横浜・野毛賑わいジャズコンサート、ベニーグッドマン特集、
昨日、会社帰りに、横浜・野毛賑わい座で開催のジャズコンサートに立ち寄った。
週末の仕事帰り、ベニーグッドマンのジャズの調べに身を任せた。
私の人生には、いつもジャズが流れている。
ジャズは、人生の応援歌、いつも大丈夫のメッセージを伝えている。
昨日、会社帰りに、横浜・野毛賑わい座で開催のジャズコンサートに立ち寄った。
週末の仕事帰り、ベニーグッドマンのジャズの調べに身を任せた。
私の人生には、いつもジャズが流れている。
ジャズは、人生の応援歌、いつも大丈夫のメッセージを伝えている。
腸を整えることは人生を整えること。今月は、腸を整えることの大事さを勉強してみました。発酵食品の素晴らしさを想う。
―「腸スッキリ健康法」(PHP文庫)から抜粋-、
1, 腸スッキリ健康法の驚くべき効果、
(1) 髪や肌が綺麗になり、若々しさを保てる。腸内バランスが崩れると、肌や身体の細胞全体が活性酸素で傷つけられてしまう。
(2) 老廃物が溜りにくい、痩せやすい体質になる。
(3) 病原菌を排除し、免疫力をアップ。
(4) 花粉症・アトピーなど、アレルギーを改善。
(5) 鬱を改善し、幸せを感じ易くなる。腸内最近は、セロトニンやドーパミン(逆境など乗り越える力の元)を、脳まで送り届けるのに役立っている。
(6) ストレスに強くなる。 腸内細菌は、セロトニンの製造工場。
(7) NK細胞の活性化で、ガンを予防する。
(8) 70才になっても元気でいられる。体内の免疫システムの70%は腸にある。
(9) 忘れていたときめきが戻って来る。 ドーパミンが作られる腸内環境。
2、具体的方法、
(1) 発酵食品で、善玉菌を手っ取り早く増やす。
(2) 食物繊維や海藻で腸の掃除をする。
(3) 1日1~1.5リットルの非過熱の水を飲む。カルシウムが多いアルカリ性の自然水。(ミネラルWater は殆ど過熱処理されている)
(4) 中高年は糖質を控える。
(5) 青魚やえごま油など、オメガ3系の油を積極的に摂る。
(6) バナナ、蜂蜜などに多く含まれるオリゴ糖を摂る。
(7) 抗酸化力の強い、色とりどりの野菜を摂る。
以上
頑張る気持ちは日々のエネルギー、朝起きる時に必要。
頑張ってる間に、不図、自然の美しい光景に出会う。そしたら、頑張るのを止めてリラックスして、その美しさに浸る。
頑張る気持ちだけでは、不十分な生き方、ぎこちない、息切れがする。
頑張らない生き方だけでは、締まりが無い、人生にメリハリが無い。
頑張りつつ、かつ、頑張らない余裕、この微妙な組み合わせを体得するのに、何年も何年もかかるものだと想う。
さぁ、今日も、頑張るぞーと云いながら、ぼーとして、朝の光景を眺める。
アクセルとブレーキの点検のようなものかとも想う。
最近、父の遺した満州脱出記を読み返していて、手記に登場する近所に住んでいた人の息子さん(当時15才くらい) が、今もご健在で兵庫県に住んでらっしゃることを知った。
一昨日の昼、思いきって電話をして、初めてお話することが出来、父の手記に登場されてることを報告した。
電話口で絶句されるような驚き。
昨日、私は、その満州脱出記の数ページをコピーして当時の父の写真と共にに郵送した。
25年前に亡くなった父の、満州時代が、私の中に鮮やかに蘇る。
昨日、夜、妹から面白いギャグを私に報告する電話があった。
年寄りの合唱団のハーモネー(歯も無い)、歯漏れ音の調べなど。
私は、先週、TVの笑点で仕入れたギャグで妹を返り討ち。
若い頃は、恋に溺れ、今は風呂に溺れる。
若い頃は自分探し、今は人が私を探す。
若い頃は、暴走、今は逆走。
若い頃は、心が脆く、今は骨が脆い。
妹は、大笑い。私にギャグを仕掛けるには100年早い。
日本の季節を5日毎に表す七十二候のページを開いてみると、今は「霜降(そうこう)」とある。
露が霜に変わる頃。
木に残されていた完熟した柿や木の実には、鳥たちが大喜びで集まる季節。
そんな表現に出会うだけで、安らぐ。
旅の車窓から見る田園風景の中の朱色の柿の実の鮮やかさを想う。
このような美の世界は、常にみずみずしい無常の世界の美。
無常とは、常に新しい世界。
無常観とは、消えて行くものではなく、常に生まれているものを感じる力。
夕日と見るか、朝日と見るか、見分けはつかない。
人生に朝日を見る力。
昨日の住職の話から今朝の気づき。
一昨日、会社のある森ビルで防災訓練があり、出てみると、AED(心臓蘇生器具)の使い方体験や、火災の時の煙りで視界が遮断された時の歩き方など、体験した。
何か、とても、好奇心が刺激され楽しかった。
これも、私が目指す「小さな驚き」の生き方だと想った。
喫茶喫飯、お茶が出て来たらお茶を飲み、ご飯が出てきたらご飯を食べる。
そんな気持ちで、日々の縁を坦々と味わって生きれたらと想う。
「マンション傾斜、改ざん発見難しく、モラル頼み検査に限界」
今日の新聞の記事は、社会の苦しみを表していた。
インドの思想家・ヴィヴェーカナンダが云う言葉の凄さを想い出す。
「私は、改革を信じない、霊性(徳)の向上を信じる」
著名な大企業の不祥事も、さほど不思議なことでは無い。全ての人間が持つ業の問題。
制度をあれこれ改革しても、個々の人間が、如何に仁徳を磨くかにかかっている。
昨日は、会社の昼休み、水天宮前・ロイヤルパークホテルで開催の、アラブ・アフリカ婦人の会バザーを覗いてみた。
とても盛況で、アラブ・アフリカの沢山の物品が売られ、
音楽も、食べ物の屋台もあって賑わっていた。
ちょっとしか顔を出さなかったのに、偶然、友人知人に何人か会えた。中でも日本在住のパレスチナ人の友人にも会えて驚いた。
水天宮・人形町界隈は、江戸情緒も感じさせる街、交差点に大きな人形焼きの老舗、道には、からくり時計のモニュメント、近くに明治座もあると云う。
会社の昼休みの、小さな世界旅行と江戸情緒の旅って感じだった。
輪廻転生は、個として人間を、人生を捉えている証拠。
波から見た世界観。
大海から見れば、輪廻転生はない。
人間の五感六識(カルマ)から見れば、輪廻転生はある。
五感六識を超越した世界には、輪廻転生など無い。
輪廻転生は、二元から見ればあり、一元から見れば無い。
二元と一元を行ったり来たり、ある時は波になり、ある時は大海の凄さに憧れながら生きる。
先日の住職の話からの示唆。
禅は自力門、難行道と云われる。ひたすら坐り、エゴを消して行く道。
これでもか、これでもかと、百尺竿頭さらに一歩、と云う厳しさ。梯子の頂点の更に上へ登れと云う。
掴まった木の枝から最後の手さえ離せと叱咤激励される。
一方、他力門は、人格神(阿弥陀様、イエス様など)を心に抱いて祈りを深めて行く道。
修行の真髄、エゴを捨てて行く道には、入り口は、自分の外に人格神を描く道が一番好いと住職は云う。
ただ、他力門は、入り口は優しいが、最後にその人格神を捨てる時を乗り越える時が苦しいと云う。その時こそ、禅が、神を捨てさせてくれて、人格神が私自身と合一する。波が大海であったと気づかせてくれる。
他力と自力は、対立するものではなかった気づき。親鸞上人と道元禅師が微笑み合う。
変化するものは無我。無我は、何も無い状態ではない。
万物は変化する。生じても滅する。滅しても生じる。
縁起の故に無我なり、と云うより、円満(無我)の世界から相対(万物の縁起の関わり)を見る。昨日の住職の言葉。
無我は、全てを包み込む、心も身体も帰る家。
昨日、会社に20代後半の若い商社マンが私を訪ねて来て初めて面談をした。
大学時代はラグビーをやっていたと云う若手商社マンとの会話は、楽しく盛り上がった。
そして、昨晩は、かつて仕事で関係のあった商社マンの後輩2人が、昔の私(多分ギャグなども)を懐かしがって、会食に誘ってくれた楽しい日でもあった。
店も商社を辞めてレストランを開いた後輩の素敵な店で、
感慨無量のシーンだった。仕事の話は、すっかり飛んで、お互いにまさに人生談義。
色々な世代の人と、縁を楽しみながら語らう、昨日はそんな日に感動した。
人は驚きの宝庫、旅で見る大自然のように、沢山の学びの刺激を与えてくれる。
解脱された方々の話しに、私は共通するものを感じる。
それは、不幸と思って忌み嫌っていたことにも、素晴らしい恵みがあったことへの気づきだと想う。
そして全てが私であると云う縁に気づき、全ての存在、事象を愛おしく感じた時、それが解脱の安らぎだと想う。
妙好人と云われた人の話しも、お釈迦様も、ダンマ(法、真理)に抱かれて安らいでいる。
苦しみと祈りと作務の果てに訪れる境地と云う。
世界や社会、ビジネスでは、激動していると感じる。
一方、大自然も激動しているのだろうが、何故か、静かに安らいでいるようにも見える。
実は、ミクロの目で見れば激動しているように見え、
マクロの目で見れば、全てが調和を目指す作用・反作用の現象で、時に安らいで見えるのだろうと想う。
両面を同時に見る力の素晴らしさを想う。
遠くと近くを同時に見る力、住職から聴く素晴らしい境地のことを想う。
昨日は、海外出張の後の久しぶりの会社だった。
出張中にたまった沢山のメールを一読して、テキパキと、電話やメール返信、業務処理。調整業務や新たな調査業務着手など。多少手こずっても、それは人生経験。
まるで、野球のピンチの時に現れたリリーフ投手のように、ビシッと救援。涼しい顔をしてベンチに帰るように、やるべきことは的確に済ませて、定時にさっそうと退社。
自分の中では、「よっー、成駒屋」とか歌舞伎の掛け声がかかるような爽快さだった。
だらけず、張りつめず、人生のメリハリ。
今朝、家のベランダから朝日を浴びたベイブリッジを眺めた、遠くに横浜港の汽笛が聞こえる。生きている今を想った。
そして、朝の始まりに、般若心経を唱えてみた。
素直に運命を受け入れる生き方を想う。幸せも不幸も丸ごと素直に、「ハイ」と受け入れる生き方を想う。
そうすれば、私が、見ている情景の中に溶け込んで行く。
全ての展開は縁。よって無我の安らぎ。
5年日記を見て、去年の今頃をパラパラとめくってみる。
夏、2回北海道に旅した。稚内・利尻礼文、そして知床・根室の旅。秋、浜名湖のサイクリング。
遠い昔に感じる。旅と人は、やはり驚きの宝庫、人生は、あっという間に終わらない生き方ができるようになれて、感慨無量。
旅と人に小さな驚きを感じ、旅と人の想い出が刻まれて、素晴らしい人生の時が刻まれて行く。旅と人に、沢山の気づきと学びがある。旅と人も、心地よい修行のようにも想える。
今日は、一週間振りに、自宅から早朝、横浜の街の灯りを見た。
不図、人生の展開の神秘を想う。思ったように生きているつもりで、何か大きな力に支配されているようにも想う。
楽譜の無いアトリブのジャズのように奏でる人生のメロディー。
それでも、いづれは調和して、人生の壮大なシンフォニーとなる。
雨の日の横浜の朝、今日は、横浜ジャズフェスティバル。
昨日の夜、空港に向かう前、やっと時間をつくり、シンガポール在住のミャンマー人の友人とホテルのバーで久しぶりに談笑した。
香港の大学を出て、欧米の石油メジャーを経て、現在もガスの先物トレーダーをして活躍している彼とは、長い間の付き合いで、今回、何とかお互いに会えて好かった。
仕事で知り合って、彼が来日した時は、箱根を始め、色々な観光地を案内して、一緒に旅した。
彼は最近、豪州のブリスベンに家を買い、数年後には、豪州に住むのと近況を話してくれた。
ミャンマーの挨拶言葉、ミングラバー(こんにちは)と最近覚えた言葉も彼に試して楽しかった。
ミャンマーと豪州ブリスベン、共に、私の縁のある場所となった。
そして、また、今日から横浜。
今回のシンガポール出張で、やり手の石油製品トレーダー達にも何人か会うことができ、仕事で真剣勝負してある空気を十分に感じることができた。
完全に利害損得の、二元的な価値観に覆われた、無我夢中のエネルギーに、人生が翻弄されているようにも想えた。
今夜、深夜の便でシンガポールを立ち、帰国の途につく。
働き盛りのビジネスマン達のシンガポールの情景が、生き生きと頼もしく、また同時に名利に人生が翻弄されて見え、そしてまた、愛おしく私の心に残った。
深夜のシンガポールの空港のロビーで、寝酒のワインを飲んで、また明日から私の、私らしい人生に戻る。
ホテルの部屋でBBC.やCNN を見たり、ホテルでローカル紙を読みながら朝食・珈琲を、と云う光景の中に、まだ自分が身を置けることの幸せを感じる。
自分が一番、海外を駆け巡って仕事していた頃。
今は、その仕事の内容より、その雰囲気を楽しんでいる。
時間は進んでいたり、止まっていたり、そんな私を、眺めているもう一人の私。
人生の旅を、他人ごとのように、眺めている私。当事者としても、観察者としても、どちらでも、人生は愛おしいと想う。シンガポール、2015年秋、St.Regis.Hotel.にて、
昨日、シンガポールでの仕事の合間に、娘から頼まれた化粧品を探してみた。
娘から送られて来たメールの化粧品の写真をコピーして、リキッドファンデーションの20番と云うらしい。
デパートで、写真を見せて聞いたら、あったが、20番がなく21番ならあるとのことであった。その時は買うのを待って、娘にメールしたら、21番なら要らないとのことで、確かめて好かった。
ただそんな、娘とのメールのやり取りが楽しかった。
他の店で20番を探してみようと想う。これも、旅の想い出。シンガポール2015年の秋。
私は、不図想う。
シンガポールの一流ホテルに泊まり、生々しい石油製品の価格交渉にアラブ側として加わる自分の運命の展開を、不思議に想う。
普段は、安い居酒屋で飲み、安いビジネスホテルに泊まり旅をする。
お茶が出て来たらお茶を飲み、飯が出て来たら飯を戴く。喫茶喫茶飯。禅の言葉。
人生の展開を、ただ自然現象のように受け入れる生き方。
気負いも、あきらめも無い。坦々と味わう。
晴れて好し、曇りても好し、富士の山。
シンガポールへはこれまで何度、出張したことか、慣れ親しんだ街なのに、今までと違って見えた。
今回も仕事が主であることには違いないが、仕事のことへの関心より、人生の旅のような、何か愛おしい味わいがある。
何か、ビジネスなんか薄っぺらなものでなく、深い、人間の内面への関心がわきあがってきた。今まで出会った色々な人の人生を通して、人間とは、存在とは、何と愛おしいものかと想う。
世界が違って見え、自分が生きている世界が、自分の人生を超えて美しく存在しているように見える。
私の想いで出を超えて、シンガポールは、私の眼前にある。
空港のラウンジで、静かに想うことは、人生の俯瞰。
離着陸する飛行機のように、飛び立ったり、帰還したり。
毎日、色々な旅に出て、また毎日、その小さな旅から帰って来る。
毎日が新鮮な旅。様々な気象条件の中、心と身体と云う機体を整備して、毎日、飛び立つ。
私が毎日見ている世界は、かけがえのない世界一周の旅の一部。人生と云う世界を、一周する旅。
そして、どんなに遠くへ行っても、それはお釈迦様の手の平の中。
明日から、シンガポールへ約1週間の出張。
娘から頼まれた、化粧品の土産の写真コピーも忘れないように持って行く。
娘が小さい頃、娘に、私が行く海外出張先の滞在ホテルにファクシミリを入れてくれると、お土産や小遣いを増やすとか、インセンティブを与えて、娘からのファクシミリを楽しみにしていた。
今は、Eメールもあるし、メールすれば好いが、あの頃の娘からのファクシミリの嬉しかったこと。
アラブへ赴任する時、幼児の娘と家族3人で途中、シンガポールに立ち寄り、泊まったパンパシフィックホテル。
色々な想い出に浸れるシンガポール、そして今の私が、眺めるシンガポール。
出張中でも、感慨深い一人旅のような時間を味わいたいと想う。
昨日は、爆弾低気圧と云う嵐の夜だった。
雨戸を閉めていなかったくらい、予期せぬ大雨と強風の夜に驚いた。
色々な気象は、子供時代から体験して来て、ただ畏敬の念を持って見る。
嵐の時、家の中でジッとしているのも楽しかった。嵐の後の裏山を歩くと赤い粘土の土が剥き出しに見え、ちょろちょろと水が流れていたり、好奇心いっぱいで眺めた。
どんな気象でも、それは好き嫌いを超えて、余りにも圧倒的で、荘厳にも見え、畏敬の念が湧いてくる。
人生で遭遇する嵐も同じだと想う。ただ、自分の人生も、大きな大自然の中で起きている現象。私の人生も、好奇心いっぱいに観察してみると、案外愛しくもなるものだと想う。
人間の身体が作る安らぎの物質がオキシトシンと云う。
身体のシステムは、活動とストレス(闘争か逃亡)と、休息と回復(安らぎ)のバランスが大事だと、書かれていた。
支配、独立、競争、痛み、課題など、ストレスは、オキシトシンによってバランスがとられる。
オキシトシンによって、不安が減り、大胆さと好奇心が増し、痛みが減少すると云う。
オキシトシン、朝は、いつもオキシトシンが私を救ってくれていると想う。