夢・目標の中味、
インドの哲学者・スワミ・ヴィヴェーカナンダ師の言葉、「私は改革を信じない。 霊性(仁徳)の向上を信じる」、 私は、これが人々に、また社会に強烈な示唆・指針を与えてくれる哲理だと想う。
人は、どんな物質的な目標、目に見えるものに目標を立てて、邁進しても、いずれその虚しさ(誤り、幻影)に気づく。目標としたものには、例え実現したとしても、安らぎはないのだ。
どんなに制度や仕組みを変えて、金を使っても、どんな物を得ても、どんなに努力しても、発心(誓願)正からざれば、どんな修行をしても虚しいのだ。
発心は霊性の向上、仏性・神・(宇宙意思・自他一如)へ近づく覚悟でなくてはならない。 もしエゴのためならば、どんな努力も、宇宙の理に反して、いずれ寂しく挫折する。こんな筈じゃなかったと、ちょっと年を重ねれば気づくこと。
エゴの虚しさに気づかせるのが、真の教え、哲理だと想う。
事業で莫大な天文学的財産を築き、未だに社会を変えたい、変えたいと渇望したように叫ぶ、世間で成功したと云われる起業家達は、制度(外の器)を変えることに気をとられ過ぎる大きな誤りに未だに気づかないのかと、その不器用さに、私は憐れに想う。
目標や夢をもつこと自体が大事ではない。その中味が仏性(宇宙意思)を目指しているのか否かが問題なのだ。 社会を変えるのが大事なのじゃない、仏性の実現を目指してどう変えるのかが大事なのだ。
決して物質的な形に解決は無い。 霊性(仁徳)の向上こそが、人生や社会が目指すべき指針、羅針盤なのだと想う。
私は、大勢の人達が、人生で、余りにも、遠回りに歩いて行くのを、大変もどかしく感じる。
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