今日からロンドン出張、思索の旅、
今日から、ロンドンへの1週間の出張に出発。
私は、たまに行く海外出張は、いつも思索の時。飛行機の中や空港、また外国の様々な景色を見ながら思索するのが好きである。
生きて来た道、これから生きて行く道をあれこれ考える静かな時間。
昔、仕事に夢中だった若い頃とは、ちょっと違った旅の味わい。
今日から、ロンドンへの1週間の出張に出発。
私は、たまに行く海外出張は、いつも思索の時。飛行機の中や空港、また外国の様々な景色を見ながら思索するのが好きである。
生きて来た道、これから生きて行く道をあれこれ考える静かな時間。
昔、仕事に夢中だった若い頃とは、ちょっと違った旅の味わい。
昨日5月29日は、芸能人二人の訃報に驚いた。漫才のいくよさん(67才胃がん)と俳優の今井雅之さん(54才大腸がん)。
病気が急で、さぞ残念だったと想う。
今井さんは、若者達へのメッセージは、「生きて生きて生きまくれ」だったと云う。
いくよさんの相方のくるよさんは、喪失感で憔悴しきってしばらくコメントもとれない状態だったと云う。それでも、病室で、親友の二人が目を合わせて、笑顔で最期に交わしたメッセージ、「頑張る」。
共に、私は、大きな学びを与えられた。
逝く人、遺される人、どちらも人生は、真剣勝負。
私も、負けないくらい真剣に生きようと想う。
明日、30日(土)九州の三池高校・毎年恒例の大同窓会が、市ヶ谷アルカディア(私学会館)で開かれる。
今年は小田原の妹と、たまたま仕事で上京の高知の親友と一緒に出れて、大変嬉しい。
母子家庭で頑張ってきた妹の一番下の息子が大学を卒業した年の記念に、私が同窓会参加を強く勧めた。
高知の親友は、高校時代に、二人で九州から山陰地方などへ、2週間のヒッチハイクに行った長年の親しい友達。たまたま、仕事で上京する縁に驚いた。
今年は特別な、感慨深い同窓会になりそう。
明後日、31日からは、一挙に場面は変わって、ロンドンへの出張。いつも旅する時は、空港のラウンジでワインを飲みながら、もの想いに耽る。
全てが、刻々と場面が変わって行く人生のみずみずしい展開、私は、神の縁に身を委ねて、ただ周りの景色を眺めて生きる。シナリオは、母が書いているような、厳しさと優しさの人生。
人生の旅、時々、両親が星となり、私を導く、巡礼の旅。
毎年、5月27日は、特別な日。
1905年5月27日、 日本海海戦で東郷連合艦隊が対馬沖で、ロシア・バルチック艦隊を迎え撃った時である。
昨日は、私は仕事が休めず行けなかったが、今年も、横須賀の三笠艦上での記念式典があったことだろう。
日本海をウラジオストックに向かい北上するロシア艦隊と遭遇し、北上を阻止するための攻撃体勢に移る突然の敵前回頭は、捨て身の東郷ターンと云われる。危険な敵前回頭を終え14:08、日本の命運を決する連合艦隊の砲撃が開始された。 東郷は、集中被弾する三笠の危ない艦橋部を離れず指揮をしたと云う。
東郷は、尊敬するネルソン提督の最期に自分を重ねていたと云われる。
ナポレオンの英国本土上陸を防いだ1805年トラファルガーの海戦。戦死しながら、英国を勝利に導いたネルソンの様に、戦死して御国を救えるのなら本望であると。
国の命運を一身に、命を賭して戦いに臨む心境は、男の本懐。その場面を想像するだけで身ぶるいがする。男としてそんな場面にいれたことは、幸せだったろうと想う。
毎年、5月27日は、男の血が騒ぐ。
ストレス、自律神経と食べ物の関係が面白い。心も食べ物にコントロールされている。今月の食と健康の学びです。
― 「自律神経失調症の治し方がわかる本」(主婦と生活社)から抜粋―
1, 疲労、無気力の原因は、糖質の摂り過ぎ、 糖質を摂りすぎると身体を酸性化させる。気分がイライラすると砂糖が欲しくなる。
2、 ストレスを和らげるタンパク質を積極的に摂ろう。(大豆は最良のタンパク質) ストレスに晒されると、タンパク質が大量に消費される。タンパク質は脳細胞を作る重要な材料でもある。
3、 ビタミンB・C がストレス解消を促す。 ビタミンB1: 糖質をブドウ糖に変えてエネルギーを生み出す。 (そば、玄米、ウナギ、大豆など)
4、 カルシウム不足は、イライラの原因になる。カルシウムは神経の興奮を鎮める。リン(加工食品・清涼飲料)の摂り過ぎはカルシウムを奪う。
5、マグネシウムは、カルシウムの働きを助ける作用あり。アーモンド、カシューナッツ、 ひじき、納豆、きな粉など。
6、 マンガンは、神経過敏、イライラを鎮める。 玄米、大豆等。
7、ヨードは、神経の緊張を解き、思考力を高める。 海藻に含まれる。
8、 加工食品は注意。
添加物多い。 精製でビタミン・ミネラルが消失している。 糖質・塩分を摂り過ぎる。
9、 朝食重視の食生活をする。 生活が規則正しくなる。
* バランスの好い食事は、朝2・昼3・夕2 の比率。
* 夜は、睡眠に効果のある食品を摂る。
* ぐっすり眠るためのセラトニン・メラトニンは、トリプトファンと云うアミノ酸から作られる。トリプトファンは、赤身の魚、大豆、バナナ、アボガド、ゴマなどに含まれる。 以上
昨日は、ヒッポ語学ファミリークラブの例会に出たら、新しく3才の女の子がお母さんと一緒に参加して、愛くるしい笑顔を振りまいていて、心が洗われた。
イタリア・フィレンツェ、への1年間の留学帰りの男子高校生、これからフランス・リヨンヘ1年間の留学に行く女子高生の会話を、ただ、キラキラと輝く渓流の若鮎たちのように感じながら、話を聴いた。
女子高生は、最初に留学先の高校の教室にガラッと入って、何て云ったらいい?とか、留学経験の男子高校生に聞いている。
答えは、わからなくても一生懸命に答えようとすることで友達はできる、とか、男子高校生のアドバイスも、いいなーと思った。彼は、もうイタリア語での自己紹介が板についていた。
お父さんと行く魚釣りが好きで、自分のニックネームをひらまさ(魚の名前)と付けている小学5年生の男の子も来ていた。
私に、幼児から小学生、中高生の友達がいることが、何か、くすぐったいほど可笑しい。
昨日は、新しいLPガスの会社発足のパーティーが1500からパレスホテルであり、参加した。住友商事・昭和シェル・東燃ゼネラル・コスモ石油の各LPG部門を切り離し新会社を作り、国内販売では、日本最大の規模のLPGの会社になる。名前は、ガスの羅針盤と云う意味のGyxis(ジクシス)。
私は、ただ、レセプションの雰囲気の楽しさを味わった。
若い頃のように各社の偉い人達への関心が無くなって、参加してる人達が、みな同じレベルの単なる友人知人に見える気持ちになっていて、心地よい平穏だった。
人生では、目に見えないものが大切なんだ。星の王子様に出て来る言葉。
少しずつ、表面的なもの、不本意なものには、振り回されない生き方を実践している自分が、心地好かった。これも、禅のお陰かと想う。
数日前、仕事で、アラブ人から売られた喧嘩を咄嗟に英語で切り返したことが、痛快だった。
理不尽な攻撃言葉に、私の口から咄嗟に出た英語での反論喧嘩言葉と、相手のひるみが、我ながら、よくやったと、何とも云えぬ満足感があった。
アラブ人は、プライド高く、お互いに張り合い、よく口論をする。
アラブ人は、宗教と家族のことでの喧嘩以外なら、いくら喧嘩しても、修復可能だと云う。その後、お互いにケロっとした関係にも救われた。
サラリーマンでありながら、私も、今では、理不尽に対しては、堂々と、喧嘩できる生き方に満足している。
亡き両親は、今のそんな私を知ったら、子供時代あの内向的だった我が子がと驚き、さぞ喜んでくれることだろうと想う。
これも、人生に対する小さな驚き。
昨日の住職の法話に、また勇気付けられた。
「私が正しいものを求める」のではない。私が没入して行くのだ。そこには、もはや私はない。
外は地獄でも自分さえ変われば極楽となる。外に解決はなく、自らの霊性の向上にしか解決は無い。
名前と形を追って、二元的教えに真理は無い。
真っ黒な無知無明の世界から、迷いの世界に入り、人は、五感六識の業(ごう)に振り回され、そして、修行の縁に触れ、修行が進めば、いつしか仏の世界、真っ白な、光の世界に到達する。
日常の喜びは、隙間から光が当たった証拠である。
喜びの本性を知る、宇宙への壮大な旅の途上に私はいる。そんな気分の、日曜日の朝、旅の途上の春の日の朝。
昨日は、夕方、会社のあるビルに、ノルウェーからの友人が、大学を卒業したばかりの息子を連れて、私に会いに来て、近くの居酒屋に行った。
帝国ホテルに泊まっているそうだったが、わざとヨレヨレの居酒屋を紹介し、そこに商社の若手友人などを3人呼び、6人で、若者ペースで盛り上がった。
2次会カラオケ、3次会ワインバーと、終電で帰る始末。
私は、自分の年を忘れて、いろんな世代と同期会気分。
仕事で知り合ったノルウェーの友人、こんな親友になれるとは、人生の素晴らしさを感じる。
お土産に貰った、英語のギャグの本、読む前から、もうニヤニヤしてしまう。
戦後70年、北九州の88才の元特攻隊の岡田幸一さんの手記を見て、涙が溢れた。
爆弾が積まれたベニア板製のモーターボート(震洋と云われていた)が海上の特攻兵器として日本各沿岸に配備され、小名浜にいた18才の岡田さんにも出撃命令が下った。
お国のために死ねる喜び、天皇陛下万歳、出撃を待つ日々に、いつも母親の顔が浮かんだと云う。「栄養をつけなさい」と云う母の顔が。
出撃を待つ間、一秒でもいい、母に抱かれて死にたいと、命の底で叫んでいたと。
そして、いつしか、「おふくろ万歳」がほとばしり出たと。
私も、人生は、「おふくろ万歳」と叫んで死にたい。
今朝、横浜は、早朝から雨や稲妻の光、雷の荒れた朝だった。
子供時代に感じた自然への純粋な畏敬を感じる。
色々な自然界の変化が、驚きに満ちて、新鮮で愛おしいと想う。
今週末は、突然来日連絡のノルウェーからの友人と会う展開。来週末は、突然上京連絡の四国の親友と会う展開に、人間関係も、日常も、天気予報のように刻々と変化していて、新鮮な展開を見せる。
何かのエネルギーが、縁として、日常をつき動かして行く。
月末からの久し振りのロンドン出張の時は、旅をしながら人生を思索したり、静かな郊外を散策する機会でもあればと想う。
天気予報のように、縁と云う自然のエネルギーによって人生も展開して行く。
昨日は、哲学カフェ後の懇親会の場で、英語での録画撮りがあり、私も用意していた原稿を見ながら英語で少ししゃべった。
原稿を見なくてしゃべる積もりが、テーブルの上の原稿が気になり、原稿に目が行き過ぎたことを反省。
昨日は、会社でも、その英語の原稿が気になって、暗記に務めた。結果は不満足でも、それでも、まーいっかと想い、その後の楽しい懇親会に専念。
日々訪れる色々な体験が、新鮮に想い出に刻まれて行く。
ただ、一生懸命であれば、それで好し、今までも、これからも。日々、進化して行くのが人生。
私が、長年、夫婦仲破綻でも問題なしと云う生き方をしているせいか、昨日、友人の友人が、そのことを聞きつけ、私に会ってみたいとのことで会社帰りに、3人で懇親会をした。
色々な夫婦仲破綻の症状が、お互いによく分かり、寧ろ、大笑い。
そこで、破綻した妻でも娘の親友と想うことで、気が楽になることなど、私の編み出した処方箋を披露した。
人間関係は、どちらかが客(ゲスト)と云う権利意識が芽生えた時に破綻している。
全てに学びの材料を見いだせば、目障りなことはない。全ては、神からのメッセージ、そこから学べば好い。
夫婦仲破綻の会、いよいよ社会貢献事業として発足かと苦笑。
昨日は、インド大使館で、ヴィヴェーカナンダ生誕152年祭があり出掛けた。
タゴールが生まれたのが1861年、ヴィヴェーカナンダが1863年、ガンジーが1869年、1860年台は、世界を変えた豪華な人物を輩出した時代。
私も、人生観を形作ってもらったと云う想いがあり、感謝する。
私も、ヴィヴェーカナンダ師の写真を見ながら、152年祭に参加出来て、清々しい気持ちになれた。
インド音楽の演奏も、心地よく、暫し、インドの精神文化の深さを堪能した。
昨日は、かねてから娘にリクエストされていた、青山のジャズスポット・ブルーノートに二人で、待ち合わせて行った。
娘は、有名なジャズの店に行きたいのと、私がジャズが好きなことも考えての提案だったのではと想う。昨日の演奏者は、ロイ・ヘインズ、伝説のスーパードラマーだった。
アート・ブレイキーや、マックス・ローチと並ぶ、何と90才の矍鑠としたジャズのレジェンドだった。
帰りの電車の中で、すぐ娘から、念願のブルーノートに行けた感謝のメール。
ブルーノートのある青山6丁目には、すぐ近くに、私が前から行ってみたかった小鳥カフェがあり、初めて小鳥カフェに入ってみて小鳥の世界に安らいだ。
娘と歩く青山は、大自然を見る時のような、これも私の人生のシーンだった。
今月の文藝春秋に、戦後70年を動かした政治家の言葉が特集されていた。
「戦争で負けて、外交で勝った歴史はある。」、吉田茂の言葉に惹かれた。
どんな状況からでも、今置かれた状況から、最善を尽くすスピリットが感動させる。
私も、今置かれた状況の中から、人生に最善を尽くす。
寧ろ、人生にも、敗戦の焼け野が原があっても、打てる手は、まだまだ沢山あると想う。
禅が、いつも、大丈夫、大丈夫と教えてくれている。
先日、新聞に、外国人観光客に人気の穴場観光スポットが、2つ紹介されていて、ひとつが日暮里の谷中商店街、 もうひとつが、相撲部屋の朝稽古見学だった。
私は、谷中商店街は、時々外国の友人を連れて行ったが、やっぱり人気の穴場かと頷き嬉しかった。コロッケを食べながら歩いたり、私の場合は酒屋さんの軒先でコップ酒なども楽しめる。
相撲部屋の朝稽古は、近々是非、偵察に出掛ける予定。
今、来日中のアラブ人、来週来るノルウェー人の友人に、あれこれ観光の提案をするのも楽しい。
人が驚く姿を見て、私は、楽しくなる。それは、子供の様子を見て楽しくなる親の気持ちと似ている。
何事にも、中間の霊妙さのような、そんな境涯が、一番、人生の達人と見える。
人生も、派手過ぎもなく、地味過ぎもなく、
人生も素晴らしい時期は、若過ぎもなく、年寄り過ぎもなく、
雄大でもなく、繊細でもなく、どちらの要素も取り入れて、霊妙と云う自由自在の境涯が、素晴らしいと想う。
今は、冬でもない、夏でもない季節。冬を想い出したり、夏を想いだしたり、自由自在の季節。
昨日は、会社から早く帰宅して、ベランダの台風対策をして、雨戸を閉めて、台風6号の通過を静かに待ち、就寝。
今朝は、雨戸を開けると光のシャワーだった。
嵐は、そっと身を潜めて、通り過ぎるのを待てば好い。
若い頃は、嵐に立ち向かおうとして、大変だった。人生の嵐は、時折起こるものだ。嵐は、何かを原点に返そうとするエネルギーだと想う。
嵐の意味を考えながら、時には、隠れて眺めながら、嵐を愛おしくさえ想う。全ては、矛盾を統一しようと頑張っている姿なのだから。
先日の日曜日、初めて中原街道祭りと云うイベントに行き、初めて、鷹狩りの実演や、平家琵琶を聴けた。
徳川秀忠は、平塚に鷹狩りに行く途中、中原街道の、今の武蔵小杉によく立ち寄ったと云う。
武蔵小杉は、以前会社のアパート群があり、私も長く暮らした場所。
武蔵小杉の国際交流センターで、開催された、中原街道祭りで、日本の歴史を学ぶ小さな驚き。
平家物語を語るためだけにあると云う平家琵琶の地味なところが、また味わい。
知っても知らなくてもどちらでも好いが、知れば、人生が豊かになることがある。
小さな驚きは、人生を彩る。小さな驚きの受信機を磨くことで、人生のシーンが変わって行く。
貴方は、誰ですか?の問いは、禅門に入る時の問い。
本格的な修行は、「汝はそれなり」、自らの仏性に気づいた人しか、修行させてもらえなかったと云う。
本来、仏であるのに、今の自分の矛盾は、醜さは何なのかと、極めて行くのが修行と云う。
「汝はそれなり」は、全てを幻影と観る力のある人は、信じられると云う。
一切あれ欲しい、これ欲しいが無いので、出家出来るのだと云う。
ただ断片的に、一昨日の住職の言葉のメモを読み返しながら、修行とは何かと考え、出家の凄さに想いを馳せる。
今日は、日本中で、多くの人達が母を想い出す日。
私も、大学時代や会社に入った頃からの積もる話を、心の中の母にする。
ただ無言で、頷きながら聴く母。そう云えば、余り報告していなかったと想う。
生まれて来ただけで、もう圧倒的な感謝。それだけでいい。
何から話をしようかと、母との時間が、戸惑う程に、愛おしい。
母は今では、空一杯に、広がっている。
今日は、母の日。誰しも母を想う日。
安寿と厨子王は、母から何度も聴いた物語。
子供の時、生き別れになった母を探して、立派に成人した厨子王が、佐渡島の農村の庭で、雀を追う懐かしい母の声を聴く。
私は今、小鳥の声、虫の声も、皆、それは、懐かしい母の声だったことに気づいた。
明日のプレゼントは、天国に何を宅急便で届けようか。
感謝の赤いバラと、私が子供の頃よく描いたカニの絵がよいかと想う。
空から、届く優しい眼差し。母は、いつしか、仏性に近づいている。
「路上のうた」と云うホームレスの人達の川柳集が街頭で700円で売られていた。
パラパラとめくるだけで、、、人生の情景が浮かび、暫く絶句する想いだった。
虫の声、子守歌だよ、秋の夜。
救急車、そのうち世話になるからね。
指さされ、あんな大人になるなよと。
炊き出しで、嫌いなものが好きになる。
読んでると、もう、文字が雲って見えなくなる。
最新のビッグイシュー(ホームレス支援雑誌)に、小鳥やカエルなどを観察している人のことが書かれていた。
色々な小鳥たちの声を聴いていると、ここは、もしかして、おとぎの国?と想うと書かれていた。
鈴虫の声や、カエルの声に魅せられて、録音して回る人のことも書かれていた。
確かに、人生を奏でる自然のオーケストラだと想う。
そして、蝉の声は、読経のようにも聞こえてくる。
そんな世界に生きていることに不図、気づく。
昨日の日経朝刊一面に、明治産業革命・世界遺産へ、八幡製鉄所・三池炭坑など、と出ていて仰天した。
私の故郷・大牟田が世界遺産の街になるなんて、三池炭坑が閉山となって寂れ行く街だった大牟田が、世界遺産の観光の街になるなんて信じられない喜びだった。
今回の世界遺産勧告の施設は、8県11市23施設で、長崎の三菱造船所や軍艦島、グラバー邸も、萩の松下村塾、伊豆の韮山反射炉、釜石の高炉など、1850年台~1910年の日本の産業立国の基礎となった施設とのこと。日本で19番目の世界遺産になるらしい。
2020年のオリンピックに向けて、私の観光ガイド活動の大きな励みになる重大ニュースだった。
昨日は、朝から、嬉しくて、娘や、妹、弟、姉などに電話で速報を流した。両親は、生きていれば、目をまん丸くしたことだろう。
どう考えても、すごい。あの大牟田がねぇー。
昨日は、新百合ヶ丘のアートセンターに、一人芝居・山椒大夫を見に出掛けた。
ところが、開演の1時間前に着き、会場で待つロビーの同じフロアに映画館もあり、何と長年念願の見たかった映画、「橋の無い川」(1992年)が、同じ時間帯に上映されることを知った。
数分悩んだ末に、「橋の無い川」の映画を選び、高校時代に読んだ島崎藤村の破戒の丑松の世界に入りたくなった。
1922年、水平社は生まれたと云う。300万人の被差別部落の人達の人権復権の苦難の歴史に、思いを馳せた。
山椒大夫は、親子の悲しい物語、破戒は、生まれながらに背負った悲しみの物語。
私の母は文学好きで、私が子供の頃、山椒大夫の話や、藤村の破戒の話をしてくれた。
昨日は、そんな母の文学を想い出す日だった。今も受け取る母からのメッセージ。
今日は曇り空、曇りの日は曇りを味わう。雨の日は雨を。変化こそ、みずみずしい生命。
昨日は、ワールドラーフターデイに因んで代々木公園で笑いのヨーガのイベントがあり、覗いてみた。とにかく、お互いに顔を見合わせて大笑い。幼児達のように、いろんなものに驚いて笑う。そして、青空に向かってありがとう。
夕方は、川崎・生田緑地のブラネタリウムでの特別試写会、地元の風景に溶け込んだ夜空の星の神秘世界を静かに探訪。
生田緑地の田んぼでは、カエル達が合唱していた。もうすぐ、野生のホタルも飛ぶ頃。
数日前に異業種交流会で知り合った三味線奏者の方から招待して貰って、昨日、初めて国立劇場に花柳寿々美緒さんの日本舞踊の会に行ってみた。
清元・常磐津・長唄も初めてじっくり聴いた。黒田節、越後獅子、八百屋お七、笠森おせん、江戸のシャボン玉売りの風情も味わった。
帰りに、芝・増上寺で開かれている寺フェスタに初めて立ち寄ってみた。イルミネーションが綺麗な東京タワー、綺麗な月夜に、壮大な境内、光摂殿前で若者のライブミュージック、東京のど真ん中で、こんな素敵な空間が作られていることに驚いた。
私が勤務する森タワーの灯りも、人生の神秘性を感じながら眺めた。
急に大学時代の気持ちになってみたり、時空を超えて心は夜空を飛び回った。増上寺・法然上人から800年の頃。
通勤途上、舗装された道路の脇の僅かな隙間から雑草が遠慮がちに、逞しく生えている様子に感動する。
それが、オレンジ色の花を咲かせていたり、黄色や白の花もある。
知られていない野や山や川べりにも、名もない花が咲いていることだろうと想う。
私は、そんな時、野の草花は、そっと、そのままが、一番調和していると想う。
そっと野に咲け、レンゲ草と云う句は、誰の作か知らないが、エゴが消えてる境地で心地よい。私が自然に溶け込んで、私がいないような安らぎを感じる。
心の余裕とは、どちらに転んでも好いと想うこと。
張りつめて、人生でやるべきことが、はっきりして来ても、ちょっと力みを解いて、まァーお茶でも飲んで行くような感じかと想う。
朝の小鳥の声、道端の花に、気持ちを集中させると、
ちょっと、どちらでも好い気持ちになれる。
もう、これでいいですと云う気持ち。
それでも、毎日の作務があり、決まった時間にやるべきことは待っている。
幸せ過ぎなく、不幸過ぎなく、全ては、あるべくようにある。そんな春の日。