修行はやめて、地獄に行く覚悟を探る、
法(真理・神)を求めるきっかけは、苦からの解放。そのために修行が始まる。
最近、大法輪と云う月刊誌5月号の中で、住職は、もう修行は止めようと云う境地を発言しておられ驚いた。
無間地獄の一番底に落ちて一切を支えろと自分に命じましたと。
私は、先日偶然に出会った禅の本の中の逸話を想いながら、住職のその想いを探った。
蚊に布施をする逸話である。
蚊に刺されるのを防ぐために、人々は右往左往する。修行もする。
そして、蚊に自らの血を吸わせて蚊に布施をする境涯に至った時、世界は一変する。
自他が一体になった時、個としての自らの解脱は望まず、地獄の底にあって他を支えることに喜びが生まれる。
苦も修行も入り口。
入り口を忘れる境涯、地獄が地獄でなくなる境涯がある。
私は、自ら進んで地獄に留まる覚悟に、永遠の安らぎ(神)を垣間見る。
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