思い通りにならずとも、2015年を振り返りつつ、
個として生きるなら、思い通りにならないことは苦しい。
全体として、人と繋がって生きるなら、思い通りにならなくても苦しくはない。
波として生きながら、大海に抱かれた波であることを日々どれだけ感じて生きているかが問われている。
2015年を振り返りつつ想うこと。
個として生きるなら、思い通りにならないことは苦しい。
全体として、人と繋がって生きるなら、思い通りにならなくても苦しくはない。
波として生きながら、大海に抱かれた波であることを日々どれだけ感じて生きているかが問われている。
2015年を振り返りつつ想うこと。
故郷は、風景がもう安らぎ。子供時代の心理が蘇り、今の私に語りかけて来る。
故郷に錦を飾らなくてもいい。若い頃のような焦りは無い。ただ、自分が育った場所の土地の空気に抱かれる。
聞こえて来るような両親からの励ましのメッセージ。
そして神に感謝しなさいと。両親への感謝など要らない。ただ一生懸命に生きて来ただけと。
人生は苦しみの中に、微かに楽しみを見いだす力が逞しさだと、両親の人生は教えている。人生は泣き笑いだと。
今泣いたカラスがもう笑うた。子供時代によく聞いた言葉を想い出す。
早朝の新幹線で九州へ向かう、真っ暗い内に家を出て、ゴロゴロゴロゴロとキャリーバックを押して駅へ向かう。
博多まで5時間の間に、新年の抱負でも想いを巡らそう。
姉や弟家族たち、高校時代の友達、もう顔が浮かぶ。
車窓の景色を見ながら想う。旅は人生のメリハリ。
0709新横浜発、博多行き、のぞみ7号、2015年暮れ。
不図、私の書いてる5年日記を見る。
去年の今頃、12月26日福岡空港からプロペラ機で対馬へとある。厳原港岸壁でフグの子供を助け海に放つと記録。
岸壁に捨てられ、死んでいるのかと思った小さなフグが、ピクリと動いたので岸壁から海に落としてみたら、それは勢いよく泳いで海に消えて行きびっくりだった。
旅の最高の想い出となった。
福岡より釜山が近い島だった。
一昨年夏、稚内でサハリン行きのフェリーを見た時も、国境を肌で感じた。
旅は人生の道しるべ。その時見た光景と私の心のキャンバスが浮かぶ。
2015年暮れ、仕事納めの日。
昨日の住職の話で、外の世界に惑わされない境地の素晴らしさを垣間見た。
少しでも早く唯識を知っていたら若い頃あんな苦労は無かったかも知れないと住職はおっしゃった。
外の世界は、自分の内面のキャッチの仕方しだい。
母との別れから、どちらに転んでも大丈夫の世界を求めて10代で出家された住職。
外の世界は、全て自分が作り上げたもの。外の世界に問題は無い。
天上天下唯我独尊、釈迦の言葉の真意を知る想い。
外の世界を必要としない境地の凄さを想う。
昨日は、会社帰りの桜木町駅前で、いつも見かけるビックイシユー(ホームレスの支援雑誌)の販売員の人が道行く人に声を出して宣伝していた。
私が近づくと、私に気づいてくれて、私に深々とお辞儀をしてくれた。「いつもありがとうございます。今日は売れなくて困ってました。」と云って笑顔になった。受け取って帰る時に、私の後ろ姿に「よいお年を」と
云う声がして私の身体に電流が走ったように、熱いものが流れた。
販売員の人はおじさんだが、マッチ売りの少女の物語を想い出した。
駅前のコンビニの店頭では、クリスマスケーキが半額で売られていた。
そんなクリスマスの日の体験が私の人生に灯りを灯す。
クリスマスは、海外との繋がりを感じる季節。
メールでいろんな国々の友人達とグリーティングのメールを交換しながら、それぞれの国の光景を想い旅してるような気持ちになれる。
ノルウェー、ロンドン、メキシコ、シンガポール、アブダビ、クゥエート、など、私は、つい2週間前に撮った東京・九品仏の浄心寺の鮮やかな紅葉の写真を添えた。
ノルウェーからは、トナカイが出てきそうな雪の山小屋の情景も届いたり、世界中に想いは駆け巡る。
宇宙のあらゆる存在は、何ひとつ他を所有せず、他からの所有でもない。
そして個が尊厳を保ちながら、全てが縁で繋がり、助け合っている。
所有したり所有されたりすることは、人から安らぎを奪う。
何ひとつ所有せず、全ては天からの恵みもの。
揚げ物は老けるとか、食べ方で人生が変わることに改めて、小さな驚きを感じる。食べ方は生き方でもある。今月の勉強は最近出た本、「40才からは食べ方を変えなさい」(済陽高穂著、三笠書房)からの抜粋。
1、 朝の納豆が身体をリセットする。 植物繊維と納豆との相性が抜群。
2、 揚げ物が好きな人ほど、老けるのが早い。酸化・糖化の害; AGEs物質(終末糖化産物)を防ぐ食べ方をする。焦げ付きは怖い。
生もの、煮物、蒸し物はOK。 揚げ物・炒め物はAGEsが高くなり問題。
3、 腸を綺麗にする2つの方法。黄緑色野菜と植物繊維豊富な食材と、発酵食品。
4、 究極のアンチエイジング食材は”鮭”。最高の食べ合わせはブロッコリー。
5、 抗酸化力抜群の野菜の王様、”ブロッコリー”。200種類以上のフィトケミカル含む。免疫力、解毒、血液サラサラ、ガン予防など。最高の組み合わせはオリーブ油。
6、 まるごと”若返り栄養素”= “にんじん”。 最高の食べあわせはゴボウ。 美肌効果も。
7、 デトックスで肌がつやつや、”タマネギ”。 体脂肪排出効果も。
8、 太らない身体作りに”大根”。 消化促進、肥満予防。
9、 “ぶどう”は栄養剤、究極のアンチエイジングフルーツ。最高の食べあわせはキウイ。
10、 発酵パワー、 “納豆”は最高の組み合わせはネギ。 中年太り撃退。
11. カルシウムの吸収助ける”椎茸”、最高の組み合わせは、昆布。
12、 高血圧、高血糖、高脂血を防ぐ、”酢”。 最高の食べあわせは、タマネギ。
13、 “青魚”は、脳も身体も若くする、最高の組み合わせはシソ。
14、 ”牡蠣”、スタミナ食、肝臓の代謝も高める。 最高の組み合わせは”酢”。
15、 “トマト”は食べる精力剤、最高の組み合わせはリンゴ。
16、 “ゴマ”は小さな魔法使い、脂肪の代謝、肝臓の働き助ける。最高の組み合わせはマグロ。
17、 “リンゴ”は万能の若返り食、最高の組み合わせはハチミツ。
18、 “昆布”は、海の野菜、ミネラル1割含有、最高の組み合わせは大根。
19、 若くて強い身体作る”ヨーグルト”、最高の組み合わせはぶどう。
20、 美容ダイエットに”オリーブ油”、最高の組み合わせはトマト。以上、
人生も、自然界も、宇宙も、全て、作用と反作用から揺れ動いている存在だと想う。
そう想うと、全てが、サーっと楽になる。ただ自然の力学が生み出す造形。人生も。
それを人は縁とも云う。
私も日々、作用を起こしながら、反作用に揺られて漂う。
それが、人生の揺りかごのように、神に揺らして頂いているように感じる。
昨日、同郷の有志忘年会で、想いがけず一冊の本を戴いた。
お父様を満州・通化事件で亡くされた娘さんが半世紀をかけて父の死の真相を辿る本で、北九州市自分史賞を受賞された作品だった。
敗戦の混乱期・昭和21年2月3日に満州・通化で起きた日本人の共産軍に対する叛乱事件の真相を私は、初めて身じかに感じることが出来た。
戦争の悲惨さ、当時の満州の状況や、家族への深い想いが、まざまさと迫って来る作品に私は、涙を堪えながら一気に読み進んだ。
作者は語りべの活動もされ、九州・小郡で自宅を図書館として解放され「くまさん文庫」として、社会に平和のメッセージを伝えてらっしゃると云う。
私も、このような縁に、また満州が近づいて来て、父や母と再会しているような気持ちになった。
人生も敗者復活戦と想えば、気が楽になる。
しぶとい自分にも驚き。
まだチャンスあり?と想えるところが頼もしい。
倒れても倒れても戦う姿勢が頼もしい。
「頑張れ、負けるな」と云う母の声がして。
先日、満州の会の人と数人で昼食をした時、関西在住のメンバーで予科練だった方が去年亡くなられたことを知った。
80才代の方々も多く、今までこの10年、満州の会で出会った方々と何人かお別れして来た。父が暮らした満州鳳城の香りを感じる方々が少しずつ消えて行く。
その亡くなられた方が、中国の子供を養子に育ててらっしゃったことを知り感動した。あの方なら何か中国に恩返しされていても、すぐ理解出来る立派な方だった。
昨日、仕事で関係のある台湾の若者と、新橋の台湾料理屋で忘年会をした時、子供の頃、離婚した母親に会いたくて日本に来て日本で就職して今も頑張っていることを知った。
何故か、大地の子を想い出した日。
人生の苦難で切り離されても、恩義のある人がいる。そんな時、私は大地の子と叫べばいい。大地の子であることで、全ての恩人と繋がっていられる。
通勤途上の会社そばの花屋さんの店頭に無料のカレンダーあり。
手に取ってみると俵万智さんの短歌が月ごとに添えられた花カレンダー。
2016年9月、バラ・常山アジサイ・ジャスミンに、添えられし歌あり。
"星の本を子と読みおれば「月までは歩いて十年」歩いてみたし"。
そんな歌に刺激され、私も、その日は、月まで歩き出したり。
最近、作者不詳の"一患者の詩"、"グリフィンの祈り"とか云われている詩を知った。
「大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと神に求めたのに、謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった。偉大なことができるようにと健康を求めたのに、より良きことをするようにと、病気を賜った。
幸せになろうと富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。 世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、得意にならないようにと、失敗を授かった。
求めたものは一つとして叶えられなかったが、願いは全て聞き届けられた。
神の意に沿わぬものであるにも関わらず、心の中の云い表せない祈りは、全て叶えられた。 私は、最も豊かに祝福されたのだ。」
思い通りにならない人生、ならなかった人生を振り返って、それでも祝福されたと云う気づきに、深い安らぎを感じる。
神のやり方で、全ては祝福されていると想う。
先日、たまたま講演会に訪れた後楽園の戦没者記念館、展示品の中で見つけた遺族の詩が、私の心を揺さぶった。
いつかお話しましょう。独りで生きて来た日のことを。
想い出して下さい。おやすみになる前に。水無月がまた廻って来ました。
お発ちになる時に、隊列の中に見つけた貴方に、遠くから手を振った私を、緑がまぶしいほど光っていた真昼の、あの時の青いセルの着物を着ていた私を。
聞いて下さったでしょうか、貴方の背に叫んだ私の声を、それを問うすべもないままに、月日ははるかに流れました。
再び会えないなどと、どうしてあの時思ったでしょう。消すことの出来ない記憶の中に、長い陰を引いて隊列が行くのです。
想い出して下さい。おやすみになる前に、白い李の花が咲いていた、貴方のふるさとを、いつの日か、お会いした時に、お話しましょう。独りで生きて来た日のことを。あの時の青いセルを着て、、、。
昭和19年7月北支で戦病死された満田巌氏のご遺族・満田道子さんの作品から。
知り合いのパレスチナ人が最近アラブ料理屋の二軒目を六本木に出した。
会社の二人のアラブ人が、年末にアラブへ帰省する前に日本人スタッフを慰労する意味で、昨日、そのパレスチナ料理(レバノン)の店に招待してくれた。
アラブ音楽が流れ、ひよこ豆やナスをペイスト状にした料理やザクロのジュースなど並んだ。私には配慮してくれて、例外でワインを飲ませて貰った。水タバコも薦められ調子に乗って体験する始末。
私は、シルクロードや大世界史のパノラマを感じながら、アラブ人たちと談笑した。
何年やっても余り上達しない私のアラビア語も、私の愛嬌。
昨日午後、ガイド協会の勉強会が後楽園の戦没者記念館であり、ついでに戦没者の色々な遺品の展示を見学した。
戦場からの手紙や、家族の写真、千人針、召集礼状など、静かに、私は遺品と対峙する時間を持った。
一昨日、アラブの同窓会で知ったフランスの映画「天皇と軍隊」が、下高井戸の小さな映画館で上映中と知り、これも縁だと、昨日夕方見に行った。
近代日本が外国から見られている視点にあれこれ気づかされた。三島由紀夫の命がけの警鐘も外国人なりの視点で語られていた。
人間社会の業、人生の過酷さ、日本の近代史が、まざまざと私の心の中に迫って来る想いだった。
映画の後、夜、下高井戸から三軒茶屋へ、ゴトゴトと走る世田谷線と云う路面電車で、私は、私は知らない世界へ旅した気分を味わって帰った。全ての縁を感じながら。
昨日、住職から、坐禅と呼吸の話を聴いた。
首筋をスーッと立て坐り、一本通ったような感覚。この勢いで呼吸する。
坐相が自然に呼吸する。呼吸を意識することもない。
呼吸に集中することは初心者の坐禅。
呼吸は消える。
止息の境涯。
うーんと唸らされる憧れの境涯。
昨日昼休み、会社の自転車で、虎ノ門の森ビルの一室の個人貿易の会社に私の友人を訪ねた。
私が、今の会社に転職する前に、無料で、一時オフィスを使わせて貰っていた懐かしい友人。
約50年、森ビルの一室を借り、一人で、個人貿易を続けて来た異色の生き方。
改めて年を聞いたら84才になったと笑っていた。50年前の当時のテナント契約書も見せてくれて、家賃が6万円くらいだった。今は家賃はその5倍はするが、よくこれまで長い間、誰も雇わず、一人で個人貿易と云う仕事を続けて来られたものだと感心する。
私もイタリアの自転車を輸入してみたり、インドのシルクを輸入してみたりした想い出。
84才でも、かくしゃくとして、パソコンに向かう姿にただ驚くばかり。
私も、色々な人の縁で、心地よい驚きに、煽られて、今日も元気に生きる。
私には、悲しくて読み返せない本がある。
9日亡くなった野坂昭如さんの「蛍の墓」。
戦争孤児の兄妹の見た人間社会。栄養失調で死に行く妹を助けられない兄の慟哭。
空のドロップの缶を持ち石ころを舐める幼い妹。
背中に背負った、衰弱して行く妹に、街へ行って食べ物を探して来るからと云うと、か細い声で、行かんでと云う。大好きなお兄ちゃんに抱かれて死にたかったのだ。
二度と飢えた子どもの顔を見たくないと云うのが、野坂さんが1974年、参議院立候補の時のスローガンだったと云う。
今、全国各地で、「子ども食堂」が増えていると云う。
18才未満の子どもの貧困率は16%で、子供の6人の内1人が貧困状態に置かれ、先進国の中でも4番目の高さと云う。
最新のビッグイシューの記事で知った。
写真や絵に、いたたまれなくなる。
昨日は、約3週間かかった家の補修が終わり足場撤去作業の日だった。
屋根、壁の塗装など、大がかりな補修だった。
時々やらなければならないのが、維持補修、家も人間の身体と同じ。
ちょっと気持ちが楽になった。
新たな気持ちで自宅を眺める。快晴の横浜の朝、遠くに港の汽笛を聞きながら。
12月8日は、お釈迦様が悟りに歓喜された日。12月8日、明けの明星の頃。
全国で坐禅をされている方々のエネルギーを感じる。
例え山の中、一人坐禅されてる人のエネルギーでも宇宙にエネルギーを放っている。
調和、平穏、安らぎ、大宇宙のエネルギーを感じる。
個と云う小宇宙が、個を超えた大宇宙と交信をしている。
波が大海と交信している。
12月8日、明けの明星の頃。
昨日は、小田原の妹が東京に買い物に出て来て、私は、喫茶店や昼食に付き合った。
2才違いの妹は、子供の頃からの遊び友達、二人だけになると、子供時代のように、お互いをからかい合って楽しんだ。
妹の薦めで、初めて民音博物館にも行ってみて、色々な古典ピアノを実際に聴けることに驚いた。
1580年当時のチェンバロの音色、モーツアルト、ヴェートーヴェンゆかりの1795年当時のアントンワルターの音色など、ビックリした。
世界史好きの私には、世界史が立体的に蘇るような感動だった。
私は、妹との時間を記念して、古典ピアノのパンフレットを買った。これを見ながら世界史の旅を楽しむことが出来る。
思いがけない妹との時間、これも、人生のシーン、そして人生の音色。
昨日は、パソコンの会の忘年会が鎌倉であり、久しぶりに参加してみた。
全国から約25名が集まり、午後鎌倉を散策の後、メンバーの方の蕎麦屋さんの店で懇親会、色々な方々のパソコンとの関わりや生き方を新鮮に聴かせてもらった。
中でも驚きは、80才代の女性が二人。挨拶も素晴らしく、今でも、健康で旅も楽しまれ、まだ仕事も少しなさっていると云う。宮城県から来られた方は、鎌倉に宿を取り、懇親会は遅くまで余裕しゃくしゃくだった。
人間に対する興味が益々湧いて来るシーンだった。
私も、この会のお陰で、ブログにも興味が湧き、色々な刺激を受けて来たことを、今朝改めて想い出している。
12月は、新年を迎える準備の月。
色々な整理や、新たな目標など、立ち止まって考える時。
自分に課したミッションは何か?、親や先祖に見せたい自分とは?、子供に伝えたい生き方とは?、
そして、社会に、人類に、全存在に、私は今、どんなエネルギーを発しているのかを自問する。
神々からのエネルギーの指令を、私の受信機は微力に感じながら、ハヤブサのように宇宙を飛ぶ。
私は、大地の子、地球の子。
1895年~1945年、台湾は日本統治の時代であった。 1945年の敗戦後、1949年までに50万人の日本人が、台湾から引き揚げたと云う。
戦後台湾から日本に引き揚げた人々を追ったドキュメンタリ映画「湾生回家」が、台湾で今年人気を集めた映画だと云う。 湾生とは、台湾で生まれ育った日本人のことで、映画の日本語タイトルは、「故郷ー湾生帰郷物語」。
映画の中の印象深いセリフに、「(生まれ育った台湾東部の)花蓮のあの自然、景色をそのまま日本に持って帰りたい」と云う言葉があると云う。
生まれ育った場所への万感の想いが伝わる。
日本に引き揚げても、"台湾の私"を抱えこんで、異邦人のように暮らして来た人達のことを知った。
私も、生まれ育った、故郷の山河を想う。
"臘八接心"とは、釈迦の成道(じょうどう)を記念して、陰暦12月1日から8日の朝まで昼夜、ただひたすら坐禅すること。
シッダルタは、菩提樹の下で黙々とひたすらに坐禅を続けた。12月8日、ついに暁の明星を見て活然と大悟された。
「奇なる哉、奇なる哉、一切衆生皆如来の智慧徳相を具有せり。 只、顛倒妄想の故に知ること能わず」と喝破せられたという。
12月の初旬、そんな神聖な一日一日が刻まれて行く。 全国で多くの人達が坐禅をしていることだろう。
12月初旬の坐禅は特別な坐禅。
自宅の部屋で、夜明け前に一人、静けさの中で坐る時間、人生では、とても大切な時間。
先日、産業カウンセラーのワークショップに出た時、夢が叶う選択肢の中から一つ何か選べる場面があった。
一週間だけ、未来へ行ける選択肢、過去のある時期に行ける選択肢など色々な選択肢の中から、私は、過去のある時期に行ける選択肢を選んだ。
人生で、常に想い出したいシーンがすぐに想起された。
幼児の私が、母とトボトボと何時間も歩いた田舎の田園風景。それは、バスに乗り遅れてのことだったが、川沿いのメルヘンのような道だった。
その場面にまた行ってみたいとよく想い出す。
そのシーンは、想い出すだけで、いつも私に力を与えてくれる。
私は、今も、人生のメルヘンを歩く。
幸せは人を離す、苦しみは人を繋げる。
思い通りになることで人は離れて行く。思い通りにならないことを共有して人は繋がる。
真理をどれだけ説いても、その人に苦しみが無ければ伝わらない。
苦しみは全ての光への入口。