蝉の読経を聴きながら、
今朝、清々しい夏の日の朝、蝉の声を聴きながら、ふと想った。
淡々と、力まずに、味わって生きることの素晴らしさを。
何かを、必死で求める生き方の不自然さを。夢に向かって必死になる生き方の微妙な息苦しさを感じた。
他人にとっては、私が平凡や不幸に見えても、私にとっては、今の素晴らしさは、今で完結していて、そこから、どこへも行く必要も無い。
今の素晴らしさ。完結している。過去にも未来にも関わらない、前後裁断されている今の素晴らしさは、何か夢や目標を持ったら興ざめである。今の素晴らしさは、気が散ったら色あせて見えなくなってしまう。
早朝から鳴く蝉の声を、読経のように聴きながら、盛夏の頃、2015年の夏。
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