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September 30, 2015

膝の痛みが良くなる食べ物、

今月は、膝の痛みを改善する食材について調べてみた。自然界と人間の身体の関わりに驚く。神秘的な関わり。

―「ひざの痛みがよくなる100のコツ」(主婦の友社)-、

1、生姜の血管拡張作用と、消炎作用で、関節の痛みを軽減、

2、傷ついた軟骨を「グルコサミン」で修復、「グルコサミン」は、エビ・カニの甲殻類の殻に含まれる成分、変形性膝関節症は、「グルコサミン」不足が原因、

3、関節の痛みを引き起こすアラキドン酸の生成を抑制する「EPA」(青背の魚)、

4、関節の痛みを和らげ、免疫機能を正常化させる「キャッツクロウ(天然ハーブ)」
「キャッツクロウ」は、南米ペルー原産、インカ帝国時代から、膝痛、腰痛の治療に使用、

5、コラーゲン、カルシウムの吸収率アップする、食べあわせ、
①コラーゲン: ビタミンC と一緒に摂る、スープや煮こごりにして摂る、
②カルシウム: ビタミンD(干し椎茸、イワシ、シラスなど)と一緒に摂る、
マグネシュウムは、カルシウムの骨からの流出を抑制、2対1(マグネシウム)の比率で摂る、 酢や柑橘類と一緒に摂ると、吸収率高まる、

6、アシタバ(伊豆大島のアシタバ)と、深層海塩のミネラルが含まれた「緑の塩」は、関節炎の特効薬、

7、痛みを取る成分が豊富な「柚子」は、食べる薬、

8、「干し椎茸酒」は、膝痛を緩和し、安眠をもたらす、

9、鎮痛、沈静作用の「蜂蜜生姜酒」、

10、関節リウマチの痛みを軽減する「米ぬかアラビノキシラン誘導体」、

11、骨密度を上げる「ワカメ ヨーグルト」で、膝痛を予防、
以上

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September 29, 2015

豪州・ダーウィンの海、散骨の願い

今朝の新聞で見た、豪州・ダーウィンの海に散骨の願いを叶えて貰った女性のエピソードに私は、感動で心がふるえた。

2004年に84才で亡くなった河原美代子さんは、元海軍パイロットの夫、真治さん(当時24才)が戦死した、ダーウィンの海に散骨を希望していたと云う。

8月8日、豪州海軍が協力して、散骨が実現、海に花を投げ入れる娘さん達遺族の写真が掲載されていた。

人の出逢いが、その後、どれだけ、人を支え続けて来たことかと想う。

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September 28, 2015

船のオアシス、ナビオス横浜、同郷の集い、

昨日は、私が幹事の九州同郷の有志15人くらいの集いをみなとみらいナビオス横浜でやった。

ナビオスとは、船を表すポルトガル語ナビオと英語のオアシスを組み合わせた造語で、横浜らしい、船乗りの集う場所であった。

人生も航海、人はみな船乗り、星を見ながら海を行く。

年に一度、それぞれの航海を振り返り、横浜で船を休める。

真剣に生きて来た人生。これからも。

横浜港の汽笛を聴きながら。

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September 27, 2015

映画「徘徊」、そしてアランフェス協奏曲

昨日、横浜で映画「徘徊」を見た。84才のママリンを看る娘さんとのドキュメンタリー、

愛する人と言葉が通じない悲しみを、どんなにつらかろうと思いながら見た。愛する人からの罵声を受ける時の悲しみの辛さを想った。

夜は、スペインの国民的ギタリスト・カニサレスさんのコンサートを聴きに錦糸町トリフォニーホールに出掛けた。

新日本フィルとの共演、アランフェス協奏曲の調べに、ジーンとして、広大な大地を旅するような人生を想った。そしてフラメンコには、哀しみから立ち上がるエネルギーも。

哀愁の調べが響き渡る中、生きている今を確かめるような一日だった。

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September 26, 2015

田んぼ道に地蔵様の風景、

先日見た大衆演劇の風雪流れ旅の中で、田舎の田んぼ道にお地蔵様の風景のセットがあった。

ただ、その風景に、私は、見とれてしまった。

何故か、母と再会しているような安らぎがあった。

母子連れだって、そんな田んぼ道を歩いているような気がした。

無言のうちにも、風景は、語りかけて来ることもある。

そんな風景に出会うのを楽しみに、私は今日も生きる。


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September 25, 2015

浄土門、禅門、方便、

昨日、会社帰りに、田町の仏教伝道協会に、英語で仏教を学ぶ会に初めて行ってみた。

ニュージーランド出身の男性の仏教研究者(親鸞仏教センター研究員)から、昨日は鈴木大雪の、十牛図の英語訳を学んだ。

鈴木大雪は、浄土門の慈悲と、禅門の智恵は、仏教思想の土台で、それは一体のものであるが、分かれて見えると
解説していることを知った。

よく住職から聴く法話と繋がって感じた。

浄土門(他力門)は母の優しさ、禅門(自力門)は父の厳しさ。

禅門で厳しく修行しても、最後の段階で、なかなかエゴが捨てられない時、浄土門(祈り)の道が、さらりと、導いてくれる。

浄土門で、熱く信仰して修行しても、最後の段階で神を捨てられない。その時、禅門がさらりと神を捨てさせてくれる。

道元禅師と親鸞上人の出会いを想う。

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September 24, 2015

横浜・三好演芸場、大衆演劇と商店街、

最近、大衆演劇に魅力を感じ、東十条・篠原劇場、浅草・木馬館、横浜阪東橋・三好演芸場に、全て行ってみた。(値段も1600円~2200円程度とやはり庶民的。)

着物を着た若者達が演じる踊りや劇は、何か日本人のDNAが刺激される。

昨日の三好演芸場の昼の部の劇は、風雪流れ旅であった。番場の忠太郎のような母子の再会の場面に涙した。江戸の庶民もこうして涙していたんだろうと思った。

大衆演劇のそばには、いつも庶民的な商店街がある。三好演芸場そばには、よこはまばし商店街、おはぎや、らくがんなども、天ぷらや、惣菜が並んで、なんか温かい人情の香りに安らぐ。

私は、遠い昔にも、今にも、心を自在に飛び回らせて生きる。日々の感動を心の中の両親に報告しながら。

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September 23, 2015

戦場体験証言集会、日比谷公会堂、

20日、日比谷公会堂で、戦争体験を聴く会が開かれ、90才代の、約20名の戦争体験者が、戦争の生々しい体験を語ってくれた。

始まりと同時に、初めて直接聴く生々しいモールス信号の音に、当時を生きた人達の過酷な運命の情景が浮かんで来るようであった。

「これが語らずに死ねるか」、これが、生存者達の、残された後輩達への、万感の想いの、最後の交信のようでもあった。

証言の一つ一つの小さな点が集まって、遠くから見れば、一つの絵の表現になる。それぞれの人の体験を聴くことで、まるでそんな絵が浮かび上がる。

広大なアジア全域を地獄絵に変えた日本の戦争のカルマを想った。

私も、両親から、辛かった戦争体験を、優しく聴き、癒やしの助けになっていれば良かったと口惜しく想った。

戦争体験の地獄絵は、私の中に、はっきりと疑似体験され、これからの私の人生を導く。


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September 22, 2015

そのままを愛する力、無限の愛、

無限の愛は、永遠の安らぎ。

無限の愛は、取引をしない、恐れを知らない、競争者を知らない。

ただ、ありのままで、それでよい。理想など無い。例えカーリー神であっても母のように慕える力。

何があっても、全てに打ち勝つ力、それは、修行のように育まれると云う。

無限の愛を持つ時、エゴは放棄される。エゴの放棄は、愛から生まれる。

真理の優しさに包まれる。

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September 21, 2015

水上人形劇、横浜でヴェトナム祭り

先日(19日)、初めて。ヴェトナムの水上人形劇を、横浜で開催ののヴェトナム祭りで見た。

約1000年前、ヴェトナムの農村で生まれた伝統芸能。

湿地帯に広がる、水牛と農民の光景、悠久の安らぎだった。

竜が口から火を吹きながら、湿地帯を泳ぎ廻るシーンは、私の故郷・大牟田市の大蛇山祭りを想い出させた。

ヴェトナム戦争を経て、横浜の空の下で、ヴェトナムの人達が、祭りに舞って、私の心も歓びに舞った。

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September 20, 2015

全ては愛の表れ、

人の行動は、全て愛である。

自分を先とするのが「悪」であり、他を先とするのが「善」である。

他を先とする人を人格者と云う。高い愛である。

人の行動は、一律に愛の表れである。

昨日の住職の言葉。

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September 19, 2015

語られない余韻、徘徊の句、人生の歌、

先日、たまたま見たNHK俳句番組で聴いた句が、ずぅーっと心に余韻を残す。

題は、徘徊と云う人生の重たい課題、「徘徊の 父の手にあり 曼珠沙華」。

鮮やかな赤い花、あの世の花とも云われる。

父を見守る人の万感の想い。哀しみ、諦め、不思議さ、際立つ赤の美しさ、人生の美しさ、人生への愛おしさなどが、脳裏を駆け巡る。

そこには、語られない余韻がある。人生には、語り切れない想いがある。

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September 18, 2015

水は天から貰い水♪、五木の子守歌、

最近、哀愁のある五木の子守歌や船頭小唄(枯れすすきの歌)が何故か、口ずさみたくなった。

何とも云えない味わいがある。

不幸を日常のこととして受け入れて、あがくのを止めて、穏やかに、その境涯を歌っているのだ。

生きる苦しみは、誰しもある。人は、個として母から切り離された時から生きる苦しみを持っている。自他が切り離されている感覚が、生老病死の生きる苦しみである。

生きる苦しみに於いて人は誰しも繋がっている。

五木の子守歌や、船頭小唄には、暗い絶望のような調べの中に、人との繋がりの温かさ、優しさがあるのだ。

そして、雨に対しても、「水は天から貰い水♪」と、神への無限の感謝を暗示している。これが、私が不図、口ずさみたくなる所以だと想う。

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September 17, 2015

大学生と83才の人のオーラ

一昨日は、会社帰り、ヒッポ語学クラブの例会で大学1年生の男の子が、禅や仏教哲学の話にも興味を示し私との話で大変盛り上がった。

私はいつしか、自他一如や無功徳常精進、群盲策象、山岡鉄舟などの話にまで及んでいた。彼も負けじと、自分の世界観を語ってくれた。お互いに通じるものがあり、私は、大学1年生の若者との真剣な語らいが嬉しかった。

次の日の昨日は、会社帰りのミキ健康セミナーで、83才のパワフルで綺麗な、美人美容師・立川ひろこさんのスピーチに圧倒された。赤い素敵な服に薄い紫のサングラスで、ステージ狭しと動きながら、健康談義は、笑いとパワーで、凄いオーラだった。

連日、フラリと訪れた会合で、大学生と83才の人に、清々しい強烈なオーラを感じたことも、私の縁だったのかなー。やはり人生は素晴らしいと想う。

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September 16, 2015

国定忠治の最期、

江戸時代の侠客・国定忠治は、今でも大衆演劇で必ず演じられるほどの大人気の人物である。

彼が関所破りの罪で、礫(張り付け)の刑で、槍で突かれる前に言ったと云う言葉を調べて、彼が最終的に到達した高い精神の境涯に胸を打たれた。

「手前儀、悪党を致しまして、国の見せしめになって御成敗と決まりありがとうござんす。お陰で小伝馬町牢内でも、身持ち大切にできやして、かように天下の御法に叶うことに相成り、天にも上るような喜びにござんす。」と云って目を閉じたと云う。

一槍突いては、引き抜くごとに、かっと目を見開き、1500人の見物人を見渡した。また目を閉じ、12回まで繰り返し、13度目で死んだと記録は伝える。

弱い人を助け、強い人をくじいたと云う、国定忠治の最期の場面を初めて知った。

世は天保の大飢饉の暗い時代に、真剣に生きた男の清々しい風であった。


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September 15, 2015

金魚鉢、正岡子規の歌が浮かぶ朝

今朝は、病床の正岡子規の歌の情景をふと想い出す。

机の上の金魚鉢を病床から眺めながら、「痛いのは、痛いが、金魚は綺麗だ、」。

人生の苦しみに喘ぎながら、それでも人生は美しいと云う。

人は、切り離されているが故に、生きる苦しみがある。それでも、母に生んでくれてありがとうと想う。

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September 14, 2015

丸ごと受け入れてこそ輝く、異文化交流、

昨日、神田の一ツ橋ホールで行われたヒッポ語学クラブの高校生・大学生達のスピーチコンテストを聴き、若者達のみずみずしい体験に、感動した。

環境と人と自分が、作用しあって人は変化・向上して行くと語ってくれた子もいた。

例えば隣の家に泊まりに行くのも、外国に行くのも、丸ごとその異文化を受け入れて、自分も生き生きと輝くと、感想を述べていたことには、深い真理を感じた。

丸ごと包み込んだ時の安らぎは、宇宙の安らぎ、神の安らぎ。

私も宇宙に包み込まれて、私も宇宙を包み込む。

若者達がキラキラと輝いていた。


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September 13, 2015

全ては神からのプレゼント、

結果は必要なもの、神からのプレゼント、受け入れるべきもの。

昨日の住職の法話の中で、私が撮ったスナップ写真のような言葉。

全てを神に委ねて行く道。

人生は、仏を証しもて行く道。


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September 12, 2015

二胡の調べ、シルクロード、

昨日、会社帰り、仏教音楽祭と云う催しに初めて立ち寄り、二胡の調べでシルクロードと云う曲を聴き、感動した。

メロディーは、よくTVで聴き、慣れ親しんだ調べ。

スクリーンに、西アジアの砂漠、駱駝、シルクロードの山河、村々、の映像もあり、悠久の歴史を感じながら、私は、ぼんやりと、シルクロードの大自然の中にいた。

昔、中東駐在時代、イランの山河を旅した情景も蘇って、私も、歴史の中にいる人々の中のひとりと感じた。

イラン、中国、そして奈良、シルクロードの悠久の旅を想う。

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September 11, 2015

累積降雨量の恐怖、

数年前、都の防災センターで、あるシミュレーションを見た時、私は、身近な大災害の可能性に戦慄がはしった。

台風後の大雨が、埼玉・秩父地方に、3日間で550ミリの総雨量を超えた時、荒川の水位がみるみる上昇。深夜東京に洪水警報が出されたが、台風通過後で誰も避難しようとしない。

そこに荒川が決壊、濁流が荒川区、板橋区に流れ込み、11分後、地下鉄へ流れ込み、4時間後に日比谷線入谷駅、8時間後に丸の内にも 濁流が流れ込む。

今回、9月7日(月)からの3日連日の大雨で栃木・茨城は既に500ミリの累積降雨量があり、昨日更に300~400ミリが降り注いだのだから、大水害になることは予想された。

台風が去っても、雨が止んでも山から流れてくる水が、また怖いのである。

自然の怖さは、身近にあることを思う。

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September 10, 2015

台風の示唆、

台風の時は、日常の時と違い、日頃の活動が鈍り、ジッと台風の過ぎるのを待つ。

日頃忘れていた、自然の圧倒的な営みに、ハッと気づかされる。

人生にも、自然災害のような悲劇もある。振り出しに戻るような、破壊もある。

台風の去った跡、また新たな日々が始まる。

破壊と誕生、吸う息・吐く息のように、大自然の息づかい。

私も、大自然の中で生きる小さな蟻ん子。

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September 09, 2015

出光音楽祭、情熱、

昨日、東京オペラシティ(新宿・初台)で開催の出光音楽祭に初めて行ってみた。

今年の表彰は、ヴァイオリンの周防亮介さん、三味線の本條秀慈郎さん、バンドネオンの三浦一馬さん、と云う若手音楽家達であった。

バンドネオンと云う楽器は、アコーディオンみたいな楽器で、パイプオルガンのよいな音がでるドイツ生まれの楽器だった。

三浦一馬さん(25才)は、幼い頃からバンドネオンの音色に魅せられ、約10年前、16才の時、たまたま九州・別府で開催の音楽祭に来日したバンドネオンの巨匠アルゼンチンのマルコーニさんに逢いに行き、夜11時頃、寿司屋でくつろいでいるマルコーニさんの情報を得て、初めて会見が実現、バンドネオンの教えを乞うたと云う。その熱意に打たれて、彼のアルゼンチンでの音楽修行が実現、25才の若さでバンドネオンの素晴らしい奏者になっていた。

たまたま、仕事の関係で知った出光音楽祭は、若手音楽家達の、清々しい情熱が漂う音楽祭だった。情熱の素晴らしさを想う。

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September 08, 2015

幸せの原点、感謝の原点、

不幸や、貧乏から見れば、幸せは、分かりやすく、単純だった。

ちょっと恵まれて来ると、幸せとは、分かりにくく、複雑になって行く。

不幸や貧乏は、幸せや感謝の原点を際立たせてくれる。

不幸や貧乏は、幸せの最大の引き立て役。

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September 07, 2015

仏陀を拝むな、仏陀は発見者に過ぎない、

仏陀は、法(ダンマ・真理)を悟った。

法(ダンマ)は、仏陀が悟る前からあった。

仏陀は法(ダンマ)の発見者に過ぎない。

仏陀は、「私ではなく、法(ダンマ)を灯火としなさい」と、云った。

法灯明、自灯明。

己の中に、法(ダンマ)を見いだしなさいと、仏陀は励ましている。

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September 06, 2015

仏を証明して行く道、

衆生本来、仏なり、と云われても、カルマ(業)の固まりである自分が、仏とは、なかなか信じられない人が多い。

そんな人達のために、道元禅師は、「仏を証し、もて行く」と表現されたと云う。

人生とは、日々、仏を証明して行く道。

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September 05, 2015

天気に対してはケンカにならない、

天気には、どんな不満でも、ケンカにならない。誰しも、しょうがないと受け入れてしまう。

これには、素晴らしい示唆が含まれている。

いろんな出来事も、天気や自然現象と思えば、不満や怒りに苛まれることはない。

「天気が相手じゃケンカにならない。」

人生の、何と云う、安らぎの言葉かと想う。

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September 04, 2015

こうあるべきでは人生の鑑賞は不能

こうあるべき、普通はこうだ、と云う自分にとっての常識が打ち砕かれた時、人は怒りに支配される。

こうあるべきと想った時、全ては評価の対象となり、ギスギスして来る。人生を鑑賞する余裕を失う。

自分の五官六識を通じて見て来た目に捕らわれていては、人生を鑑賞する余裕はない。

こうあるべきと思う心は、観察する心を曇らせる。

ただ、全ては、あるべきようにある。私の五官六識をこえて。

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September 03, 2015

蜜柑の缶詰

蜜柑の缶詰は、昔、私が子供時代、病気の時に、よく、買って貰った食べ物。蜜柑の缶詰と云うだけで、今でも、特別な想いが蘇る。

私が病気の時の、母の優しかつたこと、ずうつーと、病気でいたかつたぐらい。

母の背中に、背負われていた感覚さえも想いだす。

蜜柑の缶詰の想い出。

今でも、売っているのだろうか。

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September 02, 2015

幼児時代、仲良しとの時間、

先日、しんちゃんの自転車と云う萩原浩作氏の短編小説の朗読を聴いた時、8才の男の子、しんちゃんが、同じ年の仲良しの女の子と、よく遊んだ様子が、たまらなく愛おしく想った。

「あそぼー」と云って、仲良しの家に、誘いに行く様子がたまらなく、私も、仲良しの光ちゃんの家に、「光ちゃんあそぼい 」と云って誘いに行っていた。光ちゃんも「ひろちゃんあそぼい」と、誘いに来ていた。

遊びは、一緒に泥饅頭づくり、ぶつけて固さを競ったり。

先日、2才下の妹と姉の墓参りに行った時、久し振りの2人っきりの静かな時間に、2人仲良し兄弟だった幼児時代を想い出した。

何げない幼児時代の楽しかった時間が、「○○ちゃん遊ぼー」と云う言葉で鮮やかに蘇る。

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September 01, 2015

会社生活の症状、価値観の偏りと麻痺、

学校で少しいい子ぶると、級長、生徒会長など、目立つことが待っている。

会社も同じ、生徒会長や級長のように振る舞うと、偉くなって益々、仕事にドップリと浸かって世間とかけ離れて行く。社会とかけ離れた単なる組織人間となっている人も多い。

ロボットの集団のロボットの親分、肥大化したロボットに過ぎない。

日経新聞に出てくる経営者達の多くは、発言を聴いていると、そんな落胆が多い。幼稚さ、偏りは、平社員と大差ないと思ってしまう。

その組織内しか通じないような、勘違い的な自信過剰は、真理を求めて修行する道とは、対局にあるような憐れを感じてしまう。それは表面的な成功がもたらす被害者なのかも知れない。

余りにも、機械的なことに捕らわれて、人生の大切な時間が過ぎて行く。

会社ドップリでは、決して分かり得ない境地がある。

そこに、永遠なる安らぎと自由がある。人生はそのことに気付くためにあるのではないか。

世間で云う偉い人は偉くなく、平凡に見える人の中に真に偉い人はいると想う。


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