全ては死にかけていると云う気付き、
先日久しぶりで行った新宿の哲学カフェの後の懇親会で何げなく耳にした、「全てはDying(死にかけている)存在」と云う言葉が、想い出される。
死にかけている存在だからこそ、愛おしい気持ちになれるのだと想う。
死にかけている存在だからこそ、今日も名残惜しい一日が始まる。
新宿の懇親会の居酒屋には、ネパールから来て2年と云う若いネパール人の女性が忙しく働いていた。話しかけると、現地のように「ナマステ」と挨拶してくれて合掌した。
三蔵法師が目指した西方浄土の雰囲気のかけらを私は密かに楽しんだ。
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