昨日は、余りにも綺麗な月、
昨日は、会社帰りの道、夜空に、余りにも綺麗な月に立ち止まって眺めた。
こんなに、月に見とれる時が、人生に何度あっただろうか?と想った。
人生のそれぞれの時の境地を想った。それぞれの時の私と云う印象・気分を想い出しながら。
力をも入れず、心をも費やさず、ただ、自分を仏性(宇宙の意思)に投げ出すように、生きて行きたいものだと思う。
余りにも綺麗な月に、私が薄れるような安らぎがあった。
昨日は、会社帰りの道、夜空に、余りにも綺麗な月に立ち止まって眺めた。
こんなに、月に見とれる時が、人生に何度あっただろうか?と想った。
人生のそれぞれの時の境地を想った。それぞれの時の私と云う印象・気分を想い出しながら。
力をも入れず、心をも費やさず、ただ、自分を仏性(宇宙の意思)に投げ出すように、生きて行きたいものだと思う。
余りにも綺麗な月に、私が薄れるような安らぎがあった。
今朝、清々しい夏の日の朝、蝉の声を聴きながら、ふと想った。
淡々と、力まずに、味わって生きることの素晴らしさを。
何かを、必死で求める生き方の不自然さを。夢に向かって必死になる生き方の微妙な息苦しさを感じた。
他人にとっては、私が平凡や不幸に見えても、私にとっては、今の素晴らしさは、今で完結していて、そこから、どこへも行く必要も無い。
今の素晴らしさ。完結している。過去にも未来にも関わらない、前後裁断されている今の素晴らしさは、何か夢や目標を持ったら興ざめである。今の素晴らしさは、気が散ったら色あせて見えなくなってしまう。
早朝から鳴く蝉の声を、読経のように聴きながら、盛夏の頃、2015年の夏。
先日、聴いた健康講演会で、大変、好い気付きがあった。
人間の細胞は、赤ちゃんの時3兆個で生まれ、60兆個に成長するが、例えば、1個の細胞は、いくらくらいと考えますか?と、講師が云った時、その大きな気付きに出会った。
例えば、細胞1個が1円として、60兆円。
その人が、稼いでも、稼がなくても、ただ生きていれば、多少年収が違っても(低所得とか高級とか云っても)、大した差じゃない。 60兆円とは、 もう、何事も、どうでも好いくらいの、莫大な金額なのだ。
まったく、唖然とする想い。細胞1個が1円として、人間一人が、60兆円か。
ただ、うーっと、驚く。
お笑い芸人の志村けんさんの、あるファンのおじさんが、ホスピスで、息子に、志村けんさんの得意笑わせポーズ、「アイーン」をして、旅立って逝ったと云う記事を知った。
息子さんにとって、幼い頃、両親が離婚して、30年振りに再会した父親は、もう余命短く、ホスピスに入っていたと云う。
その父親が、亡くなる前の時間に、息子を笑わせようと、志村けんのアイーンのポーズをしたり、ジョークを云ったりしてくれたと云う。
最期も、手はアイーンのポーズをしていたと云う。
私も、ひょんきんだった父親との最期の別れのシーンを想い出した。 両親とも、苦しかった戦争を忘れるかのように、よく冗談を云い合っていた。
私が、悲しまないように、最期まで、ひょんきんなお笑い系を演じていた両親を想い出して、何とも云えない、熱いものが込み上げて来た。
今月は、免疫力に就いて、調べてみた。生きてることは新陳代謝してることとは、まるで禅の教えのような言葉にも出会った。
そして、ちょっとした気付きが人生を変える。
―「免疫力を高める生活」サンマーク出版、西原克成著から抜粋―
1、いびきを見くびっていると身体がバイ菌だらけになる。鼻で呼吸する。
口で呼吸ができてしまうのは、人間の構造的欠陥である。
2、直立二足歩行が身体に大きな負担をかけている。
造血しながら身体を支えている。 よく寝ないと、造血できない。
3、冷たいアイスクリームを食べすぎると失明もありうる。体温下げると、バイ菌が増殖し易くなる。
4、ヤクザがきれ易いのは、冷酒のせい?
5、抗生物質は免疫力を弱めてしまう。
6、腸を冷やすと脳に障害が起こる。 ボケや鬱の原因にもなる。
7、歯周病菌も全身を駆け巡る。
8、よく噛むことの本当の目的は、造血。
9、笑いや入浴の心地よさも免疫力の栄養になる。
10、生きている事は、新陳代謝していること。
11、ガン細胞は毎日発生と消滅を繰りかえしている。
12、免疫力とは、細胞がバイ菌や老廃物を食べて消化する力。
13、身体を温めれば、細胞は活性化する。
14、免疫力を高める三つの方法。
(1)鼻呼吸、
(2)冷やさない
(3)バランス食品を、よく噛んで食べる。 以上
昨日の住職は、禅の真髄を、熱っぽく語ってくれて、一年前の7月、倒れられたことが、信じられないくらいの、気力の充実振りだった。
個から離れてこそ禅であるのに、個を磨く手段にしようとする禅の限界を話してくれた。
掴もうとする自分を手放すことが、なりきること。自分を残して、なりきることなどできない。
桶の底を抜け、桶の底とは、自分と云う執着。
禅は、究極の安らぎの世界を説いていることが、すごいところ。
禅を何かに、役立てようなど、邪心を入れない世界だと想う。
日本ウナギの産卵場所は、グアム島近くの海,マリアナ諸島西方海域にあると云う。 日本ウナギの幼生は、同海域で成長しながら、海流に乗って北上、3000海里(約5,600キロメートル)を旅して、日本・中国・台湾・韓国の川に辿りつく。
海の旅では昼間は水深100m~200mを泳ぎ、夜間は水深500m~600mを泳ぎ、サメやマグロから身を守っているとのことであった。
川へ着くと、お互いに300m~500mの間隔を空け、あまり動かず、縄張りを持って生活し、また産卵にグアム島沖に帰って行くのが、自然な一生であるとのこと。
その一生を想像するだけでも、壮大で、また危険が一杯で、不憫に想う。
人間だけじゃない世界に想いを馳せるのも、宇宙の営みを知り、自分のちっぽけさを知ることに繋がる。
ウナギの一生を想像するのも、仏道の修行に通じている気がする。
この10年位、毎年、鎌倉・円覚寺の夏季講座へ出て、足立老師、横田老師の法話の中で、"無門関"の話を何となく、聴いて来た。
最近、世田谷・龍雲寺の正眼セミナー(20日)で、山川宗玄老師からも、"無門関"の話を聴いた。
その後、"無門関"に改めて興味が湧き、48の公案を、全て、さらりと読んでみた。
"無門関"は、中国宗時代(1200年頃)に編まれた禅の公案集で、言語の発生以前に思考を遡らせない限り、理解不能とかも云われている。
わからないやりとりが、何か、深い意味を秘めて、理解できなくても、自分で、思考をめぐらすことで、楽しめ、また学べるようで、大変魅了される。
時々、住職から聴いて来た数々の言葉が、"無門関"のやりとりに通じると想った時は、凄い発見と感動であった。
例えば、竹を見て、和尚曰く、「これは何ですか?」。 その時、竹と云ってしまっては、名前に囚われ過ぎ、また竹と呼ばないとなれば、名前を無視したことで、現実生活を生きていけない。
「さぁ云ってみろ」と、和尚に答えを迫られる。 さぁどうするか?
→そんな時のことなのか、住職が、時々、「○○に似たもの」と、よく云っておられたことを想い出した。
一元世界と二元世界を行ったり来たりするには、「○○に似たもの」、これは、素晴らしいと想う。
初めて、無門関の深くて、もどかしい、不思議な魅力に気づいた。無門関を考えることは、素晴らしい修行だと想う。
先日、異業種交流で、婚活業界の基本的現状を知り、大変驚き、また人間の、社会の理解を深めることができたと想う。
日本で結婚を考える年代(20才~50才)の人の数は、約2000万人で、その中で、毎年結婚する人は、その、何と3.5%に過ぎないと云う。 生涯未婚率も、男性の5人に1人。 20年後には30%に達するとも云われているとのこと。
1970年代から、コンピューターを使ったマッチングのビジネスも盛んで、現在日本に約4000社の結婚相談所(会社)があると云う。 その中でも、成婚率の実態は、意外と低く、5%~10%程度。
優しくて、誠実で、収入も多く、家族を大切にして、笑いもあってとか、色々希望はあるが、何とも、低い成婚率に驚く。
これは、私にとっては大きな気づきになった。
人の縁、相性は、コンピューターでデータで、追いかけても限界があり、何か得体の知れない、神秘的な出逢いと、相性のなせる技に違いないと想った。それだけ、人間は、表現できないセンサーを持っているのかと、素晴らしくも感じた。
神様の采配と、神がその人それぞれに相応しいと想って与えた運命の配合の結果かと想った。
結婚も失敗でも成功でも、それから学べばそれで好し、結婚もしても、しなくても、それから学べばそれで好し。全ては、神の館での出来事。
今年の夏は、私は、終戦70周年記念、戦争の記録と映画のイヴェント(7月~9月)で、映画を見に、休日、川崎市民ミュージアムに何度か足を運んでいる。
1953年封切りの、特攻隊の映画「雲ながるる果てに」は、特攻出陣を待つ若者達の様子、心理を描いた映画だった。
出撃の日の朝、雨で気象が悪いと、出撃が延期される。
宿舎の黒板に、「雨降って、今日一日を生き延びる」と書いてあった。
私は、パーッと涙が零れた。
私の人生で、初めて、雨に、そんな想いが伝えられた日となった。
数日前に、東京・龍雲寺で開催の正眼セミナーが昨日開かれることを知り、久しぶりに行ってみた。
横山紘一先生の「唯識と云う生き方」と云う本が、最近、英訳され米国で8月11日発行される。
横山先生が、この本が英訳されるまでの経緯(縁)この本で伝えたいことは何かを直接聴くことができた。
ローソクの芯と云うエゴを毎日焼き尽くしながら、光(智恵)と暖かさ(慈悲)を得ましょう。菩薩として他者の為に生きましょうと説かれていて、私も早く英語の本を読んでみたくなった。
山川宗玄老師の法話も18日のNHKの心の時代に続き、昨日も聴くことができた。
ほんの数日前に、友人からもらったメールで、横山先生、山川老師の、法話の縁に触れた。18日は、住職の坐禅の会(サンガ)もあったし、連日の仏性への縁。仏性へと、仏性へと、私は、歩く縁を想う。
2015年、夏。
ベトナムの僧・ティクナットハーンは、講演の中で、苦諦(人生は苦であると云う真理)は、聖なる真理であると表現している。
苦を肯定的に捉える表現も、すごいと住職は、ティクナットハーンの表現力に感心しておられた。
道は、苦からしか見えてこない。
手放すと全てが、明らかになる。
エゴの放棄へ導びくのは、苦しみしかない。
苦しみに、打ちひしがれてこそ、到達できる真理(神)の世界がある。
苦しみを諦らかにすることは、聖なる真理への祝福された道が拓がる。
なりきることは大事だが、私がなりきるとは、まだ分別心がある。
なりきることさえも意識しない世界、全てを打ち任せた世界。禅とは何もつかまない世界。
身も心も放ち忘れる世界。無我の世界。今ここの世界は、時間も空間も無い世界。
なりきることさえも忘れてこそ禅の真髄。なりきることを意識するのは、まだ修行の入り口。
昨日の住職の言葉に、世間の禅を名利に役立たせる流行とは違う深さと安らぎを感じる。
母が生まれた1917年、長崎京泊り、半農半漁の小さな漁村。長崎畝刈(あぜかり)尋常小学校。大家族の長女だった母は、女中として長崎市内に奉公に出されたと云う。
昔、漁村からは、小舟で大きな船に乗り換え、長崎・大波止に着く交通機関だった。
1936年19才で単身、日本から逃げだす様に、満州国(1032年~1945年)へ飛び出し、終戦(1945年)まで住んだハルピン。 和文タイピストとしてOLをして、当時のハルピン、(人口50万人、ロシア風の建物の多い洒落た街)で青春を過ごした。 ハルピンの日本人社会約18、000人の中で、早稲田大学を出た長野県出身の男性と結婚、終戦当時1才位の男の子がいた。 夫は肺病に罹り、日本の故郷長野県の療養所に送還されている時に、終戦・逃避行の悲劇。子供は、収容所で栄養失調で死亡。
苦難の末、やっと帰国し、長野県の療養所に、死の床にある夫を訪ね、子供が死にましたと報告する時の母の辛さに、今も私は、母の運命にもらい泣きする。 長野県・伊那郡・平谷村が、母の死別した元夫の実家のあった場所。
それから、また長崎市内で働き始めていた時、何かの縁で、私の父(大牟田市)と知りあって再婚し、私が生まれた。
私は、母が生まれた長崎・京泊りも、小学校のあった畝刈も、満州・ハルピンも、長野県・伊那郡・平谷村も、大牟田も、母の人生のゆかりの地を全部、周ったことが嬉しい。 1917年~1994年の77年の人生であった。
この10年で、私は、色々な旅をしたお蔭で、今では、母の人生の全シーンが、画面として想像できる。
そのことが、今の私の、エネルギーの根源となって、私を導いている。
母の笑顔が、長崎の光景、満州の光景と重なって、大丈夫、大丈夫と私に語りかけているように感じる。
最近、宝島社から、戦後70周年記念写真集"満州"が出版され、私は、すぐ購入し、満州の昔の風景を、深く味わいながら見た。
亡くなった母が、長崎の田舎から、19才で家出し、飛びだして行った満州。 駆け落ちに失敗して、傷心で、着いた遠い異国の地、満州の風景が、私の前に蘇る。
釜山から列車で二昼夜半かけてハルピンに着いたと云う。
ロシアが築き、日本が引き継いだ国際都市、哈爾濱(ハルピン)。 松花江、ソフィスカヤ大聖堂、キタイスカヤ街、満人の商店区・正陽大街、 大連・ハルピン間を走った特急あじあ号。
当時の風景、人々の表情、全てが、母が見た光景だと想い、感慨無量であった。
母から聴いていたハルピンの様子とダブらせる。
大きな川(松花江)が流れ、街にダンスホールもあり、綺麗な街だったと云う。
そして、一転しての終戦後の悲劇。
写真集を開くと、母と一緒にいることと同じ。
凝視するように眺める昔のハルピンの光景。 母が見た新天地の光景。
マズローの欲求段階説は、昔、会社の人事部で働いたことのある私には、耳にタコができるほど、聴いた米国心理学者の有名な説である。
人間の欲求には、段階があって、(1)生理的欲求、(2)安全欲求、(3)社会的欲求(集団欲求)、(4)承認欲求(認められたい)、(5)自己実現欲求(あるべき自分になりたい)。 と段階を踏んで、欲求が変化して行くと説く。
米国プリンストン大学が、45万人を、2008年~2009年にかけて年収と幸福度を調査したら、何と、年収と幸福度は、約1000万円までは比例したが、その上の収入では、その比例関係は、見られなくなったと云う。
マズローの欲求段階説の基本的な欲求段階の(2)までは、お金が威力を発揮するが、その後(3)以降の高度な人間の欲求には、お金は、効力を発揮しないと結論づけたのである。
また、人間は、一度豊かな暮らしをすると、貧乏になっても借金してでも、昔の贅沢な習慣を続ける人間の行動、脳の馴化(じゅんか)と云う作用があることも指摘されていた。
全く、私の、お金に対する哲学を理論的に検証してくれた様で、内心、小躍りするほど嬉しかった。
私は、お金は、料理(人生)に対する醤油(お金)と同じと思っている。 醤油(お金)は、料理(人生)に絶対必要だが、かけすぎると料理(人生)をダメにしてしまうとまで、ちょっと過激に想っている。
お金に振り回されない生き方をすることが、成熟とか人格とか、生きる姿の美学、仏性にまで通じると、私は想っている。
インドの哲学者・スワミ・ヴィヴェーカナンダ師の言葉、「私は改革を信じない。 霊性(仁徳)の向上を信じる」、 私は、これが人々に、また社会に強烈な示唆・指針を与えてくれる哲理だと想う。
人は、どんな物質的な目標、目に見えるものに目標を立てて、邁進しても、いずれその虚しさ(誤り、幻影)に気づく。目標としたものには、例え実現したとしても、安らぎはないのだ。
どんなに制度や仕組みを変えて、金を使っても、どんな物を得ても、どんなに努力しても、発心(誓願)正からざれば、どんな修行をしても虚しいのだ。
発心は霊性の向上、仏性・神・(宇宙意思・自他一如)へ近づく覚悟でなくてはならない。 もしエゴのためならば、どんな努力も、宇宙の理に反して、いずれ寂しく挫折する。こんな筈じゃなかったと、ちょっと年を重ねれば気づくこと。
エゴの虚しさに気づかせるのが、真の教え、哲理だと想う。
事業で莫大な天文学的財産を築き、未だに社会を変えたい、変えたいと渇望したように叫ぶ、世間で成功したと云われる起業家達は、制度(外の器)を変えることに気をとられ過ぎる大きな誤りに未だに気づかないのかと、その不器用さに、私は憐れに想う。
目標や夢をもつこと自体が大事ではない。その中味が仏性(宇宙意思)を目指しているのか否かが問題なのだ。 社会を変えるのが大事なのじゃない、仏性の実現を目指してどう変えるのかが大事なのだ。
決して物質的な形に解決は無い。 霊性(仁徳)の向上こそが、人生や社会が目指すべき指針、羅針盤なのだと想う。
私は、大勢の人達が、人生で、余りにも、遠回りに歩いて行くのを、大変もどかしく感じる。
友人知人にも、何人か、何故か別れ際に、思わず合掌したくなる人がいるものだ。不思議なエネルギーである。
無言の内に、何か深いメッセージを受けて、感謝の念が、いつの間にか湧いて来て、私に合掌させるのだと想う。
そのような出会いは、人生で、大切にしなければいけないと想う。
また、合掌は、そうするだけで、凄いエネルギーに溢れて来る。
数日前、休日、人のいない小路で、合掌しながら歩いてみたら、私は全存在に感謝している様な気持ちになり、感涙したくなった。
合掌の持つ力は凄いと想う。 合掌は、神と向きあう時のポーズ。 そして、いつしか神と一体となる儀式。
世間は、儲かるシステムを考えることに熱心な人達が多い中で、敢えて、目を覚まして貰いたいが故に、私は、儲からないシステムを考えることの大切さを説きたい。
某社は、副社長に2015年3月期の年俸に165億円を支払ったと云う報道があった。
年間労働日数を、240日と計算して1日当たり7000万円、8時間労働として1時間当たり860万円の報酬である。
社会貢献を歌いながら、会社経営がゲーム化し、人間を、こんなエキセントリックにしてしまうのである。世界に大勢の貧しい人々を放置しておいて、猥褻なほどの収入。そこに、安らぎがあるのだろうか?いつの間にかそのゲームに呑み込まれてしまっている。
衣食住程度の収入に満足し、寧ろ、社会に還元し、ゲームに流されず、儲からないシステムを作ることに、私は冷静な人格を見る。
その意味では、私は、過激な考えかも知れないと、自分に苦笑する。それでも、私の内面の声は、そう私を導く。
昨日は、住職から、修行の道のりの話を聴き、世間の名利から距離を保つ大事さを思った。
断片的な気づきから、歓喜する段階は、魔境に陥りやすい。
世間で大成功をしたと云われる人を目指す虚しさを想う。
名利には、安らぎも、まして真理など到達しようもない。
「妄」消えれば、「寂」現れ、「寂」生ずれば、「智」現れ、「智」生ずれば、「真」現る。
年を重ねて、妄想が消えて、無常を知り、「寂」の静けさに入る。「寂」の境地に入らずして、焦燥に駆られるのは、辛いこと。まだ、目の前に吊り下げられたニンジンを追う馬のように。
「観無常、無名利」、住職が出家された時に、師から贈られた、坐禅の時に使う警策(板)に書かれていた言葉であったと云う。
昨日、TVで、国境ツアーと云うコンセプトで、稚内からサハリンへの船の旅のことが紹介されていた。
そのNPOの旅行社は、前年は、壱岐対馬・釜山の国境の船の旅を企画したのだと云う。
去年、私は、飛行機のマイレージを利用してー、夏に稚内や、冬に壱岐対馬を旅した。まさに、日本の果て、国境を見たかったのだ。
果てはいい。境目は、曖昧で、どこからが違うのか、分からないところがいい。
夜から朝、春から夏、どこからか、ぼんやりしているところがいい。
不幸から幸せも、生も死も、ぼんやりと、夜が明けて行くように、気づかない内に境目があると想う。
その旅行社は、次は、八重山諸島(沖縄)と台湾の船旅を企画していると云う。まるで、私の旅心を、重ねているような旅行社に驚いた。
そう云えば、私は、去年、何かにつき動かされるように、人生の国境を旅したようにも想う。
私のことは、もういいんですと云う生き方、この素晴らしい境地の根源を探る。
それは、自分が薄められて行くような、誰にも、何も求めることの無い境地。
自他が切り離されていないが故の、自他一体の安らぎがある。
自己を神(宇宙の意思)に投げ出した時の静けさ。
私のことはもういいんです。 私は、波ではなく、大海なのだから、そう云える。
ただ、あるがままを愛でる。
全ては、あるべくようにある。 雨の一粒一粒も落ちるべきところに落ちる。よく住職から聴いて来た言葉。
アクセクするのは、ジタバタするのは、私が、他とが切り離されていると想うが故の所産。不図、そんなことを想う雨上がりの朝。
毎週広島から大分に帰る単身赴任の夫が、広島に帰る日曜日の夜、妻との些細な口論から、自宅に火をつけ、子供4人が亡くなった事件に衝撃を受けた。
突然の激情の爆発災害。 人は誰しも、激昂したくなる時を体験するが、大きな事件・災害にならなかったことは幸いなことと想う。
私も、若い頃、夫婦喧嘩で、そばにあったビデオ映写機を床に放り投げ壊したことを想い出す。 そのとき、幼かった娘は、壊れた映写機の入れ物を抱いて自分のベッドにもぐり泣いていたことも想い出す。 今もその時の様子を想い出して、とても哀しくて、娘の心を痛めたことを想い出す。 夫婦の会話は些細なことだった。 ちょうどその時、両方の感情がエスカレートしてしまったのだ。
人は、"自分が客"と想った時、人間関係は崩れる。
その時の私達夫婦は、"客と"客"の正面衝突、最悪の人間関係が勃発したのだ。そして、人間関係は崩壊した。
住職の師匠の原田堪玄老師が、「私は椅子になります」と云う誓願(発心)を立てられた話に感動し、私は、いつも人生の指針を戴いている。
"自分は永遠に、ただ奉仕する人"、"座ってもらう椅子"、"決して客(ゲスト)にはならない"と云う誓願は、仏性の光だと想う。
それがあったら、激情の爆発など、激昂など、起こりようもない。
今の私の、人生の指針は、「私は、椅子になります」。
ある友人の手記に、亡くなったお母さんへの想いか、ピリオドも句読点さえも無い、完結しない想いが綴ってあった。
人生で、共に街道を歩いた人でさえも、いつの間にか、尻切れトンボのように消えて行く。日常に埋もれて行く今生の別れ。
そこに、素晴らしい光が差し込む光景を見せてくれたのが、禅。前後裁断。生と死の同居、破壊と誕生の同居。
全ては、その一瞬一瞬で完結している。無常とは、一瞬一瞬の完結。そこにこそ無我が宿り、永遠の安らぎをもたらす。
無常とは、無我とは、寂しくないピリオドのこと。
週末に訪れた、館山・自然村の能忍寺で驚いたことは、今回、寺の近くの木々に野生の猿の群れが飛び回っていた光景に遭遇したこと。
自然動物園みたいで、ただ、凄いなーと感嘆。
先進国で野生の猿がいるのは日本だけだと云う。
5~6年前、娘と旅した南インドのドライブの途中、山中で、野生の猿に遭遇した時を想い出す。
また、能忍寺から見る広大な海の光景は、いつも圧倒される。
母の故郷・長崎・外海町の丘の上から見る海も想い出す。丘の上には、能忍寺のように遠藤周作記念館がある。
野生の猿がいる森、圧倒されるほどの広大な海の光景。人生を深く考えるのにふさわしい場所。
人生の目標は、色々なイメージに彩られ、人々は突き進んで行く。
金持ちになりたい、偉くなりたい、世界中を旅したい、よい伴侶見つけたい、何かで世界一でなりたい、など、
そのためにコーチングなどする職業まで成り立つ。
そして、もし、その目標が実現したとしても、その時の夢のイメージとの違和感に気づく。目標設定の未熟さであり、誤りである。
今、既に、人生の目標は、実現し、目の前にあることに気づかずして何の修行かとも想う。
無条件の安らぎがあってこそ、人生は輝いて祝福されている。
人生の遠回り、誰しも、その遠回りを体験する。
目に見えないものが大切なんだ、雨上がりの朝、星の王子様からのメッセージ。
昨日は、安房自然村の能忍寺に、住職を訪ねた。
寺に来ていた人が、館山の、かにた村って知ってますか?と云う会話をしていて、私は、部落のことかと感じたら、私が今まで全く知らなかった世界の話であった。
全国の薄幸の女性達が世間から離れた山里にひっそりと暮らすコロニーのことであった。
昭和30年(1965)、売春防止法が制定された頃、ある牧師の提唱で、館山の旧海軍の砲台跡の敷地の山里に長期婦人保護収容施設が創られ、今でも常時80人くらいの女性達がひっそりと自給自足の生活をしているのだと云う。
昨日、寺に来る前、たまたま、館山駅のそばの海岸で暫く海を見ていた。
館山駅から寺のある布良に来る途中の山里に、かにた村はあると云う。
今朝は、寺で雨音を聴きなら、かにた村のことを知った縁を想う。
昨日の朝、出勤前に近所の洗濯屋さんに立ち寄った道で、雨の中、ランドセル姿の小学生が約10人位、縦に並んで歩く姿が、アヒルみたいで、とても可愛いく想った。
男の子、女の子、それぞれに、鮮やかな色のランドセル、そして小さな傘たち。
横断歩道には、お母さん達が、"子供見守り隊"のシャツを着て、黄色の旗を持って立っていた。
もう、それだけで、暫く立ち止まって眺めていたい、安らぎの光景だった。
昨日の朝、通勤途上、駅までの小径に、小さなリュックを背負った4才くらいの女の子が道端の草に気をとられて、しゃがんでいて、まるで道草をしている子犬のような光景だった。周りに親らしい人は見当たらないから、不思議に想いながら、私は後ろを何度も振り向きながら通り越して行った。
すると、60メートル~70メートル先に、優しそうなお父さんが、その子の方を見ながら待っていた。その小さな驚きにほのぼのとした。
また、この数年間、朝、白楽駅から妙蓮寺まで一駅、よく見かけていた父親と一緒のランドセルの小さな女の子が、数日前の夕方の駅のホームで、ランドセル姿ではなく父親と駅で見かけた。もう背丈がお父さんの肩くらいまで伸びていたことに改めて感動した。
親子にとって私は知らない通行人だが、私は、よく頑張ったねと、親子を抱きしめたいほど愛しい光景だった。
昨日、会社の人に教えてもらった川柳(第一生命優秀作品)に降参。
<上司・部下編>
「バカヤロー、言われる覚えは少しある」、
「無駄省け、言った私を皆が見る」 、
「教え子が、上司になって倍返し」、
<夫婦・家庭編>
「ごはんよと呼ばれてみれば、タマだった」、
「オレオレに、亭主と知りつつ 電話切る」、
あっぱれ、凄いなー とため息が出る。
先週の休日、横浜みなとみらいを散歩中、大桟橋近くの象の鼻 乗船場付近で、Dragon Boat と云う観光船の呼びこみに、呼びとめられ、試しに、1時間の港内クルーズに乗って見た時の話。
家族ずれの中に元気な男の子がいて、出航するや、デッキで、映画で海賊のシーンでも想い出したのか、「いかりを上げろ」、「いかりを上げろ」と興奮して、連呼する始末。
4才の男の子のその元気振り、そばに小学1年生位のお姉ちゃんも呆れ気味。
お母さんは、静かにしなさいと諌めるが、まったく気にしないで、連呼。
ついには、お父さんがしかめっ面で、制止しようとする。 私は、そのお父さんに、「いいじゃないですか」、 「男の子らしくて可愛いじゃないですか」と、叱ろうとするお父さんを止めた。
その男の子は、私が、理解者かと思ってか、私に、「いかりを上げろ」「いかりを上げろといってるじゃないか」と、私に、命令して来た。 「いかりを上げないと、お腹をグーパンチだぞ」と脅して来た。
そんなに、船上が嬉しくて、興奮している男の子に、とても楽しくなった。
「いかりを上げろ」、「いかりを上げろ」 と云う可愛い声を、何度、何度も聴いて、耳に残って、とても楽しい気持ちになった。