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March 31, 2016

映画、花のように、あるがままに、

最近見た在日コリアン舞踏家ぺ・イフアさんのドキュメンタリー映画の縁に感謝した。

20才で父は募集と云う名の強制連行で韓国から来日、奴隷のような生活を生き抜いた。その娘は佐藤孝子と云う名を止めて舞踏家ペ・イフアとして咲き始めた。

この映画は告発型のドキュメンタリーではない。奴隷のように扱われた日本なのに彼女のお父さんは怨みを超えていた。

家族愛の強さが人類愛に昇華され、優しさと強さが、見事に伝わって来る映画だった。

異国の風にそよぐ花は、ここに根を張り、舞い踊る。

お父さんが強制労働をさせられた宮崎県のダム工事現場を訪れ、ペ・イフアさんは、山に向かって、アボジー(お父さん)、と大声で叫んだ。

韓国人は皆、アリランを歌う。そして皆、二番になると泣いて歌えなくなると云う。

それぞれの過酷な人生を想う。

故郷の三池高校の先輩の映画監督・港健二郎さんの最新作との縁であった。

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March 30, 2016

年と共に食べ方を変える必要性、

今月は、年と共に、炭水化物からタンパク質に食べ物を変える必要性を学んだ。炭水化物はエネルギーに、タンパク質は細胞の修復に必要。年をとってからの炭水化物は寧ろ老化、病気を誘発する。

―「50才からは炭水化物をやめなさい」(藤田紘一郎著、大和書房)から抜粋-

1, 人間の身体はハイブリドエンジン、解糖系エンジンとミトコンドリア系エンジン。

若い時の“解糖エンジン” → 50才以上は”ミトコンドリアエンジン”へ切り替わる。

解糖エンジン: 糖分を燃料としてエネルギーを作る。

ミトコンドリアエンジン: 酸素を燃料としてエネルギーを作る。

2、 50才以上は、糖分が栄養にならない。 体温を下げない様にして、酸素を沢山吸いこむ様な身体の動かし方が必要。

3、 糖質を摂り過ぎると老化を加速する。 ←活性酸素を活発化させる。糖質を摂る時は食物繊維も必ず摂る。糖質は糖質の吸収を穏やかにする。

4、 多すぎる糖質は脳もボケさせる。

5、 不老長寿の実現は、活性酸素を減らすこと。

6、 改札を通るだけで、身体は老化する。 電磁波を浴びると活性酸素が一気に発生。 免疫システム が敵と勘違いして活性酸素発生。

7、 活性酸素を消すのは、ネギ、ニンニクなど、”フィトケミカル”。野菜の持つ独特の色、辛み、 苦味、香りの成分。

8、 “浸ける”、”茹でる”アクを取る”で農薬を除去。 毒系農薬やダイオキシンは脂肪に貯まる。

9、 アメリカで注目されるオラック指数。 活性酸素吸収能力。 スパイス類、ベリー類、豆類。

10、 マーガリンは脳を劣化させる。トランス脂肪酸の害。 認知症になりやすい。
コーヒーフレシュはトランス脂肪酸の塊。 生クリームや牛乳は1滴も入っていない。

11、 腐らない食べ物: フライドポテト。 大量生産の過程で、トランス脂肪酸。

12、 ボケない脳は腸から始まる。 発酵食品は、若返りの食べ物。

13、 防腐剤は腸内細菌にとっても毒。 以上

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March 29, 2016

安太郎爺ちゃんの想い出、

今朝、0540、部屋のベランダから、東に、まん丸い朱色の朝日の日の出を見た、小鳥の声、清らかな空気、空にはまだ白く光る月が残っていた。

ただそれだけの光景。

私が子供の頃、同居していた安太郎爺さんちゃんが、朝日に合掌していた光景を想い出す。変な爺さんちゃんだと思って、クスクス笑って見ていた。

朝日と安太郎爺さんちゃんの光景。子供時代の見慣れた光景。

ただ、それだけのことを想い出して安らぐ。

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March 28, 2016

木と草の違い、植物と動物の違い、

先日の森林インストラクターの友人の、親子向けの講座から、学んだこと。

草と木の違い、草は1年毎に枯れる、木は長年。

植物と動物の違い、植物は動けないこと。

植物は動けないから、生きて行く工夫が凄い。光と水と空気で生き(光合成)、蜜や木の実を他の生き物に食べて貰って移動するし、紫外線の害から護るために自らビタミンなども貯える力がある。

草木や木々からの学びは、時に感動的。

今いる場所で、健気に淡々と咲く。


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March 27, 2016

小学3年生達と立川ターザンの森、

昨日、友人の森林インストラクターの春の樹木や草花を学ぶ実践野外講座があった。そこは立川駅からバスで約30分のターザンの森。小学生達と親子で約20名で田園風景や森の中を歩いた。

畑道には無人の野菜販売所もあったり、癒やされる風景。

草花の葉は虫達に食べられ、虫は鳥や動物達に食べられ、鳥や動物達の死骸は土の中の微生物達に食べられ、また木々や草花の栄養になって、また葉や木の実をつけ虫達のエサになって行く。

食べちゃうけど、助け合っています。大丈夫です。中心は、木々のある森です。

はしゃぎ回る子供達と木々や草花の中、私は、まるで、住職の話を聴いている時のような安らぎだった。

立川市の生涯学習センターに携わる友人と森林インストラクターの友人の作り出した、メルヘンの世界の中に私はいた。

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March 26, 2016

肩書きが無い時こそ友人の真価、

春になるとサラリーマンの人事異動の発表の時期、昇格や左遷、退職など、サラリーマンの心が動揺する様をかわいそうに想う。

喜んでも悲しんでも、共に表面的な薄っぺらなこと。

個人の栄華を築こうと如何に努力してもそこに安らぎは無い。

個を捨てて、他と共に、喜びも悲しみも分かち合う境地があれば、出世や左遷など大した問題じゃない。それより大事な価値が他にある。

会社の偉い役職を退任する友人も、私は、偉くなった時期は敢えて付き合わず、退任退職してからなら付き合いたいと想う。

静かな、肩書きが無い時にこそ、友人達の人格を観る。

人は偉くなる前と、偉い肩書きが無くならないと、私は魅力を感じない。

それほど偉い肩書きは人を翻弄するものだと想う。


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March 25, 2016

ヒッチハイクした車のおじさんが大統領だった話、

昨日、聴いた話に、まるで日本昔話やアンデルセンのようなメルヘンの世界が広がった。

アメリカの青年が南米ウルグアイをヒッチハイクで旅した時、30台ほどの車が通りすぎ、その後、通りかかった古い1987年製のフォルクスワーゲンビークルにやっと乗せ貰った。

乗せてくれたおじさんが何とウルグアイの大統領だったと云うエピソード。

世界一貧しい大統領は、日本の出版社の招きで、4月5日来日する。

2016年桜の頃、私は仏様を迎えるような気持ちで、ホセ・ムヒカ元大統領に合掌する。

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March 24, 2016

童謡・ぞうさんの歌、

童謡・ぞうさんの歌の英訳を知った。

ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね、そうよ母さんも長いのよ、

Little Elephant、 Little Elephant、 What a long nose you have、 Sure its long 、 She is my Mommy.

まどみちおさんが作ったぞうさんの歌が、この英訳で世界に広まったと云う。作者は美智子妃殿下。

ぞうさんの歌は、人と違っていても、お母さんと一緒だと何か大きな力に守られて生きているものに気づかされる。

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March 23, 2016

横浜、飛鳥Ⅱ100日間の旅から帰港 のシーン、

先日、蒼い海が映える快晴の横浜大桟橋に、昨年の年末に南米に出発した飛鳥Ⅱが帰って来た。

私は、午前10時くらいから大桟橋で、遠くから近づいて来る飛鳥Ⅱをずぅーと眺めた。

11時くらい着桟する時は、乗客達の100日ぶりに、懐かしい日本に、ただいまと云う表情がよく見えた。

桟橋には、沢山の、お帰りなさいの垂れ幕やサインボード。横浜市消防団の楽隊の音楽など、私は初めて、豪華客船の帰港のシーンを味わった。

お帰りなさいと、ただいまと云う言葉は、何故か、心が暖かくなる。

私は、実際に豪華客船に乗る機会は無いと想うが、心は飛鳥Ⅱのコースを辿った。それで十分。

人生にも帰る港がある。父母未生以前の世界、自他一如の世界。

私は、ただいまと帰る。宇宙はお帰りなさいとこだまする。

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March 22, 2016

目をまん丸くして生きる、

昨日、青学会館で生命科学の中村桂子さんの講演を聴いた。

36億年前は全て同じ源から生命は誕生した。33億年は海にいた。全ての生命は兄弟、全ての生物は平等。

空飛ぶ小さな恐竜が鳥など、全ての生き物が語る物語を聴いた。

全ての生き物を愛でる生き方は、宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」に表現されていると云う。

娘が子供の頃見ていた「風の谷のナウシカ」、私は見たことがないが、どんな気持ちで娘も見ていたのか、今ごろ、私も急に見てみたくなった。

中村桂子さんは、童謡「ぞうさん」を書いた、まどみちおさんの言葉を紹介してくれた。

世の中に「?」と「!」と両方があれば、他に何も要らない。

目をまん丸くして生きることの素晴らしさ。

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March 21, 2016

バリアフリー温泉の講演会の縁、

先日、立川市の生涯学習事業に携わる同郷の友人の勧めでバリアフリー温泉の講演会を聴く縁があった。

講師は温泉エッセイスト・山崎まゆみさん、最近、バリアフリーの視点で書いた温泉の本を初めて出版、この種の本は初めての企画であったから世間の反響も大きかったと云う。

人は誰しも75才くらいから足腰が不自由になり、外出や旅行などし辛くなると云う。

足腰が不自由な高齢者、車椅子の高齢者が行きたい外出先は、先ず墓参り、それから市内をちょっと巡ること、そして最大の希望は温泉旅行だと云う。

墓参りと温泉旅行か、何となく、わかるような気がする。

老境に入り、身体が不自由になって、初めて気付く境涯がある。墓参りと温泉旅行。

まるで、懺悔と感謝の穏やかな境涯。

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March 20, 2016

経済統計に出ない幸せ、

今朝の日経に、GDPに映らない新経済の価値に就いて時評が書いてあった。

個人がネットを通じて無料で受け取る多種多様のサービスの拡大も一つの例。

通勤途上に見る道端の草花、木々の小鳥たちの声、何げなく見た夕日、美しい月など、経済統計の価値には表れていないことを、私はハッと想った。

日常の中でも不図とした会話の感動。誰かに頂いた感動する気付きや学び。

お金に表せない幸せが周りにおびただしくあることに驚愕した。

私は経済的統計に表せない価値に気づいて生きる。

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March 19, 2016

アシカのプール、動物園の想い出、

2月末故郷に帰省した時、何とか時間を見つけて、想い出がいっぱいの大牟田市立延命動物園にも行ってみた。

入り口近くにあるアシカのプールは今も変わらない。私が幼児の時、私が幼児の娘を連れて来たことも。

向かい側にある、猿の檻、当時の会話の声さえ聞こえてくる気がする。

子供時代や子育て時代に親しんだ動物園は、一人散策するのも楽しみだと想う。

東京なら多摩動物園、ライオンをダイオン、ダイオンと云って私にしがみついていた娘を想い出す。

うっとりとする人生のシーン。

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March 18, 2016

大学時代の先輩後輩の序列の痛快さ、

昨日開催の大学時代のクラブ・民族舞踊研究会の有志OB会、約10人の中、昨日は私は上から3番目だったので痛快だった。

名刺や職業をみると、蒼々たる肩書き経歴の後輩達を、昔みたいに呼び捨て、からかって、こずいたり、まるで幼稚園生並みに思え笑った。

後輩達も多分、末席に座り、呼び捨てにされる自虐趣味の連中じゃないのかと想い出し笑い。

後輩達の社会的活躍ぶりに、意外だったなぁと、大学時代のクラブ活動を想い出す。


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March 17, 2016

新潟製油所・勤労課・教育係、

新潟製油所・勤労課は、私が大学卒業後配属された初めての社会人スタートの想い出の職場。

地元採用の高校卒の製油所従業員の採用業務や教育係なども懐かしい想い出。

約30名の4才違いくらいの若者達の世話係だった。寮生活で朝ランニングをしたり、夜は点呼。私の点呼を懐かしい後輩達もいると想う。

新潟は、信濃川、万代橋、古町、雪景色、日本海、佐渡への旅など私の人生のシーン。

その時の新潟製油所採用の後輩達が4月末に東京で同窓会をやる情報があり、私は、是非とも乗り込み、またあの日のように、「みんないるか?」と点呼したいと想う。

最近、後輩数人から来た情報に、私は、時代を経て、まるで教え子達に会いに行くような気持ちの高ぶり。

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March 16, 2016

レバノン人の友人来日予定の報、

1989年、私が前に勤務した石油会社のアブダビ事務所を立ち上げる時、アブダビでオフィスの内装を依頼した工務店のレバノン人の主人は、その後、ずーっと私の親しい友達になった。

そのアブダビ在住のレバノン人の友人家族3人で5月中旬に来日予定とのメールが来て、とても嬉しく、驚いた。

レバノンは1970年代から内戦が続き、国民の大半は国外に避難し、私の友人もまた、そのように中東の隣国アブダビに避難し長年アブダビに住むこととなった。

レバノン人はアラビア語、フランス語、英語が話せ、私が立ち上げた事務所の秘書もレバノン人を採用した。

日本に来たら、私も会社を数日休んで、彼らが行きたい所や、希望の体験をさせてやりたい。日本の最高の想い出を作ってあげたい。

私とレバノンの接点、人生の不思議さ、人生の味わい。

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March 15, 2016

原発格納容器爆発の恐れがあった2011年3月14日の夜、

一昨日のNHKのTVのドキュメンタリー報道を見て、また東電が昨年5月に公表した資料を読み返し、改めて、2011年3月14日夜、関東を含め日本は原子力災害の壊滅的被害を受ける寸前だったことを悟った。

1号器、3号器は、格納容器の減圧に現場作業員の方々の決死の努力で成功したが、2号器の格納容器の圧力は下がらず、格納容器そのものの爆発で中でメルトダウンした大量の放射性物質が関東一円にも拡散される寸前だった。結果的には、たまたま格納容器下部の圧力抑制室が破損したとみられ、圧力が急に下がり、辛くも最悪の事態は免れた。

誰も経験したことの無い大危機の状況で、連日、現場作業員の方々は決死の覚悟でよく頑張ってくれたと涙が出る。

人類が、自ら冒した危険、誰のせいとか責めるより、これから大きな学びをすればよい。

2011年3月14日の私の日記を読み返し、そんな大危機の中にいたことを改めて想う不思議な感覚。これも私の味わうべき人生。


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March 14, 2016

2008年リーマンショックの記録映画、

先日、行きつけの居酒屋のアルバイト大学生が行きたいと云っていた映画、リーマンショックの実録映画、マネーショートを昨日観た。

2008年、私もあの時を振り返った。原油も大暴落、世界的に景気も冷え込んだ。

歴史を観ると、人間の欲の行き着く、繰り返えされる経済破綻。

個人も銀行も、時折、根拠の無い熱狂に陥り、詐欺経済に飲み込まれる。これも人間社会の業。解き放たれた煩悩の醜さ。金融機関の欺瞞も改めて感じる。

石油の仕事も乱高下で大変だったが、私は、ただ淡々と、2008年を送っていた。そんな世捨て人みたいな自分に、ちょっと嬉しさも感じる。

そんな時にも、ささやかに小さな旅や、好きなジャズでも聴いていた。

気づけば、凄い波乱の時代に、穏やかに生きているものだとも想う。ちょっと心配になるくらいに。


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March 13, 2016

人生の微かな接点、電車の中で語り合った故郷大牟田、

昨日の驚きは、私が幹事の故郷の在京ビジネスマンの会にお誘いして、急に去年11月から連絡取れなくなった元大牟田市長の栗原孝さんが、亡くなっていたことを知ったこと。

昨日は、東京に中尾新大牟田市長を招いて大牟田関係者の連絡会勉強会が開かれた。

世界遺産登録に関する活動報告や大牟田高校の駅伝の全国大会優勝5回の報告、港監督の大蛇山の映画作成進捗状況、作家西村健さんの大牟田の近代産業を築いた団琢磨を描いた「光陰の刃」の紹介などを聞いた。

一昨年、私がホテルオークラで開かれた大牟田など近代日本の産業遺産を世界遺産登録する決起大会で知り合い、横浜まで帰る電車の中でゆっくり故郷大牟田のことを話しあった栗原孝さんは、1995年~2003年まで大牟田市長を務められた人だった。

その後、何度かメールや電話のやりとりをしていた。入院されていた新横浜の病院から去年11月4日に電話を頂いたことが私の日記に書かれていた。その後、10日くらい後の去年の11月半ばに逝去されたとのことだった。

私がその後、メールや電話も通じなくなって、病院やご自宅に出したハガキに返事が無かった理由を昨日初めて知ることとなった。

悲しい知らせだったが、それでも、私は栗原孝さん、第26代大牟田市長と接点があり、私の愛する故郷を語りあったことを光栄に想い、心の中で合掌した。

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March 12, 2016

表情は全てを語っている、

先日、慈悲に溢れた表情で感動したウルグアイの大統領の写真の表情を想い出しながら、色々な世界中のリーダーや有名人、芸能人、自分の友人知人、兄弟姉妹など、それぞれの人の表情が語るものを考えてみたら、表情は全てを語っているように想った。

プーチン大統領のような冷徹な指導者、トランプ氏のような激しい言葉の扇動者、いざとなったら逃げだす頼りにならない知識人、世間体が第一のかっこつけの人、安らげない。

オバマ大統領には優しさを感じる。

慈悲と智恵が、優しさと厳しさで人を導びく。

厳しさを兼ね備えた優しさ、私には、想い浮かべる人が沢山いることに気づいた。

私は心の中で、そのような人に励まされて生きていることに気づいた。

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March 11, 2016

秀吉の怒り・気の小ささがもたらした歴史に残る悲劇、

先日、長崎の二十六聖人殉教記念碑を見て、その後、歴史を調べ、秀吉の短気・臆病振りに愕然とした。

南蛮貿易のためにもキリスト教に寛容であった秀吉がある日突然キリスト教を迫害に向かわせたと云う。

1597年、当時たまたま土佐に難破して到着したスペイン船サン・フェリペの乗組員が、スペインは先ず宣教師を派遣して、植民地にして行くと云う旨の証言をし、これを聞いた秀吉は激怒したと云う。京都や大阪や全国から宣教師と信者を捕らえ、素足で約1000キロの距離を長崎・西坂の丘まで歩かせ処刑したと云う。

また秀吉はスペインの中国進出を恐れ、先手を打って、朝鮮から中国に出兵を図った説も歴史書で読んだ。

秀吉の怒り・気の小ささが招いた人類史に残した残虐な行為の数々。

宗教は政治に利用されることはあると想うが、難破船の乗組員の証言に激怒した秀吉の業を想う。

最大の権力者になりながら、彼の人生に、彼の心に安らぎなど無かったことを想う。

讃美歌を歌いながら処刑されていった26人。彼らは1862年、ローマ教皇から聖人に加えられた。

長崎の南山手にある大浦天主堂は、正式には日本二十六聖殉教者堂と呼ばれ、処刑のあった西坂の丘を向いて建てられたと云う。


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March 10, 2016

人生街道、行き交う旅人の情景、

昨日、会社帰りに元住吉の行きつけの居酒屋にフラリと立ち寄り、いつものカウンターの席で、演歌を聴きながら、いつもの焼酎のお湯割り。

アルバイトで働く男子大学生と、たまたま言葉を交わした。見たい映画が「ショートマネー」と云うリーマンショックの内容の映画だと云う。大学生4年生が興味のある映画なら私も見てみたいと思った。

池上彰さんも卒業した都内の有名工業大学で素材(触媒など)研究しているのだと云う。

大学生との何げない会話をしながらも、経済や歴史の話にもおよび、彼がこれから進んで行く人生街道に、何か役立つ知恵でも餞にできたらと想った。

人生の往路と帰路の人の会話かと、人生街道の行き交う旅人の情景を想った。

ひとりフラリと立ち寄る居酒屋も、広重の浮世絵のような旅の味わい。

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March 09, 2016

Lord Mayor of London : 2005年秋・みなとみらい、

先日国際LPガスセミナーで来日し、私が、休日に、横浜のシーメンズクラブなどを案内したノルウェーの友人に、たまたま約10年前、同じ様にシーメンズクラブに案内した英国人の友人の消息を訊ねてみて仰天した。

その人ジェフェリー・エヴァンズさんの消息を、彼に聞いたら、去年11月、貴族社会のロンドンのシテイーの代表(Lord Mayor of London) になったとのことで、彼の馬車に乗った戴冠式典の様子を写真で見せて貰って仰天した。

彼は次男だったが、数年前に兄(家の長男)が亡くなられ、彼が貴族の家を継いだとのこと。

その後、彼とは連絡が途絶えていたが、今回、その消息を聞いて初めてわかったこと。調べてみると確かに2015年9月のFinancial.Timesにも彼の記事が出ていた。

彼が働いていた船のブローカーの仕事で、2005年、英国から南米に出張する途中に日本にも立ち寄り、私に電話をかけて来て、横浜を案内した。

当時、私は、前の石油会社を希望退職して、家裁の調停委員などしている時だった。

今想えば、当時、私は、凄い人と二人で、横浜を観光したことになる。 彼は、仕事の事より、私と人生哲学、どう生きるべきかを話しあっていた様に想う。 彼も、日本人の私と云う男と、人生論を語りあったこと覚えているだろうし、多少なりとも彼の人生哲学に影響を与えたことが嬉しい。

もう会えなくても、人生でそんなことがあったと想うだけで、私は大変光栄に想った。 気づかないところで起きてる人の出逢い、そして人生の素晴らしさ。

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March 08, 2016

例えば春が天国、冬が地獄とすれば、

例えば春が天国、冬が地獄とすれば、

春にあっては天国の気分を味わい、これから夏秋を経て冬に向かうことを想い地獄の気分も味わう。

冬にあっては、地獄の気分を味わい、これから向かう春を想えば天国の気分も味わう。

いつでも、どこでも、天国と地獄は併存している。人によってその面積が違うだけ。

いつでも、どこでも、天国と地獄がある。わけ隔てなく天国と地獄を味わえば好い。

その天国と地獄の様子を眺めているもう一人の内面の私がいる。優しい眼差しで眺めている内面の私がいる。

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March 07, 2016

最高のたくあんの味、1946年夏、舞鶴、

先日の故郷へ帰省の時、子供時代に、兄のように親しかった従兄弟の家も訪ねた。

自衛隊を退役しても、その礼儀正しさ、また子供時代から感じた誠実さ、優しいお兄ちゃん振りは変わらない。

満州から引き揚げて来た時は4才で舞鶴に着いた時の記憶を私に話てくれた。

舞鶴の港には沢山のおにぎりが売られていたが、親が金が無かったのだろう、食べることができなかった。その時、私を見かねて一切れのたくあんをくれた人がいた。

その時の、たくあんの美味しかったこと、人生で一番美味しかった、世界で一番美味しかったと振り返って話してくれた。

地獄に行かなけれは、自分が今、涅槃にいることに気づかない。

川にあって水を売る喩えを想い出す。


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March 06, 2016

無条件にして安らぎ、無間地獄も安らぎ、

昨日の夕方は住職のサンガ(坐禅と法話)の日で、夕方はノルウェーの友人との観光案内の時間を中断して、久し振りに住職にお会いした。

有志の懇親会の時、住職は自ら無間地獄へ行き、下から人を支える生き方の安らぎを説かれて、私は戸惑いを感じながらも、住職の出家の発心の強烈さを想った。

どちらに転んでもよいと云う安らぎは無いのか?、さぞかし幼い時に体験された無常感が過酷であられたことだろうと想った。

無間地獄に一緒に行きましょうと云う住職の言葉に、私も含めて同席した数人は誰からもハイ行きますの言葉は無かった。

周りに小声の独り言で、実践は難しい、求めず無間地獄にいる人がいるとか、ため息が聞こえた。

涅槃でも地獄でも、大丈夫だと住職は諭しておられ、宮沢賢治の言葉を想い出した。どんな状況にあっても怖がらなくても大丈夫だと。

誰しも、地獄など行きたくはなく、天国の安らぎを求める。

だが、住職は、地獄にも仏様が見えるから、天国や涅槃、悟りを求めて右往左往するなとおっしゃる。

一緒に地獄に行きましょうに込められた想いを探る。


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March 05, 2016

週末は実践観光ガイドの巻、

国際セミナーも無事終わり、来週初めまで日本に残るノルウェーの親しい友人を今日・明日は観光ガイド。

今回の私の提案コースは、今日は夕方まで横浜みなとみらいと横浜中央市場、明日は三浦海岸に河津桜と油壺の海と温泉など、私の編み出した独自コースを実践してみようと想う。

ノルウェーから彼の娘や息子さんが旅して来た時も、夫婦で来日した時なども、いつも、観光ガイドをして私も楽しんで来た。

今年の私の抱負は、オリンピックに向けて、観光ガイドの実践をすること。今日は好い気楽な練習になる。

そして何より、そのノルウェーの友人の、また素晴らしい日本の旅の想い出を作ってあげられる。

私は、素晴らしい旅の想い出のプロデューサー。

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March 04, 2016

アラブ人へのアドバイス、

今日の朝、東京プリンスホテルの国際LPGセミナーで、クウェート代表のプレゼンテーションがある。

そのクウェートのプレゼンテーションの中で、東日本震災のあった2011年秋、クウェート政府が日本へ原油で5億ドル分(当時換算約500億円)寄付した話をするかどうか問われた時、私は、しない方が好いとアドバイスした。

施したものは、アピールするものではない。忘れるくらいで好いと。

住職に教えられた無功徳に働くと云う素晴らしい境地を想い出しながら、アラブ人にアドバイスした。

アラブにもそのような教えがあると頷いてくれた。

今朝、家から駅に行く道で、鮮やかに咲く梅の花に見とれた。

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March 03, 2016

世界のLPGのトレーダー、東京集結、

今日・明日と国際LPGセミナーが世界中の参加者約700名を集め東京プリンスホテルで開催される。

昨日は、先ず昼休みに、仲良しのノルウエーとシンガポールからの友人と3人で久し振りの昼食を楽しんだ。私がLPGの最前線のトレーダーであった頃のビジネス相手。昼夜、生き生きと真剣勝負でディールをやっていた。

昨日の夜は、プリンスホテル
のレセプションで大勢の友人知人達との再会に心踊った。

ちょっとこの数日、九州への旅の時も、ワインや酒を飲み過ぎて、ちょっと抑えねばと反省。

人生の色々な場面を、深く味わいながら、全てが学びや気づきの場。

私が、海外を飛び回っていた時代のシーンも想い出させてくれる国際セミナー、嬉しくて、そわそわするこの週末。

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March 02, 2016

旅の締めくくりは、熊さん文庫、侑庵、大刀洗平和記念館、

九州の旅の帰路、夜の福岡空港に行く前に、昨日午後、久留米の近くの小郡にある「熊さん文庫」を初めて訪ねてみた。

満州の「帰って来て欲しかった父」を書かれた熊谷紀代さんが自宅を解放されて地元の子供達に憩いと安らぎを提供されている手作り図書館。

お腹のすいた子には子供食堂のようにカレーライスなど食べさせてあげるのだと云う。

近所には友人の方が、民家を改造し地元のお年寄りなどが気軽に立ち寄れるカフェ(侑庵)もあった。近々、子供食堂へのプロジェクトに燃えておられ、私は初めて実際に子供食堂の縁に触れた。

熊谷紀代さんは大刀洗特攻基地の跡地にある平和記念館で朗読や、地元の小学校で読み聞かせのボランティアもされていると云う。

今回の長崎・大牟田への旅の締めくくりに、旅の始めに訪れた浦上天主堂のアンジェラスの鐘のことを想った。

私の知らなかった世界が、いっぱいに広がった。


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March 01, 2016

長崎から大牟田へ、人生の旅、

今回の旅は長崎から大牟田へ行き、1ヵ月前に施設に入った姉の様子を見る旅でもあった。

長崎から大牟田への列車の旅も、諫早湾を車窓に見ながらの懐かしい旅だった。

夕方、施設に着くと丁度、姉はデイケアから車で送って貰って、優しい職員の人に車椅子を押してもらい部屋へ帰るところだった。

つい2ヶ月前に年末に会ったばかりの姉は、独り暮らしの時より表情が明るくなっていてホッとした。

私の帰省の度に、母親のように私に世話をやいてくれていた姉も82才、身体が思うように動かなくなって自ら施設に入ることを決断した。

離婚して40年、私が帰省の度に、子供達と会いたい会いたいと云っていた姉に、今回、長崎を旅して、次男の経営する居酒屋をフラリと訪ねて来たことを報告すると真剣な表情に変わった。

元気に、立派に、店を24年も経営して、店も繁盛していたことを伝えると、「良かったぁー」と涙ぐみ、とても安堵して安らいだ笑顔になった。

よく追い返されなかったねと私を気遣ってくれた。

姉の安堵した笑顔が、嬉しくて、嬉しくて、大牟田の街が輝いて見えた。


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