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April 06, 2015

夜明け前、山中の野外坐禅、闇の中の灯り

昨日の早朝4時、天城山中の坐禅道場で、初めて野外で坐る体験をした。

毛布を膝に、また背中から被り防寒対策をした上で、道場の外の軒下で、闇の中の林と森の中の早朝の空気を感じながら坐った。

闇の中の林に、住職が作った木の切り株のほこらとその中の小さな地蔵様、中国の達磨大師ゆかりの寺のそばから持って来られた石、三輪崇仁天皇皇居跡の石など祭られた、木の切り株に小さな灯りが灯され、幻想的な光景であった。

私は、生まれて来る前の私が蘇るような神秘的な気がした。孤独たけど、何か圧倒的な優しさに包まれているのだ。人は、みな、生まれた時から、切り離され生きて行く哀しみがあるが、私は、いつも見守っていますよ、と云われているような気がした。

西行の、かたじけなさに涙こぼるるの心境が浮かんだ。

このような場を作られる住職は、根っからの修行の人だと敬服した。住職は、お母さんを感じながら今も修行されていることを想った。

いつしか明けていく朝の薄い灯り、啄木鳥の音、全てが、母の励ましに想えた。

自然の中の夜明け前、野外の坐禅は、永遠の絶対大丈夫の世界を暗示しているように想えた。

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