寂か焦燥か?、寂の境地の荘厳さを想う、
昨日は、住職から、修行の道のりの話を聴き、世間の名利から距離を保つ大事さを思った。
断片的な気づきから、歓喜する段階は、魔境に陥りやすい。
世間で大成功をしたと云われる人を目指す虚しさを想う。
名利には、安らぎも、まして真理など到達しようもない。
「妄」消えれば、「寂」現れ、「寂」生ずれば、「智」現れ、「智」生ずれば、「真」現る。
年を重ねて、妄想が消えて、無常を知り、「寂」の静けさに入る。「寂」の境地に入らずして、焦燥に駆られるのは、辛いこと。まだ、目の前に吊り下げられたニンジンを追う馬のように。
「観無常、無名利」、住職が出家された時に、師から贈られた、坐禅の時に使う警策(板)に書かれていた言葉であったと云う。
Comments