"観察者"であったり、"当事者"(参加者)であったり、
"観察者"は、人ごとのように色んなことを、評論、評価を下させる。
"当事者"(参加者)の場合は、全てが自分のことだから、一刀両断には、善悪とかつけられない。
人生は、観察者として生きることが多いから、腹がたったり、悔しかったり、 哀しかったり、嬉しかったりもする。
怒ったり怒られたりしている当事者として生きる時は、哀しかったり、嬉しかったりするが、双方の当事者になれば、腹が立ったり、怒りに狂うことはない。
そして、全ての当事者としての自分を、観察する時は、もはや、観察者と当事者が一体となって、神(宇宙)そのものの安らぎだと想う。
人生は、観察者の部分を減らして、当事者の部分を増やすことが成熟であり、安らぎであると想う。
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