秀吉の怒り・気の小ささがもたらした歴史に残る悲劇、
先日、長崎の二十六聖人殉教記念碑を見て、その後、歴史を調べ、秀吉の短気・臆病振りに愕然とした。
南蛮貿易のためにもキリスト教に寛容であった秀吉がある日突然キリスト教を迫害に向かわせたと云う。
1597年、当時たまたま土佐に難破して到着したスペイン船サン・フェリペの乗組員が、スペインは先ず宣教師を派遣して、植民地にして行くと云う旨の証言をし、これを聞いた秀吉は激怒したと云う。京都や大阪や全国から宣教師と信者を捕らえ、素足で約1000キロの距離を長崎・西坂の丘まで歩かせ処刑したと云う。
また秀吉はスペインの中国進出を恐れ、先手を打って、朝鮮から中国に出兵を図った説も歴史書で読んだ。
秀吉の怒り・気の小ささが招いた人類史に残した残虐な行為の数々。
宗教は政治に利用されることはあると想うが、難破船の乗組員の証言に激怒した秀吉の業を想う。
最大の権力者になりながら、彼の人生に、彼の心に安らぎなど無かったことを想う。
讃美歌を歌いながら処刑されていった26人。彼らは1862年、ローマ教皇から聖人に加えられた。
長崎の南山手にある大浦天主堂は、正式には日本二十六聖殉教者堂と呼ばれ、処刑のあった西坂の丘を向いて建てられたと云う。
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