子、康弘君の最後の言葉は、鳩ぽっぽの歌の「ぽっぽっぽっ」だったと云う。

この像は、和枝さんのお父様が、一生懸命に役所と交渉して、建てられた像であると云う。

何も知らずに、港の見える丘公園に足を運んでいた、私を恥じた。 ただ、哀しくて、哀しくて。


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June 26, 2016

ノルウェーの友人親子、浅草の交流、

昨日は、来日中のノルウェーの友人と20代の息子親子と浅草雷門で待ち合わせて、私も娘を含む若者達を連れ8人で、浅草の散策パーティーをやった。

浅草文化観光センターで浅草芸者の心意気と云う無料のイベントに行き、向島芸者衆の踊りを見たり、隅田川沿いの川岸にあるテラスの喫茶店、昼から賑やかな居酒屋、永井荷風のゆかりのレストラン・アリゾナ、民謡酒場追分で津軽三味線や民謡を聴いたり。

一日中、ワイワイガヤガヤ、仕事で来日したノルウェー人親子に、思いっ切り浅草らしさを味わって貰った。

私も、外国のゲストを案内するのが楽しく、若者達との交流もまた格別に楽しかった。

私は、外国からのゲストにどこを何を案内しようかと、日頃からあれこれ考えて、探検するのが趣味でもある。

そんな自分に、観光案内おたくだなぁーと感じる。

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June 25, 2016

歴史の転換点に想う、

昨日は英国の国民投票で欧州連合離脱の決定がなされた日、世界史的な出来事の日だと想う。

まとまるエネルギーと離れるエネルギー、自然界の現象と考えれば、違和感は抑えられる。

作用と反作用、私は、全ての事象をそう考えている。

近づけば離れるエネルギーも生まれる。離れ過ぎれば、いづれまた近づくエネルギーも生まれる。

今、英国は自分のことだけで精一杯な人達が多くなっていることだと想う。米国でも、日本でも。

最大多数の最大幸福が政治の希求すべき道だと改めて想う。

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June 24, 2016

印象・気分の集合体、

自分とは何か?、自分は何を目指して生きるのか?、とか考える時、

インド哲学で、唯識で、自分とは、遠い昔の生命誕生から受けて来た「印象・気分の集合体」であると聞かされた時のあっけなさ。実体の無いもの。

肉体を持った自分とは、唯、宇宙に漂うある種のエネルギー。如何にも偏ったエネルギーかと、情けなくなる。

それらのそれぞれの印象・気分を生み出した元は何か?と考えると、その情けなさが消える。

身体や五感六識、印象・気分を超えた世界じゃなければ目指す価値が無いように想う。

印象・気分は、カルマと云う。

絶対的安らぎは、印象・気分を超えた世界にしか無いと想う。

肉体を持った私は、単なる印象・気分の集合体であると想うと、ちょっと、情けなくなったり、拍子抜けもする。

それで可笑しかったり、愛しかったり。


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June 23, 2016

雨の音、小鳥の声、静かな可能性、

今朝は、雨の音を静かに味わう気分。小鳥の声も聞こえる。

起き出す街、遠くの電車の音。

生きるのに精一杯だった昔、今、私は、生きていることの、新鮮な静かな可能性を想う。

エゴ丸出しのギラギラした可能性は愚か。今までの人生の体験でわかる。

宇宙と大自然と調和して、神の館で、静かな安らかな可能性が私を導く。

雨の日の安らぎ、雨の音を味わう。

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June 22, 2016

ヴィヴェーカナンダ師の愛の3条件、

昨日、哲学カフェに来ている人達との懇親会で、次回は愛についてやりましょうと云う希望があった。

そして少し愛についての話をする人もいて、私は、余りにも巷の愛論議に聞こえて来て、ヴィヴェーカナンダ師の愛の3条件を云って、水を差してしまった。

1、愛は取引をしない。

2、愛は恐れを知らない。

3、愛は競争者はいない。

親子の愛を見ればわかる。

巷の愛は、ストーカー的なエゴの愛に想える。

安らぎに繋がるか否かは、愛の3条件が指針を与えているように想う。


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June 21, 2016

宿命、そして宿命の彼方に、

物質的世界を見ると宿命を感じる。

だが住職曰わく、宿命なら魚は魚のままだと。

魚は魚のままと云うのが宿命、立命が無ければ進化は無かったと。

立命は、宿命に立ち向かう力。

宿命は感じても好い。立命と云う光があれば。

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June 20, 2016

毎日発生しているガン細胞、

昨日、ガンで4回手術した鳥越俊太郎さん(ニュースキャスター)の講演を聴いた。

2005年の大腸ガンの手術から、2010までに肺ガンの手術と肝臓ガンの手術全部で4回の手術からもう5年経ち、「ガンと向き合って」と云う演題の講演だった。

90分の講演を立ったままできる元気振りと、ジョークやユーモアを沢山散りばめた話に驚くばかり。76才の彼は福岡出身で、ギャグ好きなところが、私に深い親近感を起こさせた。

何でこんなに明るいんだろうと想った。

彼は体験と勉強から曰わく、毎日2000~3000のガン細胞が誰でも発生しているが免疫力で毎日退治している。年を取ると免疫力も落ち人は誰しもガンになりがち。

免疫力の維持には、食事内容、休養、運動が重要。

炭水化物制限、ブドウ糖はガンのエサ。

休養とは十分な睡眠。

運動は毎日のちょっとしたスクアットなどの習慣。

彼の講演(ミキセミナー)を聴く縁に、改めて感謝した。

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June 19, 2016

永遠の生命の図解、

最近、住職が、考え出して描かれた、交差する波の図解は、生死問題、生病老死に対する、恐れを払拭してしまうような壮大な宇宙の理、虚空世界の安らぎをイメージさせてくれる。

人生のどこで切っても、エネルギーの総体は同じ。

肉体が生まれる前も、肉体の死後も、エネルギーの波は永遠の営み。

陰陽のそれぞれのエネルギーの波が、交差しながら人生を作る。

時空を超えた、みずみずしいエネルギーがいつもある。

それが、私だと想える。そんな図解を、見ながら微笑む。

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June 18, 2016

生と死のリズム、

懐かしく過去を想い出す時、人生は完了している。

昨日の親しい友人の告別式の時、私も何か完了している静けさ、安らぎを感じた。

そして何か新しいことに出会う時、未完了のざわめき、ときめきを感じる。

人生は、懐かしい世界にエネルギーを蓄えて、新しい世界に飛び出して行く。

それは恰も呼吸のようなリズム、生と死が一体のような。

昨日の夜は、ヒッポクラブの関係で、来日中の初々しい米国人留学生2人と初めて会って小グループで会食をした。

完了している部分の人生と、未完了の不安定の部分の人生が同居している。

死んでいて生きていて、生きていて死んでいる。

人間は皆、そんなエネルギー体だと想う。

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June 17, 2016

友の知らなかった一面に浸る、

昨晩、会社帰りに友人の通夜に参列。

親しく付き合って来たつもりの友も、通夜の会場にあった色々な想い出の写真を見ると、私の知らなかった幸せの日々を送って来たことが伝わって来た。

参列した高校時代の友人から私も初めて聞く青春時代のエピソードに、俺には云わなかったなーと、彼が持っていた色々な面を、改めて新鮮に感じた。

高校時代以来の再会の友とも言葉を交わした。

友と語り合ったこと、過ごした時間、これからも、私の生き方に色々な影響を与えてくれると想う。

出会ってくれてありがとう。


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June 16, 2016

終活を考える機会、

今日明日は親しかった友人の葬儀。通夜も明日の告別式も参列する。

静かに友の人生を考えて浸ってみたい。

そして、私も、人生でやるべきこと、優先すべきことを考えてみたい。

どのような人生の展開があろうとも、この世に生を受けたことへの感謝が全てのエネルギーのもと。

そして、遂には、私は個としては存在していないと想うと、死のない世界が開ける。

波が大海に帰るように友を送りたい。

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June 15, 2016

真理を学ぶことの大切さ、

昨日夜、舛添知事の土壇場の涙ながらの言葉は、悲しい驚きであった。

子供達のことを想うと東京都の名誉を守りたい。東京に恥をかかせたくない。せめてリオ・オリンピックが済む9月まで待って欲しい。

法律には違反していないと、もと検事の第三者に云わせる弁解。人間の奥にひそむ内面の教師(神)との対話がまだ、この期に及んでも出来ていない。

私はどうなっても好い、皆が良ければ、自己犠牲が神の本質。神は真理とも云う。法とも云う。

たまたま東大の法学部の助教授でもあった舛添知事は、人間の作る法律の宿命的な限界、粗雑性、杜撰さを際立たせてくれた。

舛添知事は法(真理)にはまだ少しも近づけいない赤子同然の未熟さが憐れ。

世間の容赦ない視線が、法(真理)を学ぶことの大切さを世間に教えている。


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June 14, 2016

勉強するな、心地よい響き

私が属するヒッポファミリークラブの多言語自然習得方法は、とてもユニーク。

勉強するな、文法は考えない、音を真似するだけ、言葉と云うより歌として聴く。赤ちゃんのように。

同時に複数の語学CDを聴く方が語学は上達する。多言語国家の例。

隣の国の言葉はわかりやすい。日本にとっての韓国語、中国語は本当は、習得し易い。

外国語習得は、外の世界への好奇心の表れ、エネルギーのもと。

一昨日、横浜でヒッポファミリークラブの講演を聴きながら、改めて、勉強するなと云う勉強法が心地よかった。

会場は親子の参加も多く、幼児、小学生、中学生、高校生、大学生など、色々な世代と自由自在に交流できる楽しさを感じた。

私にとって外国語も、旅のように、小さな驚きの源、人生のエネルギー。

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June 13, 2016

親しい友の訃報、紫陽花の頃、

昨日、寝る前、親しい友の訃報の電話があった。

昨年夏からガンで入院退院を繰り返しながら治療していた彼に何度か本を送ったり、メールをやり取りしてきた。

同郷の彼とは、東京に出て来てからの同郷の会で知り合ったが、ウマが合い、里山の散策、日吉地下壕見学、居酒屋で一杯など、親しい友になっていた。

彼が教えてくれた生田緑地の公園は野生のホタルがいる場所だった。白川郷の家のような百姓家を集めた民家園、その後、私は何度も訪れている。

5月初めに来たメールに「むしろ苦を楽しんでいるよ。俺、頑張るけん」と書いてあった。人生に確固たる、新鮮な境地に目覚めているようだった。

一昨日聴いた住職の法話の、生死は初めとか終わりではなく、エネルギーのひとつの場面の形態に過ぎないことを想う。

今朝横浜は雨、6月の紫陽花の頃。

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June 12, 2016

相対世界からの開放、エネルギー体(たい)としての人間、

太極拳の自然な動き、力学的な動きを実演解説しながら、昨日、住職は、生死問題を説かれた。

両手を徐々に開く時、開いている動作の後半には既にもう閉じるエネルギーが発生している宇宙的なエネルギーの体感。手を下げる時に、途中から、もう上げるエネルギーがが発生している。

どこを切っても貴方は統一体のゼロ。

点でしか物を見ない人にはわからない。

生死は絶えず波を繰り返す陰と陽のエネルギーが交差する点に過ぎない。人生もどのポイントもプラス・マイナス一定・統一体のゼロ。

私を人格的に有りと見る人には、エネルギー体(たい)としての自分は見えない。

自分をエネルギー体と見えることは無我性の気付き。

生ぜず滅せずの世界。

私は、ただ宇宙いっぱいに漂うエネルギー体の一部、肉体を超えた、物の背後を見る。

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June 11, 2016

形にしがみつくことの哀れさ、

人間の、形にしがみつくことの哀れさを、今回の舛添知事のスキャンダルは世間に見せている。

東大で助教授をしたり、社会のリーダーと思われていた人があんなに未熟で、身勝手で徳の無い人てあったとは。

エリートの醜さ、未熟さが哀れを誘う。

しがみつく対象が違っている。捨てて、捨てて出直す、力強さがまだ無い。

神に心から懺悔して、何に執着すべきかは、自ずから気づいて欲しい。

いかに学歴が薄っぺらで、法律が人間の徳にまでは入り込めない宿命のものかを想う。

ヴィーヴェーカナンダ師の言葉を想い出す。私は改革を信じない。霊性(徳)の向上を信じる。


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June 10, 2016

65歩の歩み、 池田小学校児童殺傷事件から15年、

池田小学校の児童殺傷事件から15年、TV で、亡くなった女の子・本郷優希ちゃんのお母さんの言葉が、TVで放送されていた。

「娘は、教室で刺され、廊下の方に65歩、歩いて倒れて、力尽きてました」と。

致命傷を受けながら、優希ちゃんがフラフラしながら歩いた65歩。

65歩の先は、お母さんと一緒に歩きますと、お母さんは云っていた。

あどけない愛くるしい女の子が、人生の最期に歩いた65歩。お母さんに会いたかったことだろう。

私は、娘が小学1年生だった頃を想い出し、感情が溢れてしまった。

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June 09, 2016

未完了の人間関係、

誰しも人間関係が尻切れトンボのような未完了の人間関係がある。

親、友人、家族など心残り、未完了の人間関係は、懺悔と感謝と祈りで和らいで行く。

日々は未完了でも、仕方ない。静かな修行の世界では、全ては完了している。

今の安らかさが、全てを完了させる。

懺悔と感謝と祈りが全てを完了させる。後は神に委ねて日々生きて行けたらと想う。

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June 08, 2016

見つかってくれてありがとう、

北海道で、1週間行方不明だった7才の男の子・大和君が退院する様子が今朝のTVで報道されていた。

あるグループホームのお年寄り達から届いた大きな野球ボールには、寄せ書きが書かれていた。

見つかってくれてありがとう。

一人ぼっちの真っ暗な世界から、見つかってくれてありがとうと云う世界へ。

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June 07, 2016

2016年、ラマダン始まる、

昨日からイスラム教徒の人達の断食月・ラマダンが始まった。

オフィスの2人のアラブ人にも、今朝はラマダン・ムハラク(幸せなラマダンを)と挨拶した。アラブに住む友人達にも挨拶のメールを送った。

世界の16億人のイスラム教徒の神聖な行事。

イスラム暦のため、毎年10日~11日早くなって行くラマダン。(西暦2016年はイスラム暦では1437年~1438年に当たると云う)。

月が見えるか見えないかで開始日が1日異なると云う約束ごと。

昔、アブダビに住んだ時、ラマダンの時の街の静まりや、モスクから聞こえるアザーン(祈り)の声を想い出す。

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June 06, 2016

キリスト教国の禅、

昨日の鎌倉円覚寺の夏季講座で「大悲の人・鈴木大拙」と云う講演を聴いた。

鈴木大拙は、禅は東洋の専売にあらず、また仏教の特色にあらず、キリスト教国の禅なるもの等、禅の普遍性を説いている。

祈りは、私が祈るのではなく、神の御心に従うこと、即ち、私が一体となった神が祈るのである。

そんなことを想いながら、小雨の朝、円覚寺の佇まいを味わった。時は、6月紫陽花の頃。

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June 05, 2016

雨の日の鎌倉、円覚寺、

今年は円覚寺の夏季講座がいつもより早く6月に開催されている。

今日は「大悲の人、鈴木大拙 」と云う講演がある。また「ムーミンを哲学する」と云う講演も。

もう10年以上行く円覚寺夏季講座、私の心の軌跡、人生の軌跡を想い出す。

時は、鎌倉が一番輝く紫陽花の頃、今朝は、紫陽花がひときわ似合う小雨。

早朝、鎌倉へ向かう。

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June 04, 2016

宗教学者の新刊・幻冬舎に唖然、親を断捨離、

今朝の新聞の大きな新刊の広告に、ある宗教学者・文筆家の本に唖然とした。

「もう親を捨てるしかない。親を断捨離」、たちまち重版と、売れているらしい。

「介護は地獄、だが、それぼどの恩を、子は親から受けたと云えるか?」

恩は取引か?愛は無功徳に働く。

親を捨てることは、地獄からの逃避ではなく、それこそ自分の存在を否定する底無し地獄。

このような薄っぺらな思考の本が人気になり、ビジネスにする人達の、度し難い勘違いに、ただ憐れむ想い。

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June 03, 2016

現代のゲティスバーグ演説、オバマ大統領広島スピーチ、

今朝、大変嬉しく想ったことは、新聞に、「胸を打つ現代のゲティスバーグ演説・オバマ大統領広島スピーチ」と云う記事を見つけた時。

1863年、リンカーン大統領は南北戦争で亡くなった多くの犠牲者を悼み、自由と平等の新しい国家を築く未完の事業に、ここで身を捧げるべきは、寧ろ我々自身でありますと、語りかけました。

オバマ大統領は核無き世界は私が生きているうちに、この目標を実現出来ないかもしれないと述べながら、どれだけの人々の胸を熱く鼓舞したかと想う。

広島・長崎の地は、人類に静かに語りかけている。

私は、世界史の一場面の情景を、5月27日、確かに見た想いがした。

道は途方もなく遠くとも。

感動に導かれて、今日を生きる。


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June 02, 2016

アブダビの海岸沿い朝の散歩のシーン、

昨日夜、15年以上振りで、アラブ首長国連邦アブダビの友人と東京新橋で会食した。

彼は、私に、アブダビの海岸沿いの朝の散歩道の情景を想い出させてくれた。

彼は、昔から田舎のおじさんのように穏やかなのだ。

当時、彼も出勤前に朝のアブダビの海岸沿いの道を散歩していた。暑い国でも早朝は、比較的凌ぎやすく、朝は清々しい海の光景だった。

その後、お互いに、時代を経て、昨日は、お互いをしげしげと見つめながら、益々、穏やかに語りあった。

私は、アブダビに生きた時代に大きな刺激を受けて、旅することの素晴らしさを学んだ。

あの頃のアブダビの光景が、私の心の中に、生き生きと浮かび、私は当時の私と勘違いするほど。

私は勘違いの力で、過去も未来も自由自在。


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June 01, 2016

人生への100%の責任、それは祈る力、

人のせいや、無関心では、何ら解決しない問題が人生には立ちはだかる。

身の周りにも、世界にも。

私が関与しなければ、全ての問題はそのまま。

100%自分の人生に責任を持つとは、祈る心がなければ、到底出来ることではない。

人生に於いて祈る心がなければ、人生は、ごまかして生きていることになる。

問題点を先送りして、とりあえず、今日を生きていることになる。

祈る心が、人生を100%生きることを可能にする。

私は祈る心は無力ではなく、寧ろ人生の圧倒的な強い力になると想う。

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