« May 2015 | Main | July 2015 »

June 30, 2015

残さず全部食べてごめん、さつま芋のお粥、作文にくぎずけ、

先日、電車の中に、"くらしの友、心の手紙"の作文が広告に載っていた。

愛媛県、72才の男性の手紙が紹介してあった。 戦後復員して来た家族の貧しい暮らしを想い出して、亡き父親への手紙であった。

「さつま芋のお粥、残さず全部食べてごめんね。お父さん。当時、父さん達の食べ物は、子供達の食べ残しだったね。父さんは鍋の底をこすっていた。それなのに、腹一杯食べたか?と、妹と、私の頭をかわりばんこに撫でてくれたお父さん。

お父さんの23回忌の法要の時、兄からその当時のことを聴きました。

子供達を大事に育ててくれたお父さん、お母さん、いっぱい、いっぱい、ありがとう。 」

・・・・・・・・・・・、ただ、私は、その手紙にくぎずけになった。

| | Comments (0)

June 29, 2015

「東京キッド」、美空ひばり

昨日、近くの図書館で、昔の映画、美空ひばりの「東京キッド」が上映され、初めて「東京キッド」と云う映画を見た。

美空ひばりの子供時代の可愛いらしさ、花菱アチャコ、堺駿二、榎本健一など豪華喜劇陣が揃って、戦後の暗い時代に、明るい笑いが散りばめられていた。

私の両親も見たであろう映画、時代風景、涙と笑い、どれだけ人々を元気づけたことだろうと想った。

そんな、時代風景の中で私は生まれたことを想い、映画の画面を食い入るように眺めた。

| | Comments (0)

老化は乾燥 。 筋肉を鍛えて体温をあげて防ぐ。

今月は、老化と水分に就いて調べてみた。それは、筋肉を維持し体温を維持することに繋がっていた。

―「老化は身体の乾燥が原因
だった」三笠書房、石原結実著から抜粋―

1. 全体重に占める水分の割合、
乳児 70%、→ 幼児 65%、 → 成人 60%、 → 老人55% 、

2、 ただ水を飲んでも、体内の乾燥は止められない、
(1) 瑞々しい肌や若々しい筋肉を保つには、細胞内の水分が必要。

(2) 細胞外液(胃復路、腸官、副鼻腔、肺胞、血液、目の水晶体など)に水分が多く存在しても、害にこそなれ、若さや健康を保つ要因にはならない。

(3) 体熱が下がると乾燥が進む。

(4) 筋肉を鍛えるとは、すなわち 体熱を上げること。


3、 老化防止食材、
(1) 北方産の食材は、身体を温める。

(2) 硬いものを食べる。
水分を多く含むものほど身体を冷やす効果も高くなる。

(3) 赤・黒・橙・黄の暖色の食品。

(4) ヌルヌル・ネバネバ食品。 ムチンと云う成分。
ヤマイモ、サトイモ、オクラ、モズク、ワカメ、納豆、ナメコ、牡蠣、ナマコ、 カレイのにこごり、など。

4、 筋肉を鍛えて乾燥を撃退、
ウオーキング、スクワット運動など、 以上。

| | Comments (0)

June 28, 2015

転んだからこそ掴めた石、

昨日の朝は、行きつけの理髪店へ行き、店のラジオを聴きながら、のんびりと理髪店の主人と会話しながら休日気分を味わった。

待ってる間、たまたま見た週刊誌に、103才になって分かったことと云う本を書いた篠田桃紅さんの記事があった。

転んで掴んだ石ではなく、転んだからこそ掴めた石、と書いてあり、凄い人生哲学に感動した。

転んだからこそ知り得た世界の情景を想った。

また彼女は、生きているのか、死んでいるのか境目が分からないような境地を表現していた。

夜明けの時、闇から明けて行く時の境目、夕日の時、闇へ暮れて行く境目を想った。四季の境目を想った。

私も、生きていて、もう死んでいるような、ぼんやりした気分が、人生には、余分な力が抜けて丁度好いと想った。


| | Comments (0)

June 27, 2015

想い出の力、そして、いつしか口ずさむ人生の歌、

人生の中で、想い出せば、ほのぼのと、メルヘンの世界に入れるような想い出がある。

その想い出を、時折 想い出せば、人生の苦難も乗り越えて行ける。

平凡な一日の中でも、町や道で見かけた 草花や光景でも、ほのぼのとすれば、その光景を想い出して、床に就けば好い。

その光景にもしメロデイーが連想できれば、尚感動が蘇る。

子供時代、家の裏山で見た白い雲、何度も見送った夕日の光景、姉達が口ずさんでいた高村光太郎の詩、 そして"柿木坂の歌♪"や"青い山脈♪""白い花の咲く頃♪"などの歌。 母が満州を想い出して歌っていた"♪戦友"のメロデイー。

私も、私の人生で、いつしか、それらの歌を口ずさんでいた。 私も心の中で、人生の歌を口ずさむ。

| | Comments (0)

June 26, 2015

後輩の海外転勤送別ランチ、

元の会社の後輩が近々メキシコに転勤すると聞いて、昨日、愛宕神社のレストランに招待して、送別ランチをした。

メキシコは、標高2200メートルにあり、気候は素晴らしいと云う。スペイン語も日本で勉強したそうで、家族もいずれ呼び寄せる予定と云う。

私が、バリバリの、ガスのトレーデイングの課長をしていた頃、課の若手メンバーの一人だった。 彼の結婚式でもスピーチをしたなぁー。

今でも、私には、彼が相当に若く見えるのに、彼は、もう若くはありませんよと云う言葉に、私は「そうか」と苦笑。

海外生活は、驚きが一杯、溢れている。 これから、その驚きに刺激されて、人生の新境地を拓いて行って欲しいと、彼のこれからの人生にエールを送った。

会社生活の中の人間関係は、人生のほんの一部に過ぎない。 これから、また、楽しくつきあって行ければと想う。

世界中に、また色々な世代に、親しい友達がいることは、私にとっては、大変、穏やかな気持ちになれる源。

私も全体の中の一部、お互いに作用しあって、私がいる。

| | Comments (0)

June 25, 2015

道元禅師の歌、青松寺、愛宕神社・ほうづき市

会社のそばの青松寺の門に今、掲げられている句は、道元禅師が永平寺を出て、同行の弟子達と別れれる木の芽山で詠んだ句であった。

草の葉に 門出せる身の 木の芽山 雲に道あるここちこそすれ、

道元禅師が、峠で万感の想いで見る雲の情景が浮かぶ。

昨日は、愛宕山の愛宕神社は、ほうづき市だった。昨日お参りすると千日参ったくらい有り難い千日参りであった。

私の心は、時代を浮遊し、現代を生きてはいないようにも感じた。

| | Comments (0)

June 24, 2015

スペインの国民的ギタリスト・カニサレスさんと日本人妻・真理子さんの感動、

昨日夜、TVで、現代フラメンコ最高峰のギタリスト・カニサレスさんとその妻・真理子さんを紹介するTV(TBS)があり、真理子さんのお母さんが同じ坐禅会でもあり、早く帰宅してTVを見た。

外大でスペイン語を学んだ真理子さんがCDなど買って憧れていた、当時のまだそんなに有名でもなかったカニサレスさんとの、日本での奇跡的な出逢い、カニサレスさんの天才的・芸術家らしい直感力と真理子さんの献身的な愛、全てが光に包まれたような安らぎがあった。

私は、お互いが、ゲストにはならない、椅子になる覚悟(相手に座って貰うだけ、自分は決して客にならない覚悟)が出来ているので、眩しいくらいに美しく、人を感動させるのだと想った。

世界最高峰とも云われるフラメンコ・ギタリストになるには真理子さんの献身的な愛があり、またカニサレスさんも真理子さんへの圧倒的な愛、感謝があり、それは真理子さんの献身的な愛と見事に調和していた。

私は、このように、素晴らしい人間関係を見せて貰った縁に感謝した。流石、住職の元に集う学びの同志達の縁の凄さを想った。

雨の合間の6月の朝、今朝は朝日が眩しい、みずみずしい朝。

| | Comments (0)

June 23, 2015

父の日のプレゼントに想う、

一昨日、夜帰宅すると、娘から父の日のプレゼント(ベルト)が届いていた。

先日、娘と会社帰りに食事した時、プレゼントに何がいいかと聞かれた時に答えた品だった。

最近、娘も仕事は慣れて来て、落ち着いて色々な話ができるようになった。

先日は、結婚するなら、自分に何をしてくれるかより、自分が心から奉仕できるよいな人を選びなさいと、父親としての私の人生観を、禅を交えながら沢山話した。

無功徳に働く気概なくして、安らぎはない、幸せにはなれないと、私の今の人生観を一生懸命に娘に説明した。

私が学んだ禅(安らぎの法)の思想が娘に伝わる。

今年は、そんな想い出の年の父の日のプレゼントだった。


| | Comments (0)

June 22, 2015

塩人形と大海、

塩で作った人形を、海に入れると、塩は溶けてしまい形は見えなくなる。

塩人形はあるとも云えるし、無いとも云える。

ただ海水の中に、確固としてある、見えていないだけ。

人間の中に、滅することの無いものがある。

全ての中に溶け込んでしまう私を想像してみた。

住職から聴いた塩人形の話から、そんな気づきが生まれた。

| | Comments (0)

June 21, 2015

手放した世界を、仏と云う、

昨日、改めて住職に聴いた、雪山童子(せっせんどうじ)の逸話に、強い衝撃を受けた。

雪山童子は、山の中で「諸行は無常なり、これ消滅の法なり」と云う声を聴く。

何とその言葉を言ったのは鬼であった。雪山童子は、鬼に次の句を聞くと、鬼は、俺は今、腹がすいておると言った。

雪山童子は、意を決して、「消滅滅し止んで、寂滅をもって楽となす」と云って鬼の口に飛び込んだ。

私は、それだけで、もう十分、衝撃的な教えだった。

その鬼が、即座に、観世音菩薩に変わったと云う結末は、聞いても聞かなくても、どちらでも、同じ話として心に大感動を与えた。

全てを手放した世界を仏と云う。

| | Comments (0)

June 20, 2015

映画・「最高の人生の見つけ方、」余命6カ月、

数カ月前に、映画・「最高の人生の見つけ方」を見たことを想いだす。

ジャックニコルソン、モルガンフリーマン演じる人生晩年に病院生活を送る同室の二人の男の物語。余命6カ月を宣告された二人の、意気投合した世界旅行の旅の物語。 男のくせに二人で泣いたり、大笑い。

余命6カ月の、うんと前に気づけば、もっと好い旅もできたろうにと想う。

誰しも、どんな年でも、余命が何年でもいい、大切な時間の過ごし方に、気持ちを向ける大切さを想う。

形には、何一つ残らなくてもいい。素晴らしい想い出になり、魂が高揚すれば好い。神の元に近づく。

多少の不幸は、そのままでも好い。ただ、感謝に包まれる、大切な時間を過ごすことを想う。


| | Comments (0)

June 19, 2015

いつしか安らぎ、

毎日、必ず一人の時間があり、静かに考える時間があることの幸せを感じる。

考える時間が、人生の羅針盤となって私を導びく。

私は、謙虚に生きているだろうか。身勝手に生きていないだろうか。

私は、人間の持つ仏性と仏性が共鳴するような、生き方をしたい。

心の中で、私の占める面積が、縮小して行く様を眺めて、生きて行きたい。

毎日が、人生の集大成としての一日。いつしか、大きな安らぎを目指して。


| | Comments (0)

June 18, 2015

世界のイスラム教徒16億人、 ラマダンに入る日

今日から(遅くとも明日から)、世界のイスラム教徒 16億人が、1カ月間の日中の断食(ラマダン)に入る。

アラブの会社で働く私も、これから1ヶ月は、通常より仕事が加減されるので気持ちは楽。 異教徒の私は、ラマダンはやる必要は無いが、お祭り気分の1ヶ月になる。

会社のアラブ人も本国に休暇で帰り、私がオフィス全体を切り盛りする。

日本から、メッカは西方にある。 夕日の沈む方向にある。 西方浄土も、夕日の沈む方。

世界の16億人のイスラム教徒が、飢えを想い出し、自己の傲慢さを見直す時。

ラマダン、カリム。 ラマダン、ムバラク。 今日は、電話でも、ラマダンに入る挨拶の言葉を交わす日。

| | Comments (0)

June 17, 2015

天下国家を論じる、

昨日は、中央官庁OBの友人達数人と懇親会をした。

いつしか、政治や歴史の話になり、私は、徳による政治や社会を目指すべきことを熱っぽく語った。

ヴィヴェーカナンダ師の(私は、改革を信じない。霊性の向上を信じる)と云う言葉を紹介し、官僚達の反応を見たが、手応えを感じた。

自分の収入や自分の立身出世に大きな関心のある民間の会社幹部より、うんと反応がよく、官僚達を見直した。

天下国家を真剣に論じることの充実感を感じた。

私は、結局、いつの間にか、仏性の素晴らしさを語り始める自分を、内心、嬉しく励ました。

| | Comments (0)

June 16, 2015

露天風呂にホタル、予期せぬ遭遇、

昨日は、会社帰りに川崎の志楽の湯と云う温泉に立ち寄った。

都会の住宅街の中に、ひっそりと、縄文の湯と云われ、田舎の湯治場のような佇まいの天然温泉はある。

昨日は、露天風呂は、いつものオレンジ色の裸電球が切れていて、暗かった。数人しかいない湯船で、ぼーっとしていると、茂みにぼーっと光るものが動いた。

今年は、毎年行っていた神田川のホタル祭りも、生田緑地のホタル観察も行かなかったが、ホタルが私に会いに来てくれた。

志楽の湯では、毎年6月には飼っているホタルを放つのだと云う。裸電球が消してあった理由がわかった。

たった一匹のホタルの幻想的な舞いに、私は、うっとりとした。今年もホタルが会いに来てくれたのだ。

| | Comments (0)

June 15, 2015

半日の小さな旅、葉山へ、

昨日は、午後の自由な時間を利用して、知らない街、葉山へ小さな旅をしてみた。

観光バス添乗の学生アルバイトをしていた大昔、葉山マリーナには、よく来た。バスで外から見ると建物も海も同じ佇まいで、昔のシーンが再現した。

私はちょっと先の海岸、漁港があるところまでバスで行き、海岸沿いの道を歩いた。

観光雑誌で見た森戸海岸は、スペイン風のレストランが似合う風景だった。

この辺りの海は、昔、禊ぎの海と云われ、人々は、この海の水をかぶって身を清めたと云う。(森戸神社の境内に吾妻鏡の記述を紹介してあった)

半日の小さな一人旅、それは旅自体が、もう美術館と同じであった。みずみずしい川の流れのような一日、人生は小さな驚きに満ちて。


| | Comments (0)

June 14, 2015

観察者ではなく、参加者になる意味、そして生まれる菩提心

深く観察する心は、単なる観察者ではなく、参加者になる。

観察者ではなく、参加者となれば、一体感が生まれ、本当の気づきが生まれる。

観察者ではなく、なりきって生きるとは、自他一如。

そして、住職曰わく、修行の方向が正しいか否かは、その人に菩提心が起こるか否かでわかる。

自分のことでなく、他を先とする心が生まれなければ、どんな修行を重ねても虚しい。


他がよければ、私のことは、もうどちらでもいいですとの心が芽生えてこそ修行。光に導かれる想い。

| | Comments (0)

June 13, 2015

半分幸せ、半分不幸、それだから素晴らしい、

半分幸せだから、人に優しくできる。 半分不幸だから人に優しくできる。

それが一番幸せなこと、人と調和できること。 調和は安らぎ。

全て幸せ一杯の人だったら、そんな浮かれた人に、人は、本心で近づいて来ない。

全て不幸だったら、今にも死にそうな人に、人は、本心でなかなか近づけない。

半分幸せ、半分不幸、そんな、幸せなのか不幸なのかはっきりしない人生も、味のある、愛おしい人生じゃないかと想う。

ヤジロベーの様に、幸せと不幸を、微妙に、いつもバランスを取り、均衡を保たせるのも、人生の達人だと想う。

多少の不幸がなければ、深い幸せの味など、わかるものではない。


| | Comments (0)

June 12, 2015

「私の兵隊さんが来てくれた」、居酒屋の女将さんのつぶやき、

私が時々会社帰りに途中下車して立ち寄る行きつけの居酒屋さんは、演歌が流れ、料理人で無口な高倉健さん風のマスターと、接客で大忙しの女将さん、それにアルバイトの学生らしき男の子がいる。

先日、私が、早くからカウンターで飲んでいると、女将さんが、「兵隊さんが来た」「やっぱり頼れるのは男の子や」と云ったので何のことかと思ったら、、店に入って来たのはリック姿の学生アルバイトの男の子だった。

少し前に、マスターに一挙一動を、悉く注意され、叱られっぱなしの男の子がいて、私は、可愛そうで、早目に店を出たことがある。その、叱られっぱなしだった男の子が、今は、前より、頼もしくなって、仕事をこなしている姿を見て、目頭が熱くなった。

その男の子が、焼酎の水割りを作りにカウンター内に入ると、またマスターが近づいて来て、よく見ながら、何か云おうとする。 その様子を女将さんが見て、黙ってみていればいいのにと、マスターの行動に苛立っている。 男の子を庇っているのだ。 男の子は、淡々とやるべきことをやり、もう大丈夫の様にも見えて、頼もしかった。

ただ、それだけの光景に、男の子の成長振りに、私は、感動し、目頭が熱くなった。

しかめっ面のマスターも、苛々している女将さんも、アルバイトの男の子も、全てが、何か、全てが愛おしく想えた。

| | Comments (0)

June 11, 2015

綱島温泉、田舎・昭和の安らぎだった、

先月の5月19日、69年続いてきたた綱島温泉が、地下鉄工事からみの区画整理で、無期限の休業に入るとTVで聞いた。

雰囲気が、昭和レトロの感じで私は、九州の田舎の船小屋の温泉センターをよく、心の中でだぶらせていた。

子供時代、両親に連れて行ってもらった船小屋の温泉センターは、もうとっくに無くなっているが、最近帰省した時に近くを散策して感無量だった。

庶民的な温泉センターは、歌や踊りのステージもあり、何もかも、気取らなくて、暖かい空間だった。

今となっては、もっと、綱島温泉に立ち寄れば好かったなーと振り返る。

そんな、愛着も、侘びしさと混じって、深い人生の味わい。

綱島温泉の休業が、与えてくれた日頃は気づかない人生の価値観への示唆。

| | Comments (0)

June 10, 2015

愚禿(ぐとく)親鸞と云う表現、

修行した人が、自分を謙遜して云う言葉に、愚禿(ぐとく)と云う凄いのがあり、驚く。愚禿親鸞と使われている文章に驚いた。

笑いを通り越して、凄さを感じる。

それをもじって、輝禿(きとく)とか、光禿(こうとく)とか云って、楽しんでいる人もいて、私のギャグ脳も刺激された。

そう言えば、元小泉総理の秘書の飯島勲さんが最近出した本に「秘密の教養」の中で、ホームレスの人と王様に禿はいないと書いてあり、ユニークな観察にも驚いた。

| | Comments (0)

June 09, 2015

通勤途上の感動の光景、

先日、通勤途上、駅への道で、若いお父さんに連れられて、楽しそうに歩くちっちゃな女の子がいた。

時折、立ち止まって、お父さんにせがんで、両手をとって、グルーンと振り回して貰ってケラケラ笑いながら歩いたり、その安心しきった幸せが伝わってきた。

何とその親子は、何年か前、道で見かけた泣きじゃくる女の子と、叱っていたお父さんだった。私は、その様子に耐えかねて、お父さんに抱きしめてやって下さいと声を掛けた親子だった。

私は、その変化振りに、胸がジーンと熱くなった。

| | Comments (0)

June 08, 2015

1865年、薩摩長州の志士達の英国視察、

今朝は、無事、朝5時起床、ベランダから見慣れた朝の光景を味わった。

まだ、英国の風景の残像が心に残り、対比して、新たな想いが湧く。

明治維新の頃、長州や薩摩の志士達24人が、英国を視察した時の驚きは、いかばかりかと想像もしてみるのも楽しい。

彼らは、欧州と戦うことの無謀さを悟ったと云う。

鹿児島中央駅前に、当時英国に行った若き薩摩 の群像の銅像がある。旅は、日本を変えたのだ。

私も、今朝は、新たな気持ちで、日本を、人生を眺める。

| | Comments (0)

June 07, 2015

ロンドン出張から帰国の日、新たなジャズのメロディー、

今日は、ロンドン出張から帰国する日。5月31日出発以来、一週間、7日の夕方に帰国の予定。

無事、仕事の任務も終え、好かった。静かに、新たな境地で、ロンドンを味わった。

土曜の朝は、ロンドンの公園を、街を脚がくたびれるほど歩き回った。

明日からは、6月の日本、ホタルが飛び、紫陽花が雨に映える季節。また新たな気持ちで、自然も、生活も眺められると想う。

静かにジャズも聴きたいと想う。人生もジャズ、即興のメロディー。


| | Comments (0)

June 06, 2015

持たず、掴まず、腰掛けず、

禅で教わった、前後際断の思想に私は、安らぎを見いだしている。

瞬間瞬間、それぞれに前後際断された時の集合体が人生。サラサラと行く川の流れのように、全てはキラキラと流れ行く。

何も持たず、何も掴まず、何にも腰掛けず、ただ、キラキラと流れ行く川を想う。そんな憧れ。

無常こそがみずみずしい命、その境地を無我とも云う。(5月31日の記)


| | Comments (0)

June 05, 2015

ロンドンにて、旅のアクセント、

昨日は、一週間のロンドン滞在も慣れて来た4日目。

毎日、朝は天気でも傘を持ち歩く、毎朝ホテルで見るTVはBBC、気温は15℃(日本30℃、アラブ55℃)が朝は低く寒いくらい、日の出は0415くらいだが日没は2115くらいで夜の明るさにも驚く。

ホテルの朝食に少し飽きて 、近くの別のホテルの朝食を食べるアイデアも考えついた。

朝のロンドンの公園の美しさに感動し、暫しベンチで佇む。

若い頃来たロンドンの想い出は、各社を一日中、何社も飛び回ることが私の最大の楽しみだった。当時訪れた場所は、記憶が混乱して、どこがどこにあったとか記憶が定かでない。今、やっと、街を歩きながら、ロンドンの街の道が、身近になったように想う。

仕事も順調、アラブ人を笑わせたり、顧客とも真摯な面談で、力みの無い自分が少しものたりないようにも感じる。その分、ロンドンの平凡な光景が、むしろ、今、生き生きと心に刻まれる。

旅は、人生のアクセント。


| | Comments (0)

June 04, 2015

ネルソン提督、トラファルガー広場、

5月27日は日本海海戦(1905年)の記念日で、毎年、東郷元帥や戦艦・三笠を想い出して、日本が西欧列強からの植民地支配を免れた日として心に刻んでいた。

今年は、その日から数日後、5月31日からロンドンに出張して来て、仕事で石油交渉をしていた場所から歩いて10分の場所に、ネルソン提督の塔が立つトラファルガー広場があり驚いた。

1805年、10月21日、ネルソン提督率いる英国艦隊(旗艦・ヴィクトリー)は、ナポレオンの英国本土上陸の野望を打ち砕いたトラファルガー岬沖での、フランスとスペイン連合軍との大海戦に勝ち、英国を救った。

共に、国を救った、世界の歴史の大イベントとの身近な遭遇に心が躍り、心が大いに鼓舞された。

私の今回の英国出張は、ネルソン提督への想いに、彩られ、世界史の大パノラマの中にいた。


| | Comments (0)

June 03, 2015

ロンドン、アフタヌーン、世界史の中に佇む、

5月31日夕方からロンドンに入り、6月1日から石油製品の交渉に加わって、合間に、ピカデリーを歩く。

英連邦は、世界の53ケ国に22億人の人口を誇る自主的な民主主義の共同体と、街で見掛けたポスターは語る。

街は、重厚な博物館など歴史的建物や、デパートや格式あるレストラン。アラブの水煙草の店からはアラブ音楽も流れる。

華やかな大英帝国を思わせる街の風景に時折見掛ける乞食に、前を通るのが辛く、変わらぬ人間社会の業を思った。街頭でホームレス支援の雑誌、Big・Issueの英国版を初めて買った(2・5ポンド、500円)。

世界史で習った唐の長安の街の賑わいの絵のように、何百年後の人は、私と云う旅人も当時のロンドンの街に行き交う風景として見るのだろうと想う。

私は、世界史の中の風景として、ロンドンの街を歩く。

| | Comments (0)

June 02, 2015

ノルウェーの友人との笑いの交流、

先日来日したノルウェーからの友人から聞いた実話の馬鹿な話を想い出す。

ノルウェーでの変人の話。野外のイベントやパーティー会場にホットドックを車で売りに来る車の屋台のおじさんがいる。貼り紙にホットドック・10クローネとか書いてある。

人々が、買いに来ると、ホットドックと10クローネをお客さんにあげて驚かせるのだと云う。ホットドックと10クローネと書いてあるじゃないかと言って渡すのだ。

客は、意表をつかれて、頭が混乱。変人は、その様子を見るのが楽しいのだと云う。

私の娘の子供時代に、たとえば娘が1000円頂戴と私にねだると、私は困った顔をして、少しまけてくれないと云って、頼むから2000円にまけてくれないかと頼む。娘は、当惑しながら、いいよとうなづく。私がノルウェーの友人にこの話をしたら、彼から、ノルウェーの変人の面白い話をしてくれた。

笑いのもとは、やはり驚き。私とノルウェーの友人との笑いの交流。(5月31日の記)

| | Comments (0)

June 01, 2015

2015年・三池高校、櫪友会、

今年の櫪友会(同窓会)は特別だった。

たまたま、高知から上京中の親友の参加、妹と、妹の友人の娘さん達の参加、高校時代の風紀副委員長との再会、など、新たな展開だった。

姉達の同級生の方々にも、弟です、妹です、と挨拶して回った。

370名が、お互いに、故郷の背景になり、お互いを眺めて安らいでいた。

小田原の妹は、その日、川崎の温泉に招待。ちょっと長男らしく、妹をねぎらう。

(5月31日の記)

| | Comments (0)

« May 2015 | Main | July 2015 »