宗教の変遷も、懐かしく、
私は幼児の頃は、母の信仰するメシア教と云う手の平の磁力で色々治す宗教に馴染んで過ごした。よく手の平をかざしてもらった想い出。
小学生の頃は、母は、生長の家に入って、私も母と一緒に生長の家の道場にもよく通った。早朝二人で自転車で道場に行った想い出。「我は神の子、完全円満」て唱えていた。日々お経のように「ありがとうございます 」と唱えていた。
それからも母の宗教の変遷は続いたが、私は、色々な宗教に、何か母の救いを求めて生きた人生を見て、懐かしい気持ちにもなる。
「人は、永遠なるものはないのかと云って宗教の門をたたき、自分の中にそれを見いだして終わる」インド・ヴィヴェーカナンダ師の言葉。
母に連れられて、永遠なるものを求めた日々も、ほのぼのと蘇る。
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