失敗を見届ける人生、
先日の天城坐禅合宿でのある参加者の人の発言が強く印象に残った。
自分のこれまでの人生を振り返り、失敗だったことに対して、逃れようとするのではなく、その失敗振りを見届ける気持ちで生きて行きたいと語ってくれたこと。
失敗を見届けるとは、エゴが薄れて来ていることを感じた。
私が地獄へ行って、下から他を支えると云うことに通じているように想えた。
自己犠牲の覚悟は、安らぎに通じていると想った。
先日の天城坐禅合宿でのある参加者の人の発言が強く印象に残った。
自分のこれまでの人生を振り返り、失敗だったことに対して、逃れようとするのではなく、その失敗振りを見届ける気持ちで生きて行きたいと語ってくれたこと。
失敗を見届けるとは、エゴが薄れて来ていることを感じた。
私が地獄へ行って、下から他を支えると云うことに通じているように想えた。
自己犠牲の覚悟は、安らぎに通じていると想った。
今月は、玄米が肥満を防ぐことや、昆布がコレステロールの排泄に役立つこと、タマネギが血栓を防ぐことなど、学んだ。質素に見える食べ物にも、深い味わいを感じる。食べ物が人生を形作っている。
「健康寿命を延ばす、食べあわせ辞典」(済陽高穂著、講談社)から抜粋-
<肥満対策>
1, 玄米 + 昆布、
カロリー制限だけでなく、脂質の摂取を抑えて、代謝の好い食べあわせを工夫する。玄米の胚芽には、糖質の代謝に必要なビタミンB1やB2が含まれ、肥満防止の主食。 海藻類をたっぷり用いた料理はさらに効果的。 マグネシウムや亜鉛などミネラルが、糖質の代謝を助ける。
2、 切干大根 + ししとう、
切干大根には、ビタミンB1、B2も、代謝を助けるマグネシウムやカリウムも豊富。ししとうがらしに含まれるカプサイシンは、アドレナリンを分泌させて脂肪を燃焼。
<脂質異常対策>
3、 ひじき+ 大豆、
ひじきや昆布のぬめり成分、アルギン酸には、コレステロールを排泄する作用がある。大豆のリノール酸は、動脈硬化を予防、サポニンが脂質の代謝を高める。
4、 アジ + 玉ネギ、
魚のDHAやEPAには血液の中性脂肪を抑え、血液サラサラ効果。タマネギを加えれば、硫化アリルの強い抗酸化力が加わる。血栓防止作用あり。
<高血糖対策>
5、 雑穀+ さやいんげん、
雑穀米・玄米はビタミンB1たっぷり、血糖値を改善する。豆類にも、ビタミンB1、 糖質の代謝の促進をする。
6、 まいたけ + 酢、
糖質ゼロのまいたけ、ナイアシンには糖質の代謝を助ける作用。 酢が細胞のエネルギー代謝を促進。
7、 ひじき+ ホタテ、
ひじき、ワカメも植物繊維の宝庫。 ミネラルが代謝も促進。貝類、イカ・タコに含まれるタウリンも、インスリンの分泌促す効果。 以上
何もしてやれなくて、と想う心を、私は、人間関係の最高の美と想う。
与えて与えて、奉仕したくて奉仕したくても、またまだ足りない、実行が伴わないと嘆く心の美しさを想う。
人から、何か貰おうとか、何かしてくれないかとか、人に期待ばかりする世間の人間関係の中で、何もしてやれなくてと嘆く対象がいることは幸せなことだとも想う。
何もしてやれなくてと想う心には、エゴを捨てて行く覚悟がある。それは神への道に通じていると想う。
毎日通勤する電車の駅のそばの線路脇に可憐なオレンジ色の花を見つけた。
空き地や道端でも、よく雑草の中に可憐な花を見つける。
昨日、不図立ち止まって観察したくなった。何か豊かな気持ちになる。
人は、結局は、そんな瞬間の安らぎを求めていながら、気付くことなく、人生の遠回りをして生きているのではないかと想った。
お金も出世も、結局は、不図した花を愛でる時のような安らぎと云う幸せのために、人はあくせく右往左往しているのではないかと想った。
ならば、遠回りせず、今、私は立ち止まって、線路脇の花を眺めれば好いと想った。
今回の天城坐禅合宿の時の住職の法話の中に、何故か、戦後30年フィリピンの山の中で戦い続けていた小野田少尉の逸話があった。
上官の命令書があれば、投降すると云う小野田少尉の決意の継続とその強さを住職は、道を求める者の発心の強さになぞらえられた。
住職は幼児の時、ガンジーが亡くなった日の翌朝の新聞に母親が驚きで、ガンジーが死んだと大声を上げたことを、はっきりと覚えてらっしゃる。
そして、まだちっちゃな住職に、母親はガンジーのような人になりなさいと云ったと云う。
住職は幼児ながら、なったると応えたと云う。
住職は、それから、ずっーと、母親の命令書を胸に生きて来られたと想う。
小野田少尉が上官の命令書で投降された当時の凜とした敬礼姿は、圧倒的な感動に包まれる。
娘が幼児の時、自転車のハンドルに取りつけた小さな椅子に、娘を乗せて、多摩川沿いの公園に行く道などを走った。
道端で、家を作るとか、ビルを作るとか作業をしている現場を通りかかると、私は、娘に話しかけていた。
「何してるの?、 誰が作ってるの?」 とか。
娘は、私に教えるように、「"工事さん"が作ってんの」と自信を持って答えていた。
今でも道で、工事している人を見かけると、あの時の"工事さん"と云う声が、ほのぼのと蘇る。
ノマド(Nomad)生活と云う言葉を最近知った。 ノマドとは遊牧民の意味で、どこでも暮らして行ける人々のこと。
天災の被災地で起こる苦しみは、自宅を離れなければならないことの苦しみ。
このことに気づかせてくれたのが、最近来た友人のメルマガだった。
親から受け継いだ大借金を乗り越えながら生きて来た友人の、人生観から滲み出る発想に、私は、痛烈な刺激を受けた。
最小限の物を持ち、何かあったら、遊牧民の様にその地から離れる。 子供だけや年寄りにはなかなかできそうにないが、どこでも、無一物から生きて行ける自信があれば凄い。
戦後、引き揚げて来た人々は、無一物から、新しい地で生きた。
ただ、命あるを感謝して。
私も、ノマド(遊牧の民)の様に、逞しく生きたいと想う。
私が昨日、坐禅合宿を1日遅らせても参加したかった同窓会がある。
私が会社生活最初の赴任地新潟で地元採用の高校卒業したばかりの新入社員約30名の教育係をした時の教え子達が昨日、東京で同窓会をして私もその席に乱入したのだ。
18才の彼らと23才の私の対面。歓声が嬉しかった。
社宅を借りて1軒に6人づつくらい住まわせ、私が監督者、朝6時ランニング、7時会社の独身寮で朝食、8時工場出勤。学生服の彼らを私が連れて歩く姿が新潟にあった。
毎日、門限の10時には各部屋を見回り、みんないるか?と点呼して回った。
部屋で煙草や酒を飲んだ形跡を私が見つけると、何だこれはと云って、その部屋連帯責任で、早朝追加ランニングなど罰を加えていたと云う。
そう云う私も、門限ぎりぎりに酔って帰って来て、♪熱海のよ~る♪とかよく歌っていたとか、すっかり忘れてしまっていた私の青年時代の光景。
私の弟と会って、弟とじゃれ合ってる時のような、何とも言えぬ安らぎがあった。
時代を経て、元気に生きて来たことをお互いを讃え合い、心は新潟の山河の中にあった。
苦からの解放を求め、無常観から10代で出家され、修行の道に入られた住職の言葉は、知識欲で仏教を学ぶ世界とは全く違う。
「今ここ」は、時間的や空間的なことではない。五感六識を越えた世界。
唯識は自分の意識の現れを説いてはいない。自分の意識を越えた意識の世界を説いている。
勘違いして仏教を学んで来たことに気づかされる。
「汝はそれなり」、得よう得ようと右往左往して来た人生に、個(エゴ・五感六識)を捨てれば、永遠の安らぎが広がっていると云うメッセージ。
私は知識としての仏教には関心は無い。生きるための灯りが欲しいから学びたいのだ。
人生で必要以上の持ち物を持たないと云う考えを、先日来日したウルグアイのホセムヒカ元大統領も云っていた。
旅する時の持ち物のように、最小限の持ち物で、人生と云う旅をする。
何と、心休まる考えだろうと想う。
どんどん削ぎ落として、削ぎ落として、身軽に身軽に、生きて行く。
それでも人に愛されたなら、それは托鉢の施し。
街道の木々草木と会話が弾む人生を想う。
昨日は、姉が住む大牟田の施設に電話して、介護の人に、続けて起こる地震の影響の模様を聞いてみたら、建物も入居者も皆大丈夫とのことだった。
姉は今年1月末に施設に入居、携帯電話はなく、3階の部屋で車椅子生活で、自分から電話してくることはなくなった。
介護施設の人が、横浜の弟さんから電話がありましたよと伝えておきますと云ってくれた言葉に私は姉の表情を浮かべた。
ただ、弟さんから電話がありましたよと云う言葉に、どれだけ姉が喜ぶか、私にはわかる。
昨日は、姉の施設に電話したことが私の一番の充実感だった。
若さ故にチヤホヤされることは子役や芸能人を見ればわかる。
美貌の故にチヤホヤされるのは、世間をみればわかる。
お金の故にチヤホヤされるのは、長者番付に憧れる世間を見ればわかる。
地位の故にチヤホヤされるのは肩書きに憧れる世間を見ればわかる。
若さも失い、美貌も失い、金も失い、地位も失った時に、人に愛されるか?愛される自信があるか?
人生では、それが問われている。
若さや美貌やお金や地位でチヤホヤされて来た時にこそ、孤独な老後が待っていると想う。
徳を積んで来た人には、若さも美貌もお金も地位も無い時にも、人々は近づきたくなる。
私は、若さも美貌もお金も地位も無い人の中にしか見えない世界を見て生きる。そこには、永遠の安らぎがあるから。
何ごとも修行に時間はかかる。
例えば寿司職人でも、陶芸とかでも。弟子入りすると、最初は掃除だけやらされ、不満だとかの話もよく聞く。
だが、そのような期間は、エゴを取り除くために、入口で大事な期間であると云う話を住職から聴いた。
学ぶには先ずまっさらの学ぶ状態作りが大事だと私も想う。
住職も出家した当時は、掃除ばかりさせられていたとのこと。それは大事な期間だったと振り返っておられる。
寿司職人なんか10年も修行するなんてナンセンスと、修行期間の長さをバカにする発言をホリエモンがしているのをインターネットでみた。数ヶ月の訓練で寿司職人を養成し、効率的なビジネスを説いていた。
ビジネス的に考える浅さと、私は、道の違いを想った。
道を究めるには、エゴを捨てて行くプロセスがあり、ビジネス的な効率とは別世界。
私は、ビジネス的な効率の生き方では満足できない。何ごとにも、道を求めたいと想う。
毎年、春と夏に行っていた伊豆・天城高原の坐禅道場が、今年一杯で閉館される予定と云う。
今週末22日~24日の坐禅合宿に、名残惜しい気持ちで参加する。
天城山中にある道場は、今、豆サクラが満開だとのこと。
無常を学ぶ禅に相応しい境地を味わえればと想う。
気が滞ると病、心も止まると病。
無常とは、思い通りにならないこと。無常とは戦うものではなく、無常は受け入れるもの。
昨日の住職の法話を想い出しながら。
昨日、私も娘も会社帰りに、日本橋で待ち合わせて会食をした。
私は人生観の話を、娘は意外と最近聴いたと云う政治や経済の話をして、私は娘が政治や経済の話をするようになったことに、ただ驚きを隠せなかった。
私にとっては、娘は幼児時代の娘との付き合い、会話が強い印象で、娘から政治や経済の話を聴いているシーンが、信じられないことだった。
ただ、心地よくその話を聴いた。
娘には伝えておきたいことが沢山ある。私はいつしか、また今回も、熱っぽく、禅の学びの世界を紹介した。
14日夜から始まった九州の地震が続いている中、弟家族や姉の様子を気づかいながら。
人生の展開も、あるべくようにある。全ては神の領域。静かに委ねて生きる。
昨日夜、アラビア語の講座を終え帰宅して、暫くすると熊本の震度7の地震が報道されて、その後、ずーと地震の被害状況のニュース一色となった。
東日本震災の時を想い出す。
時折、突然訪れる自然災害、なすすべも無い人間の力を想い出す。
生老病死も、自然災害も避けられないこと。
どう受け止めて、生きるかを考える。
自然が生みだす力の恩恵と災害、人間にとっては恩恵であったり災害であったり。
私も、自然界に生まれて来た生き物。自然界の法則を考えてみる。個では無い世界の安定も見える気がする。
私も地球上に、自然災害のように突然生まれて来た存在だと想う。
打撃衝撃が与えてくれる暗示と学びを想う。
法(真理・神)を求めるきっかけは、苦からの解放。そのために修行が始まる。
最近、大法輪と云う月刊誌5月号の中で、住職は、もう修行は止めようと云う境地を発言しておられ驚いた。
無間地獄の一番底に落ちて一切を支えろと自分に命じましたと。
私は、先日偶然に出会った禅の本の中の逸話を想いながら、住職のその想いを探った。
蚊に布施をする逸話である。
蚊に刺されるのを防ぐために、人々は右往左往する。修行もする。
そして、蚊に自らの血を吸わせて蚊に布施をする境涯に至った時、世界は一変する。
自他が一体になった時、個としての自らの解脱は望まず、地獄の底にあって他を支えることに喜びが生まれる。
苦も修行も入り口。
入り口を忘れる境涯、地獄が地獄でなくなる境涯がある。
私は、自ら進んで地獄に留まる覚悟に、永遠の安らぎ(神)を垣間見る。
先日訪れた金沢八景・野島公園の青少年研修センターそばを朝散歩していたら、野島の掩体壕と云う防空壕跡の大きな入り口が保存されていた。
終戦の年、昭和20年の春の工事が記録され、近くの夏島掩体壕と合わせて小型機100機を格納する計画だったと云うが実際に使われることはなかったとのこと。
通常の掩体壕は戦闘機1機を格納する程度で、野島の掩体壕は国内最大規模であったと云う。
早朝の金沢八景の海岸の散歩の時に、見つけた小さな驚き。旅ごころ。
先日、原爆の悲惨さを伝えるチャリティー公演で、「原爆の子」の朗読や、広島のチンチン電車の物語の一人芝居を見た。
70年前の原爆の地獄絵と人間の様子を想像する力が、私は今までと比べると、かなり増して来たと想う。
まるで疑似体験をしたかのように、原爆のシーンが浮かんで来た。
人生の地獄も天国も、身近なところにあると想った。
日々、どう生きるかは、すぐに結論が出ると想った。
生ぬるい中に、私は生きてはいない。小さくとも、やるべきことがあると想った。
週末、ヒッポファミリークラブの親子合宿交流が横浜・金沢八景の野島青少年研修センターであり、私は去年に続いて一人で参加した。
幼児も小学生も中学生も大学生も、沢山の子供達の中に身を置くのが楽しい。
友達どうし集まって生き生きと走り回る子供達。
私が見慣れた子供達の成長振りは、まるで大自然の中の生き物を見るかのように、感動であった。
部屋は質素な、6人合い部屋の二段ベット、私は二段ベットの二段にはしごで上がった。いかにも青少年時代を想い出す。
研修センターの合宿は、会社の新入社員研修の時なども想い出す。
昔のシーンの中に自分を置く心地よさが何とも云えなかった。
朝6時過ぎに近くを散歩すると、八景島のシーバラダイスが見え、海岸のキャンプ場もあった。
たった2500円で味わう豊かな旅。貧乏ではない質素な、豊かな旅。そうでなくては味わえない豊かな旅。
全ては無常である。
人はいつも、その無常と戦う。
一度は徹底的に無常と戦う必要があるが、無常は解決すべき問題ではなく、受け入れるもの。
自分を変えようとせず、外を変えようとする生き方に安らぎはない。
無常観は、法(神・真理)への入り口、苦は法への入り口。
昨日の住職の法話から私の走り書き。
昨日は仕事から早く帰って、7時~9時まで、テレビでホセムヒカさんの2時間の特集番組を見た。
彼は人間とは何か?、社会とは何か?、経済とは何か?、政治とは何か?を静かに語りかけてくれた。
貧困、ゲリラ活動、13年の投獄、大統領を経て、あの仏様のような表情になったのだ。
彼には、厳しさと優しさがあり、圧倒的な慈愛が溢れている。
生きることは失敗し、学ぶこと。
80才の彼が、老いをおして来日し、日本を見てくれて、日本人に語りかけてくれた。
今日は京都にいるのかな、彼が日本に今いることが嬉しい。
心理学者アドラーは、褒めることは、優位にたつていることで、上から目線に見られがちなことを説いている。褒めるより、ありがとうが好いと、説いている。
昨日、観桜会で会つた友人は、ありがとうと云う言葉にも、上から目線を感じるとのことだつた。改めて、人は、受信機しだいだとおもつた。
褒めても、ありがとうと云つても、共通してることは、他と自分が切り離されていること。
言葉は、存在を区別するもの。
他と自が一体に、安らぎがある。言葉無き世界に、安らぎがある。
一昨日来日した、ホセ・ムヒカ大統領は、今日7日は、夕方16:30東京外国語大学(府中)で講演をするらしい。 明日8日(金)は19:00からフジテレビで番組があるらしい。
http://smart-list.info/2016/04/05/hosemuhika/ この中のユーチューブで、大統領の記念すべき演説も聴ける。
彼が日本に滞在している間、私は、何か、そわそわしている。 何故か嬉しい。
明日のTV番組はぜひ見ようと想う。
地球の裏側のウルグアイの一人の80才の男性の放つ光が、私の人生をも照らしてくれている。
一昨日、大学の友人と二人で飲んだ時、彼が、紹介してくれたアドラー(心理学)の言葉に惹かれ、インターネットで、詳しく調べてみたら、衝撃的な言葉が並んでいた。
「子供にとっては、家族が世界の全てなのだ。親に愛されなければ死ぬしかない。だから子供達は、全力で親に愛されようとする。その時とった命がけの戦略が、そのまま性格形成に繋がって行く。」
「どうしたらみんなを喜ばすことができるかを毎日考えるようにしなさい。そうすれば、憂鬱な気持ちなど吹き飛んでしまいます。反対に自分のことばかり考えていたら、どんどん不幸になってしまいますよ。」
「未熟な自分を責めてる限り幸せにはなれない。未熟な自分を認めること。それができる者だけが、強い人間になれる。」
人生の哀しみと、勇気の言葉。
今日は世界で一番貧しい大統領の来日の日、今日から12日まで何か日本が温かいものに包まれる。
まるで日本がサクラに包まれるように、ホセムヒカ大統領の光が日本を覆う。
そして今日は、50年前の今日、住職が奈良・慶田寺に出家された記念の日。
そしてお寺では、仏様の生誕記念の花祭りの頃。
今日は、特別な日。
近所の図書館で、何げなく手に取り開いた禅の本の中にあった記述に、発想の転換の自由自在さの安らぎを感じた。
蚊に刺されない方法は?
1、蚊取り線香、殺虫剤。
2、蚊がいても平気になる訓練をする。
3、蚊に布施をする。
自分を苦しめる全てのことは、布施と思えば、心が静まる。
寧ろ、今まで不幸と想っていたことさえ、自己犠牲の喜びにさえ変わる。
蚊に布施をすると云う生き方の安らぎ。
最近、懐かしい中国を訪問されて帰国して来たばかりの住職の話が心地よかった。
私は住職の言葉を聴きながら、禅の始祖・達磨大師の世界を辿った。
あるがままにあるとは、どのようにあるのか?
ものすごく自由で、全てがあり、無色透明で、全ての存在と一体、自分はない、
それをインド哲学ではアートマンと云う。それは静かなる歓喜。
それを幸せと云う。
「よーく観なさい」と云うのが坐禅。
風なきところに、炎の揺らぐこと無し。
自分の力で神の世界の扉を開くのが坐禅。
3月31日午後3時過ぎに東京のサクラの満開宣言が出た。
昨日は会社のそばの芝公園も朝から、場所取りのブルーシートが敷き詰められていた。
私も会社の二人のアラブ人と職場で6人全員で、芝公園で昼休みサクラの昼食会。
アラブ料理とサクラが、面白い。アラブ人達にとってサクラは日本に滞在中の想い出のシーンになる。
私の2016年のサクラのシーン。
文久元年(1861年)アメリカでは南北戦争の頃、日本で初めてのボーリング場が記録されている。
私が今年2月末、母の出身地長崎を訪れた時、立ち寄った大浦天主堂の近くの広場の石碑にボーリング発祥の地と刻まれていた。
日本で初の英字新聞・Nagasaki Shipping List and Adviser 1861年6月22日の記事に、日本で初めてのボーリングサロンが記録されている。その後、1864年横浜の外国人居留地(現在の港の見える丘公園辺り)にもボーリングサロンがあったと記録されている。
昨日開催の会社の顧客を招待したボーリング大会の表彰式の時、私が司会をしてそのことを紹介した。
坂本竜馬もボーリングしたかもしれないと想うと笑ってしまう。江戸時代のボーリング場なんて。入試に出して欲しい。