外は地獄でも自分さえ変われば、極楽となる、
昨日の住職の法話に、また勇気付けられた。
「私が正しいものを求める」のではない。私が没入して行くのだ。そこには、もはや私はない。
外は地獄でも自分さえ変われば極楽となる。外に解決はなく、自らの霊性の向上にしか解決は無い。
名前と形を追って、二元的教えに真理は無い。
真っ黒な無知無明の世界から、迷いの世界に入り、人は、五感六識の業(ごう)に振り回され、そして、修行の縁に触れ、修行が進めば、いつしか仏の世界、真っ白な、光の世界に到達する。
日常の喜びは、隙間から光が当たった証拠である。
喜びの本性を知る、宇宙への壮大な旅の途上に私はいる。そんな気分の、日曜日の朝、旅の途上の春の日の朝。
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