無一物の宣言、ひらめき、
今朝、私は、無一物と想うことで、圧倒的な安らぎに包まれることを感じた。
私は、今、何ひとつ所有していない。今まで、築き上げて来たものも無い、これからも何も所有する予定もない。
ただ、宇宙に漂う存在。私が宇宙に溶け込んで消えて行くような。
今私の周りにあるものは、全てはお借りしたもの。
全ては解き放たれ、私も解き放たれる。
これは、感謝から、歓喜へと向かう道かとも想う。
今朝、私は、無一物と想うことで、圧倒的な安らぎに包まれることを感じた。
私は、今、何ひとつ所有していない。今まで、築き上げて来たものも無い、これからも何も所有する予定もない。
ただ、宇宙に漂う存在。私が宇宙に溶け込んで消えて行くような。
今私の周りにあるものは、全てはお借りしたもの。
全ては解き放たれ、私も解き放たれる。
これは、感謝から、歓喜へと向かう道かとも想う。
住職の師、小浜・仏国寺、原田湛玄老師の最近のCDを聞かせて貰った。高齢のためにか、同じ言葉を繰り返されるだけにも関わらず、圧倒的な安らぎに包まれる。
容顔微笑む、生命が微笑んでいる。一切が微笑んでいる。
容顔もてゆくとは道元禅師の言葉で、容顔とは一切の働きのことと住職は解説してくれた。
ダンマ(真理)の安らぎを唱えておられる。
春は花、夏ホトトギスの歌もダンマ(真理)の歌。
今ここが微笑んでいる。
全てが愛しい、草木一本一本が話かけて来るような。
心の底から湧き上がる歓喜の歌。大悲の歌。
人生は思い通りにならない。もやもやするが、済んでしまったこと、まぁいっか、と想う。
これからのことは、これは新鮮なキャンバスに描く新たな人生。
すがすがしい気持ちで、全部、可能性の中に委ねてみる。
年齢には関わりなく、みずみずしい時間が広がっている。
今日も、キョロキョロと人生を眺める。
今月は、塩と砂糖の不思議や、身体の大きな動物の肉ほど腐り難いことなど、面白い発見をした。
―「食中毒を防ぐ、家庭の調理新常識」(久保田徹・現代書林)から抜粋-、
1, 塩は諸刃の剣の万能薬、
* 生体の水分は”細胞水(細胞の中の水)”と、細胞の間の隙間にある”自由水”の2種類。
* 細菌は、自由水の中でしか生きていけない。 塩で食品を保存するのは、この自由水を抜き出し、細菌を死滅させたり、不活性にすること。
2、 酢は細菌を金縛りにするマジシャン、
* 酢は細菌の活動を抑える。強酸性、強アルカリ性の中では,細菌は死滅する。
* 酢は強い酸性: 梅干し、ラッキョウ、ピクルスなど。
* コンニャクは強いアルカリ性: コンニヤクが腐った話は、先ず聞いたことがない。
* 肉や魚の日持ちは、生きている時の身体に比例して良くなる。身体が大きいほど酸性に傾く。
* 腐り難い順番に並べると、鯨→牛→豚→大型魚→鶏→中型魚→小型魚→ 貝の順。
3、 山葵(ワサビ)と生姜(ショーガ)は、細菌の分裂を阻む作用あり、抗菌性、
酢飯と山葵を鮨に使う意味。
4、 砂糖は、人に甘く、細菌には苦い、
糖度が増すと水分活性が少なくなり、細菌は生きて行けない。
果物が野菜より日持ちする理由。
5、 乾燥は、菌に死刑判決を下す、人間の強い味方、
細菌が増殖できる水分を無くすことで、腐敗を防ぐ。
6、 中華料理は炎の料理、食中毒防止から発達した、
7、 船乗りはアルコールに強い伝説、
60度以上のアルコールは殺菌力を助け、食中毒を防ぐ。
昔、幽霊船を作ったのは、船乗りの食中毒のせいだった。
アルコールは食中毒からの自衛手段だったとも云える。
(25度程度のアルコールでは、殺菌効果は少ない) 以上
今朝、昭和の銀幕のスター・原節子さんが、今年9月に亡くなられていたと新聞に出ていた(95才)。
亡き母から、何度も聴いていた懐かしい名前。
私は、心の中で、母に原節子さんが亡くなられたことを報告した。母の「そうね」と云う懐かしい声が聞こえる。
母の愛用した化粧品のクリームの小さなビンが遺品にあって、私は、今でも大切に持っている。
フタを開けると、私が母に甘えていた幼児の時代までも蘇る。
私は、会社に出勤前に会社そばの八百屋さんに立ち寄り、よくミカンを買って会社へ行く。八百屋さんとは顔馴染みで朝の会話も楽しい。
季節ごとに色々なミカンを楽しむ。
オフィスでミカンを食べるのがもう習慣となった。時に、ほのかに香るミカンの香りが好い。
八百屋さんによると、外人はよくリンゴを買ってオフィスに行く人もいるそうだ。歩きながら、リンゴをかじるのだそうだ。欧米人は、歩きながら、リンゴをかじるのは、何故か似合ってかっこいい。
案外、都心の八百屋さんも、都心のビジネスマン達と調和しているところが、面白い。
最近、高校時代に二人でヒッチハイクした親友が高知から突然仕事で上京した時、親友の横顔を見ながら不図、夏の山陰地方の海岸で何日か野宿したことを想い出した。夜空が綺麗だったなー。17才の2週間の野宿の旅の想い出。
また最近、ノルウェーから友人が突然仕事で来日、彼と語り合ってると、以前訪れた彼の家のそばの山や森、雪を想い出した。山小屋の静寂、トナカイが似合う国。クリスマスが似合う国。
何の縁(えにし)で生きて来たのか、成功でもない失敗でもない、ただ人生の味わいかと想う。
今日も縁(えにし)に委ねて、みずみずしい人生のシーン。
私は幼児の頃は、母の信仰するメシア教と云う手の平の磁力で色々治す宗教に馴染んで過ごした。よく手の平をかざしてもらった想い出。
小学生の頃は、母は、生長の家に入って、私も母と一緒に生長の家の道場にもよく通った。早朝二人で自転車で道場に行った想い出。「我は神の子、完全円満」て唱えていた。日々お経のように「ありがとうございます 」と唱えていた。
それからも母の宗教の変遷は続いたが、私は、色々な宗教に、何か母の救いを求めて生きた人生を見て、懐かしい気持ちにもなる。
「人は、永遠なるものはないのかと云って宗教の門をたたき、自分の中にそれを見いだして終わる」インド・ヴィヴェーカナンダ師の言葉。
母に連れられて、永遠なるものを求めた日々も、ほのぼのと蘇る。
高知で有機農業に関わる仕事をしている親友か急に、仕事で上京して来て、空いた時間に彼と、秋の都内を散策した。
その時、横浜市の米作りに関する政策を誉めていた。米を作ると1アール(約30坪)当たり3万円の補助金を出す制度があると云う。
彼曰わく、米作りのメリットは、他に3つのメリットもある。(1)水害対策、保水能力あり、(2)気温対策、(3)水田の景観の維持、日本の美、
米は輸入できても、水田の光景の日本の美は、輸入できんぞ、と彼は云っていた。
小田原の妹の家の周りには、水田が広がっていて、夏、水田の上を吹く心地よい稲の香りの風を想い出す。思わず深呼吸をしたくなる光景。
今年中に、自分で企画して小さな自己究明のワークショップをやりたかったことが昨日やっと実現した。
30代40代60代の友人知人で感心がありそうな人たちと5人で、代官山の寺カフェで、互いの関心事について、何故と云う問いを繰り返して自分の答えを掘り下げて行くプロセス。
自己意識の、より深いところに到達することを目指す。
ちょっとした実験だったが、参加者も盛りあがって、成果はあったと想う。
人間の持つ仏性に気付くプロセスが、「何故」と云う質問を繰り返している内に現れくると私は想う。
最近のフランスでのテロは、遠いところながら、大きな衝撃が、いつしか私の心の中にも、深く考える材料を与えている。
人類の歴史に戦争は絶えない。人間の持つ怒り・苦しみ・驕り・無視などが拡大化したのがテロや戦争だと思う。
今、世界で苦しんでいる大勢の人たちの発するエネルギーを感じる力は、遠く離れた場所にいても、大切なことだと想う。
テロは、私もここに、苦しみながら生きていますよと云うメッセージにも聞こえる。
私自身の幸せを目指す力に、世界中で追い詰められた人々からのメッセージを、いつも微弱でも感じ続けなければいけないと想う。
そして、また、平和を願い、沢山の活動を続けている人たちや、菩薩のように利他の生き方をしている人たちも。
季節は今、クリスマスへ向けて、街には、シクラメンやポインセチアが心を和ませてくれる頃。
昨日の会社帰りは、石油・ガス業界の有志勉強会で研究発表を聴講した。
石油市況分析、中国経済分析、サウジLPG価格の歴史、イラク情勢現況など、意欲的に研究している方々の発表だったから、とても気持ちよく勉強することができた。
中国経済の過剰設備(例えば鉄の生産能力は1億トンも余剰、日本の年間需要に匹敵)は、海外の需要に捌け口を求めざるを得ない状況。だから、政治的にも海外の市場開拓に拍車がかかっているとのこと。
ちらっと研究発表を聴くだけでも、日常にはない勉強ムードを楽しんだ。
日々、何かが新しいことが起きて行く。
楽しくて時を忘れることも、寂しく時を感じる時も。
昨日、私が今のアラブの会社に2006年に採用された時の恩人が、12月に希望退職をする旨のメールが届いた。
彼との色々なシーンを想い出して、感慨が溢れた。
これからもメール交信は続くが、何か寂しさが込み上げた。
楽しさも寂しさも、そのまま味わう。それが、みずみずしく生きている証拠。
楽しさだけでは、人生の味わいが乏しい。寂しさを味わい、いつしか、寂しさも忘れて行くように、サラサラと川は流れる。
日々起きていることは、全て神の作りしメニュー。
昨日は、有馬温泉での有志同窓会から、午後、東京へ帰り、初めて、東燃ゼネラルの児童文化賞、音楽賞の記念公演を紀尾井ホールで聴いた。
絵本作家・五味太郎さんの講演、奇想天外なコップを使った琴の演奏(沢井一語恵さん)、ヴィオラの川本嘉子さん、クラシックヴァイオリンの寺神戸亮さん(バロック・チェロとの共演など)、
終わってから、石油業界の友人達と懇談会も、新鮮な展開だった。
2日と云う短い期間でも、人生は目まぐるしく展開する。
小さな驚きに、ちりばめられて。
昨日、新神戸で、父の満州脱出記に出て来る、当時満州で近所に住んで父と親しかった友人の息子さん(現在85才)と初めて会うことができた。
父の満州脱出の時、その方に大変お世話になったことを手記で読み、戦後70年を経て父に代わって直接お礼を云うことができた。
喫茶店で、お互いに約2時間半、語りあった。お互いに目をしっかり見つめ、私は、その方の話を一語漏らさず真剣に聴き、当時の満州に想いを馳せた。
父や姉は、その方の名前、博、を私の名前としたことも、その方に告げた時、本当ですかと微笑まれた。
無常観、苦こそが、神(真理)へ向かわせるエネルギーとなる。
単なる知識欲や、功名心で何を探求しても、説得力や、安らぎは無い。
全ての行動の動機に、苦がなければ、修行にならない。
寂しさ、無常観、苦しみは、神(真理)へ向かわせる祝福の道。
そこを通らずして、安らぎは無い。
寂しさ、無常観、苦に、感謝の念が湧いて来る。
母が亡くなって20年、母とそっくりな人が数年前、鎌倉の中村天風会で見かけて驚いた。
最近は、ふるさと大牟田会に見える人が、雰囲気が母と似ていて、ハッとする。母との会話が蘇る。
ふるさと大牟田会のある人は、私を亡くなった弟そっくりだと云って、毎回、言葉を交わす。
そんな、ちょっとした脳の作用も、人生の味わい。
今日、新しいことは何か?、今朝、静かに自分に問いかけみた。
週末の関西への旅の時に、初めて会う予定の、父の満州脱出記に登場する方へのお土産を買うこと、
入院中の友人に手紙を書くこと、
家の補修の銀行手続きをすること、
今朝、新聞広告で見た書籍を買うこと、
あれこれ、私の手帳に書き出して、眺めて見る。
何かが、新しく展開しているようで、日々が、新鮮に流れているように感じれて、ちょっと安心。
川の流れのように、サラサラと日々が、いつも流れていれば、大丈夫だと想う。
福岡県の大牟田・久留米界隈の同郷ビジネスマンの会をもう、20年くらい続いていて、昨日がその年の一度の会だった。
昨日の朝の日経に、インドネシアの国営石油の総裁が、東京ガスとインドネシアで、LNGの輸入基地を建設する計画や、JX(旧日石)と製油所の改造をする計画などを発言したことが書かれていた。関連して三井物産や丸紅の関わりも。
それらの名が上がった会社全部の会社の役員が、たまたま、この20人くらいの小さな会にいて、昨日は、日経の一面の当事者会社の飲み会のような感じに、驚いた。
そんな中でも皆、仕事そっちのけで、しっかり笑わせる近況報告を楽しんだ。私もギャグが冴えていたと思う。
片手の音を聴く力、父母未だ生まれる前の世界を想像する力、これが禅がもたらす最大の安らぎ。
個としての身体や心をも超越して、大宇宙の静寂に至る。
宇宙の意思、永遠にして、完全円満、無限、絶対。
心の作用を超えて、無分別にして知る力を、神(真理)と云う。名前と形態が消えた世界、片手の音が聴こえる世界、父母未生以前の世界。
始めと終わりは同じ、じゃー途中も同じ。住職の言葉。
種子から樹木、そしてまた種子へ。
森羅万象を直線的に捉えることを、無知無明と云う。
循環に気付くと、全てはお遊びのように楽しめる。
私はどこかに向かって果てしなく歩いているのではない。ただ、ゆっくりと宇宙のエネルギーに従って回っているだけ。
循環に気付くことの安らぎ。
光の三原色と云われる赤、緑、青は、3つが重なるとそのそれぞれの色がなくなり、白となる。
これも、人生の色に例えてみると、喜び・悲しみ・感動を、3つ重ねてみたら、安らぎと云う白の世界が出現するのと似て、驚いた。
光の三原色が作り出す絵の具の三原色は、黄・空色(シアン)・赤紫(マゼンタ)で、これが3つ混ざると黒となる。
濁った喜び、濁った悲しみ、濁った感動が重なると真っ黒な世界を表す。
真っ白な世界も、真っ黒な世界も、人生の、喜び・悲しみ・感動の純粋さにかかっている。
グー、チョキ、パー、を「人々(大衆)」「お金」「権力」に置き換えてみた。
人々はお金に負け、お金は権力に負け、権力は人々に負ける。
心を澄ませれば、完璧な調和の中にある。
宇宙と云う完璧な調和の中にいる自分を初めて発見して、気恥ずかしいくらい 安らぐ。
昨日は、会社帰り、高校時代の風紀委員の友人と久し振りに飲んだ。
高校時代は剣道に打ち込み、今はスポーツとしてゴルフに打ち込んでいて、そのストイックに道を求める姿に驚いた。
高校時代は私は長距離、彼は剣道、共に風紀委員だった。
彼の熱っぽい語り、ストイックな生き方は、高校時代を想い出させる。
私の得意なギャグは、なかなか反応悪く解説が必要なほど。それでも数秒遅れて笑っていた。
彼の生き方、私の生き方、お互いに、興味一杯に聴き、高校時代のように、笑った。
ただ、黙々と掃除をしている人、知的に障害があり、お経も文字も読めず、説法もできなくても、釈迦の16人の弟子の一人と呼ばれた人がいたと云う。
何故そんな人が凄いのかと釈迦は問われて曰わく、「彼が一心不乱に掃除をしている姿を見ると、思わず手を合わせたくなりませんか?」と応えたと云う。
無言の説法ができる人、そんな人が、周りにもいるように想う。
そう感じることの幸せ。そう感じる時、私は仏さまに囲まれて生きているように想う。
昨日レバノン人の友人からメールに驚いた。
レバノンの内戦を逃れてアブダビに住み、工務店をやっている彼に、私がアブダビ駐在時代にオフィスの改装を依頼した縁で知り合って、毎年グリーティングカードを出していたが、そんな時期にはまだ早い昨日メールは、私にジョークを云いたかったらしい。
不図、自分が、色んな縁で、人と関わりながら生きていることを想う。
私が、自然に生きて来た人生に、通りかかった旅人との縁。東海道五十三次のような、私の人生の旅に、レバノン人の友人も登場して愛嬌。
今日も私は街道を行く。
昔、農村では、朝一番鳥が3時に鳴き、寝床で朝の到来を知り、二番鳥が鳴く4時には起床していたと云う。
そんなことを知るだけでも、気持ちが引き締まり、また日本昔話のようなメルヘンの世界に入れる。
田園風景が広がり、村はずれの道にはお地蔵さま。村の朝に、ニワトリの声。
小鳥たちも人間も、一斉に起き出す。私も。
他界した父が遺した満州脱出記を最近また読み返す。
満州では、終戦後、多くの日本人成人男性は投獄の危険から、家族と別れ、満州人に変装しながら逃げなければならなかった。
家に、妻と娘3人を残し、逃げなければならなかった父の家族との今生の別れのシーンが刻明に描かれている。長女の当時11才の姉に「お母さんの言いつけをよく聞いて、妹二人を可愛がり仲良くして、偉い人間になるのだよ、、、」
家を出た父を11才だった姉が追いかけ、人の背丈ほどもあるこうりゃんの畑で、おろおろと泣きながら、「お父さん、この野花は、私達4人と想って下さい。これがお母さん、これが私、、、」
父は、その時の野花を押し花にして一生の想い出として遺した。
そのシーンに立ち会ってくれた近所に住む当時15才だった少年が、今85才で兵庫県に住んでおられることを知った。
今度11月中旬に地元出身の同窓会で神戸に行く時、その方と初めてお会いする縁にも巡り会えた。
父が遺した満州脱出記が、今も私を、人生の感動に泣かせる。
10月31日、11月1 日と地元で神奈川大学の文化祭・神大フェスタが開催されていて、私は、両日午前中、歩いてフラリと訪れた。
快晴の秋の空の下、中庭のステージでのジャズは、心も躍った。
校舎8号館マップホールでは、沢山のフォークソング団体が一曲づつ、次から次と入れ替わり演奏していた。
最近の若者達が口ずさむ曲や、ファッション、など若者文化を肌で感じられ、大変楽しかった。
私も、大学時代の心理を想い出しながら、キャンパスを歩いた。
昨日は、温かい縁に包まれた幸せな驚きの日となった。
知的障害者雇用で有名な日本理化学工業さんの主催で川崎産業振興会館で開かれた利他のチャリティーセミナーで、大山会長を始め、他のボランティア団体の方々のオーラに圧倒された。
ホスピタルクラウンと云う、病院を訪ねて笑わせる道化師さん達の団体。73人の認定クラウンが、全国の多くの入院患者さんや子供達に笑顔を取り戻して回っている。派手な身なりだが、場の雰囲気を考えて、常に相手を主役に、無理やりは決してしないで笑わせて回っているとのこと。
自ら障害児を抱えるお母さんの立ち上げたハンドスタンプアートプロジェクト、障害児の手形、足形を集めてアートにするプロジェクトで、2020年に世界中で10万人の手形・足形を集めている。この子達が生きた証のメッセージ。
被災地に夢を与える紙芝居を作って、親子3人で紙芝居をして回っている長谷川ファミリー。紙芝居の絵を描いた長谷川いさおさんの描いた、陸前高田の一本松の絵も、紙芝居一式も、購入した。私も密かに紙芝居屋さん気分を味わう。
その他、義務教育の無いネパールの女児の教育支援、自閉症の支援団体の方々の参加もあった。
私との何かの縁がもたらした一日、温かいものに包まれた一日だった。