「今ここ」の意味、唯識の意味、
苦からの解放を求め、無常観から10代で出家され、修行の道に入られた住職の言葉は、知識欲で仏教を学ぶ世界とは全く違う。
「今ここ」は、時間的や空間的なことではない。五感六識を越えた世界。
唯識は自分の意識の現れを説いてはいない。自分の意識を越えた意識の世界を説いている。
勘違いして仏教を学んで来たことに気づかされる。
「汝はそれなり」、得よう得ようと右往左往して来た人生に、個(エゴ・五感六識)を捨てれば、永遠の安らぎが広がっていると云うメッセージ。
私は知識としての仏教には関心は無い。生きるための灯りが欲しいから学びたいのだ。
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