« 翻弄された人生、それも与えられし修行、 | Main | 笑訳・ブッダの教え、と云う本 »

February 05, 2016

独りの食事の深い意味、

私は、毎朝、自分で適当に用意して、独りの食事をして会社に向かう。

質素な食材の素朴な味、その中から思索の材料になる深い精神性も味わっている。

玄米、麦、大根おろし、豆腐、納豆、キムチ、時に味噌汁、ただ炒めただけの野菜やキノコ、焼き魚、海藻も牡蛎も。ヨーグルトとミキプルーンは毎日欠かさない。

結構、朝の静かな独りの食事を淡々と、安らぎの時と感じている。

禅の道場では、食事の時、無言であることの意味・精神性が私は好きである。食事はチャラチャラした人間の身がってな宴ではない。

黙々と、食材に感謝して修行をさせて頂く。

誰かと話ながら、命を捧げてくれた食材に余所見しながら対峙することは出来ない。

今朝も独りの食事を味わう。

横浜の清々しい冬の朝、遠くに汽笛を聴きながら。

|

« 翻弄された人生、それも与えられし修行、 | Main | 笑訳・ブッダの教え、と云う本 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 翻弄された人生、それも与えられし修行、 | Main | 笑訳・ブッダの教え、と云う本 »