無条件にして安らぎ、無間地獄も安らぎ、
昨日の夕方は住職のサンガ(坐禅と法話)の日で、夕方はノルウェーの友人との観光案内の時間を中断して、久し振りに住職にお会いした。
有志の懇親会の時、住職は自ら無間地獄へ行き、下から人を支える生き方の安らぎを説かれて、私は戸惑いを感じながらも、住職の出家の発心の強烈さを想った。
どちらに転んでもよいと云う安らぎは無いのか?、さぞかし幼い時に体験された無常感が過酷であられたことだろうと想った。
無間地獄に一緒に行きましょうと云う住職の言葉に、私も含めて同席した数人は誰からもハイ行きますの言葉は無かった。
周りに小声の独り言で、実践は難しい、求めず無間地獄にいる人がいるとか、ため息が聞こえた。
涅槃でも地獄でも、大丈夫だと住職は諭しておられ、宮沢賢治の言葉を想い出した。どんな状況にあっても怖がらなくても大丈夫だと。
誰しも、地獄など行きたくはなく、天国の安らぎを求める。
だが、住職は、地獄にも仏様が見えるから、天国や涅槃、悟りを求めて右往左往するなとおっしゃる。
一緒に地獄に行きましょうに込められた想いを探る。
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